「先んずれば人を制す」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「先んずれば人を制す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

先んずれば人を制す

今の條約改正は如何程までに改正の實を見る可きや風聞に據れば種々の附帯の箇條もありて大体の處は治外法權を撤去し内地雑居を許可するならんと云ふ右の如き條約の改正なれば法律上内地雑居の行はるゝも遠きに非ず好しまた條約上より雑居の自由を導かざるも日本全國に鐵道を通じて交通往來自由自在なる上は其交通器の利用を獨り内國人に限る可きに非ず内國人の行く處には外國人も行き自然内地雑居の實を見るは勢の必至なりと申す可し斯くて外國人が内地に雑居することゝ爲れば彼れ其本國より低利の資本を携帯し來り射利に〓〓なる眼を以て日本國中に如何なる事業を營む可きや我國の商工業家は今日より豫め其方向を卜し遺利の最も多くして外人雑居の後忽ち其垂涎を來さんとする樣の事業もあらば今より夫れ夫れの用意を爲して遺利の丸取りに逢はざるやう其覺悟なかる可らず落栗を拾ふものは人の未だ來らざる前に先づ樹下に到るを要す外國人の内地に來集するを見て遽しく周圍を見廻はし共々遺利を爭ふやうにては常に彼の先ずる所となり外國人の後に尾して其拾ひ遺しの利益を拾ふことと爲るは必定、去りとては我商工業家の氣の利かざるのみならず日本國の不利如何ばかりなる可きや誠に由々しき大事にこそあれ因ては内地雑居の後外國人が如何なる事業に着手するや之を推測して其先を越すこと必要なれども今の日本の商工業家は既に其推測を試みしや否や我輩の關心する所なり勿論外國人とても人々大資本家に非ざれば雑居の後も別に仕出來したることなく尋常一樣雑貨小間物等の營業を爲す者もあるべしと雖ども外人中起業の資本と精神とを所持するものは先づ何事に着手す可きや或る人の説に日本國中の物産にて産額大に利益も多く後來最も多望なる者は蠶絲なり然るに今日迄の處にては此産業未だ甚だ發達せず養蠶樹桑も學理に據らず製糸の器械は不完全にしてあたら善き繭を以て精粗不揃の糸を製し居るが故に外國人内地に入らば先づ製糸塲を設立し目下佛蘭西伊太利等にて使用する日新改良の製糸器械を据え付け賃錢の低き日本の職工を雇ふて歐米向きの善良なる生糸を製し自製直輸其利益少なからざれば外國人の着眼は其れ蠶糸業なる哉などゝ云ふものあり又一説に右等の所見は畢竟日本流の凡眼のみ蠶糸業多少の利益もあらんかなれども是れは日本人も其利を知りて從來營業の熟練もあれば無下に之れと競爭するも妙ならず外國人は夫れよりも寧ろ日本人の氣の附かざる利益に着眼するならん日本人の氣の附かざる利益とは何ぞ山の利益即ち是なり盖し日本人の工業は手近く目前の利に走るを常とす又これに走らざるを得ざるの事情ありて奥深き山の利益を収むるを知らず日本の山は到る處金銀銅鉄諸鑛物諸寶石に富み其富源の深きこと測り知る可らざれども從來之を開掘するもの甚だ少く近年石炭山等は世の需要に應じて引き續き開掘の樣子なれども金銀銅鉄其他の鑛物寶石は起業家の資本乏しく俗に山師と唱ふる輩が此等の事業に着手するが故に大抵半途にして資本竭き纔かに鑛脈に掘り當てたる處にて破産するもの多けれども資本に不足なき外國人が此事業に着手したらば寶山空手の嘆なきは勿論、差當り周圍に競爭者もなくして丸で寶の拾ひ取りと爲るべし左れば雑居後外國人の着眼は分明山の利益にあるならんと云ふ我輩思ふに天下の利は一處に在らず其利を取るの方法も亦一樣ならざれば雑居後の外國人中蠶糸業に從事する者もあらん山の利益に着眼する者もあらん其射利の方向一ならざる可しと雖も我商工業家の身として今後最も注意して外國人の先ずる所とならざるやう今より心掛く可き者は乙説に所謂山の利益なる可し從來日本人は到る處に寶山脈の蜿蜒連綿たるを抱きながら其山より得る所は木材及び其皮膚の諸鑛物位に止まり深く其骨肉を開掘することを知らず特に此山に屬するものは金銀銅鐵の類に限らず巧に之を利用すれば硫黄を取り石灰を製し造家石を得る等其利益際限ある可らず日本の硫黄は外國の製造所にて其評判甚だ宜しく之を精製輸出すれば一廉の貿易品とも爲るべきに今日まで深く之れに注意するものさへ少なし今後外國人が雑居して手づから此山を解剖するに至らば啻に其皮膚の利益を取るのみならず其肉を取り其骨を取り毫も遺利を留めざるや疑を容れず我商工業家は外國人をして此利益を壟斷せしめざるの覺悟ありや今回井上山縣兩大臣は府下の紳商諸氏を同伴して北海道を巡廻中なるが此等も亦此邊に見る所ありて然るか外國人の雑居に先だつ今日は實に是れ千歳の一時、我商工業家は今より用意して人の先ずる所と爲ること勿れ此事に就ては我輩尚我商工業家に質さんとする所のものあり他日重ねて之を開陳することある可し