「支那人の活溌なるは文明の利器に由るものなり」
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本文
支那人の活溌なるは文明の利器に由るものなり
近年支那人が外國の交際上に活發の色を現はしたるは
皆人の知る所にして例へば朝鮮は獨立國の体面を以て
世界各國と對等の條約を結ぶにも拘はらず支那人は之
を属邦視して明治十五年の亂には其國父を捕へて歸り
爾後京城に兵隊を屯せしめ明治十七年の變に際して其
兵は異常の運動を爲す等一擧一動これを文明の通法に
照らして奇ならざるはなし又過般は米國にて其寄留の
人民が米人に虐遇せられたりとて同國政府に向ひ賠償
の事〓〓〓したるが如き事の是非曲直は姑くさし置き
〓〓の支那人には不似合なる事例として見る可きもの
なり其處歐羅巴諸國に往來する支那の使臣の擧動を見
ても決して平々凡々たる者に非ず假令へ文明の交際中
に於て一種の變体奇相を呈するにもせよ悠々として臆
せざる其有樣は田舍大盡が出京して都人士に交はり百
事無頓着にして却て定價外の重きを爲すの情に異なら
〓〓れ是れの事情を察するに三五年以來支那人の外國
交際に關はる擧動は都て奇にして活溌なりと云て可な
らん抑も彼等が何の因縁にて斯くも面目を改めたるや
と尋るに我輩の所見を以てすれば單に之を文明利器の
利用に歸せざるを得ず我輩が嘗て一言したるが如く近
來西洋の文明が東漸して漸く流行するに際し支那人も
終に其流行に加入して先づ其兵制の一部分を改め漸く
西洋流の銃砲を用ひ又蒸氣軍艦を買入れ漸く其用法を
試みて果して彈丸の遠きに達して汽船の進退の自由な
るに感服する折柄明治十五年朝鮮の京城に大院君の亂
ありければ是れが好き機會なれとて恰も新參武士が新
調の刀劍を以て試切すると同樣、近來得意の軍艦水兵
〓切味を試たるに存外の奇効を奏して一層の得意を増
さゞるを得ず次で安南に佛蘭西の事あり又其最中に朝
鮮に金玉均の變を起して支那の爲には隨分多難の事情
なりしかとも金玉均の變亂に支那の兵は京城を去らず
安南の事も佛清恰も勝負なしの姿にて局を結ぶなど支
那人の意氣増長せざらんと欲するも得べからず左れば
今時長崎にて彼の水兵等の暴動も唯其時の事情より生
じざることにして十五日の亂暴は十三日の意趣返しに
在り、十三日の意趣は酒より起りたりと云へば根も葉
もなき話なれども少しく見る所を廣くして從前は至て
程なりし支那人が今度に至りて何故に酒を呑めば直に
在して意趣を釀す程の人氣に變じたるや、少々ばかり
の意趣を含んで大勢の暴動に及び前後の擧動都て傍若
無人なるは何の因縁にて然るものかと思案するときは
我輩は今度の事變を以て單に酒に歸するを得ず醉狂の
所業は清に在ること明白なれども其清をして能く人を
醉狂せしめ其酒狂人をして能く意趣を結ばしめ、其意
趣返しのために大勢の人をして上陸亂暴せしめたるも
のは酒を外にして遠き所に原因あるを見る可し即ち近
年其國人一般の中に滿たる外交上の得意心これが原因
たりと云はざるを得ざるなり又最近の報道に朝鮮政府
が露國に保護を仰ぎたる事實を發見したるに付き支那
の方にては大に之を怒り朝鮮國の其筋の人に向て迫る
云々とあるは電文固より詳なるを知る可らずと雖とも
朝鮮政府にて或る部分の人々は兼て露國の強大なるに
心醉して之に依頼せんことを欲し已に明治十七年の冬
變亂の後日本より大使を京城へ差向けられ日韓の交際
危かりし其時にも朝鮮政府は竊に露人と談することあ
りしは當時我輩の慥に耳にせしこともあり爾來露韓の
間柄は決して疎なるものにあらざれば其關係に付き在
京城の支那官吏が事實を探索し朝鮮人は中華を後にし
て露を先にす相濟まざることなりとて舅姑の新婦に於
けるが如く白眼以て之を窘むることにてもあらんかい
よいよ是れが事實なれば露國の方にて不愉快なるは必
然の勢なれども支那人は最初よりこれを心頭に掛けず
して傲然かの威權を主張するの覺悟なる可し殊に我輩
が數年來日支兩國交際の由來を案ずるに例へば明治七
年臺灣事件にて支那人は我に向て五十萬の金圓を拂ふ
て和議を結局し次で琉球の廢藩置縣等吾々日本人の眼
を以て見れば誠に奇ならず尋常一樣都て道理の範圍内
に運動したる我内外の政略なれども愛國の情に偏して
道理の明を失ふは往々各國人に免かれざる所のものな
れば彼の臺灣琉球の事に付ても支那人の身と爲りては
或は吾々日本人の思ふがごとく思はざるものもある可
し抑も今日と爲りては執念深く既往の事を言はず兩國
現在の交際を圓滑にして共に貿易通信の利を利するこ
ろ知者の事にして我交際官も專ら此邊に勉め我輩も其
主義に伴ふ者なれども人心の變化は秋天の晴雨の如く
にして測る可らず殊に支那人が文明の利器たる軍艦銃
砲を利用して其切味に心醉し時に或は濫用の掛念もな
きにあらざれば我國に於ても目下南門の〓〓は片時も
之を等閑に附す可らず必ず大に警めて事を未だ起らざ
るに鎭壓すること最も切要なる可し蓋し支那人は其國
の開闢以來三五年前より初て文明の利害を試用して其
利を知り爾來諸外國に對して新に交際の運動を始めた
るに幸にも失敗なくして中るもの少なからず既に中る
とあれば命中にても偶中にても其國の民心に感する所
は則ち自國の衆譽なれば兼て自大自尊を以て有名なる
其民心を増長せしむるに事實の榮譽を以てするの姿に
して今後その擧動は決して尋常なるものにあらざる可
し吾々日本人は近く之に隣して商賣上に又政治上に關
係する所甚だ重大にして且繁多なるものなれば念の上
にも念を入れて今日の出來事に應じて處置を施し又後
日の出來事を未然に豫防し兼て又支那國全体の大勢に
注意して大に覺悟する所のものなかる可らず次に鄙見
を陳べん