「朝鮮の國難は日本の國難なり」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「朝鮮の國難は日本の國難なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

朝鮮の國難は日本の國難なり

今回の朝鮮事變に関しては東京を始じめ全國所々に種

々の風説行はれ對州長崎或は倫敦等よりの電報にも種

々事實を失するの報道多く或は支那人朝鮮國王を捕へ

たりと云ひ或は傾議政左右議政の職を罷めたりと云ひ

支那兵百五十名服裝を變じて京城に繰込みたりと云ひ

朝鮮の暴民支那兵を襲ひたりといひ暴民外國公使館に

瓦石を投じたりと云ふなど各人銘々想像の及ぶ限りを

新聞紙に報じて全國の人心を分外に洶々ならしめたり

然るに我輩は去る六日の時事新報に登録したる在朝鮮

京城通信員の特報によりて始めて今回の事變に關する

子細の事情を知ると得たりその事情甚だ錯雜して或は事

の疑似不明に亘るの箇處も少なからずといへども時事

新報の五編を埋むるの長記事を細讀して前後を照合す

るに其事情は概言して左の如くなるが如し

閔泳翔氏は去年以來支那の各地を漫遊して本年七月中

旬京城に歸着するや否や忽ち滿朝第一の權力を操り從

來の勢道たりし閔泳穆閔泳煥の輩は遙かに他の背後に

〓若たるの有樣なりし然るに閔泳翔氏が兼て海外漫遊

中に養ひ成したる種々の意見と今度新たに國政上に施

さんとするに當り尚ほ爰に一個有力の故障ありといふ

は金嘉鎭金鶴羽など稱する輩は其門閥名望固より閔氏

に匹敵すべきにあらずといへども其才智機轉の尋常な

らざるがために別入侍として國王に昵近し言を殿下に

進むること甚だ容易なるよりして閔泳翔氏が新政策も

屡々國王の嘉納を得ざることあるの一事なり是に於て

閔泳翔氏は自家の權勢を一掃強大にするの工風を求め

支那公使袁世凱氏に依頼して其助力を請ひ求め謀議す

る所ありしものと見へ八月十四日の午後支那公使館に

て朝鮮四營の大將等を饗應の席上にて袁氏は出所不分

明なれども自から認めて天津の李鴻章氏より送り來り

たるものと爲す一通の電報を披露したり其文意に依れ

ば同罪の爲め五萬六千の支那兵本日乘船して京城に赴

くとあり此次第の支那公使館より王宮に達するや國王

の驚き一方ならず此時病中なり王妃の如きはこれを

聞て一時氣絶したりといへり宮中にては去るにても何

等罪の罪を問ふ爲めに大軍を差向けらるゝにやとの評議

となり遂に袁世凱氏に參内を請ひ國王對顏ありて罪の

次第を尋ねらるゝに袁氏は其答を拒んで唯殿下の生父

大院君にのみ内閣すべしと云より止むを得ず大院君を

勞して支那公使館に同候せしめたるに袁氏曰く罪の次

第は一昨年金玉均の亂後朝鮮政府にて密かに露國の保

護を仰がんとしたるの一事なり此罪を糺すために支那

政府の要求する所は種々にして其中には王妃を廢し金

嘉鎭金鶴羽の流蜚近侍の奸臣等を嚴罰する事をも含み

居れりと此次第を大院君より國王に傳奏するや金嘉鎭

以下四人の別入侍は直ちに獄に下されて何れも死罪と

定まりし後閔泳翔氏は支那公使館より直ぐ參内して

昨日の電報は全く虚傳なり王妃を廢し近侍を誅戮せよ

といふも皆袁世凱氏の臆説なりと袁氏より聞きたるま

ゝを奏上しけれど扨は左樣の事にてありしかとて俄か

に四人の罪を免じ萬事皆舊に復せんとするを見て袁世

凱氏は又國王に舊を上り五萬六千の大軍來攻するの事

丈けは虚傳なれども支那艦隊の來て露韓密約の罪を問

ふは事實なりと申込みたるより四人は又々獄に下され

流罪と定まり政權全く閔泳翔氏の一手に歸したれども

閔氏は尚ほ功を大にし地位を固くするの目的を以て露

韓密約謝罪の爲めと稱して自から天津に赴き一先づ此

新狂言の幕を引きたるが閔氏が施行後に至り四人は流

罪を赦免せられ米國公使館は仁川碇泊の軍艦より水兵を

京城に召寄せて非常に備へ露國公使館は護衞兵を本

國政府に請求し支那軍艦は八艘の多き仁川に來泊し京

城の電線は支那人之を專用して他人の通信を許さざる

など目下の形状朝鮮半島一帶に尚ほ妖雲の慘澹たるを

認むるものといふべきなり

我輩は今此の次第を聞て一方には袁世凱閔泳翔諸氏の詭

計甚だ詭にして其擧動の甚だ亂暴なるに驚き又一方に

は朝鮮君臣の無知無氣力にして到底一國の大計を托す

べき者にあらざる事を歎じ一驚一歎案を打て大息する

こと一時幾十分時間なりしなり若し此朝鮮國をして阿

非利加沙漠海中の一州たらしめば我々の痛痒を感ずる

所甚だ緊切ならず偶々今回の事變を聞くも目前の新歴

史は千年前の古史を讀むよりも興味多しとて纔かに一

笑に附して止むを得べしといへども亞細亞の東端日本

の西隣たる朝鮮國の出來事は決して輕々に看過すべき

ものにあらず今回の如き事變にして再三朝鮮國内に發

生することもあらんには朝鮮運命の如何は論ずるに及

ばず直ちに我が日本の國運に關する容易ならざる形勢を

成すの日あるべし恐れざるべからず警めざるべからざ

るなり唯これに應ずるの工風は剛毅不拔の政策を堅守

し進んで朝鮮の國難を排除して併せて我自衞の計を盡

すに在るのみ若し退守自重して只管内の天下の無事を

祈るの際早くも各國の形勢一變して救ふべからざるの

地位に陷り爰に始めて百悔千恨することあるも我日本

國の爲めには寸益なかるべしと信ずるなり