「朝鮮の内憂は日清兩國の福に非ず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「朝鮮の内憂は日清兩國の福に非ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

朝鮮の内憂は日清兩國の福に非ず

古來亡國の跡を見るに其近因は内憂外患の二者にあり

而して内憂常に之れが主と爲り迫て外患の客を誘致す

るものゝ如し内に憂無きものは外患も左まで恐るゝに

足らず或は爲めに人心を奮勵するの功能もあり敵國外

患なきものは國常に亡ぶとは此意味ならん若し夫れ内

に憂あるに當りて敵患近く我に迫り國中不平の徒或は

内應の意を表し或は其力を假りて我が輿みし易きを示す

時は亡國の端爰開けて復た之を閉づ可らざるなり

支那の五代および趙宋の世には權臣時に位を爭ひ互に

相陷持せんとして或は北虜の力を假り或は賄賂を以て之

れに媚ぶる等屡々我弱を示したるが故に忽ち其亡ぼす

所と爲りたり波蘭にては貴族人民と相爭ひ内訌百端時

に隣境を騷がす程なりしかば忽ち露獨墺の三國に見込

まれて其三分する所と爲れり近くは彼の安南の如き廷

臣互いに權を爭ひ屡々國王を廢立し或は之を弑する等内

の鬪爭に忙はしかりしかば佛國輒ち其際に乘じて之を

其保護國と爲すに至れり内憂能く外患を招きて遂に其

亡國を促し古來の例證其一班を見る可きなり我輩熟々

近時朝鮮國の有樣を見るに權臣の紛爭頻年堪えず明治

十五年大院君の亂と云ひ同十七年金玉均朴泳孝の變

と云ひ又近日京城の混雜と云ひ其事の輕重義に合ふと

否とに論なく畢竟幾場の内訌にして一變一亂醜を天下

に傳へ興國には共に爲すに足らざるを示し敵國には其

輿みし易きを知らしむ、其然る所以のものは樣々の事

情もあらんと雖ども詰り國民の無氣力無見識、國是を

一定して上下之れに遵ふこと能はざるが故なり日本開國

の後は尊王の一主義を以て人心を貫き大抵の不平紛擾

は尊王主義にめんじてこれを抑へ上下一心能く維新の功

を成したるなれども朝鮮にては事大と云ひ獨立と云ふ

の其主義は一二人の主義にして國中の人心に對しては

最上〓を占むると能はざるが故に人々個々其志を伸べ

んとして不平紛擾已むことなく實に鹿を遂ふものは山を

見ずの喩に洩れず頭を擧げて隣國の形成を觀望するに

暇あらずして歩々亡國の跡を履むは氣の毒千萬の事ど

もなり

左るにても不審なるは支那政府の擧動なり同政府は今

日にても例の通り朝鮮爲中國所屬之邦の辭柄を握り居

るや如何は姑らくは問はず朝鮮は境を露國に接して實に

東洋の要衝なり一旦露國之を奪ふて冬時不凍の良港を

得ば東洋全面の福に非ざる可きに目下在朝鮮支那外交

官の擧動を見れば或は朝鮮の權臣私爭の事を知るもの

ゝ如く其政治上の詭計は小説の上乘に入り朝鮮を以て

恰も想像畫の稽古場と爲すにやあらん今回も大院君

をして李袁二氏朝鮮上下を玩弄する日已に久しとの嘆

を發せしまえたるが如き是れ果して支那の福か、八月

二十二日時事新報京城通信員の報に據れば在朝鮮露國公

使館にては先般支那公使袁世凱氏の虚言より城内從擾

せし以來新に護衞兵を置き度由を申し居れり代理公氏

ウェーバー氏は現に其兵卒の送方を本國政府へ申出で

たり云々とあり公使館護衞兵とあれば其數も亦寡少な

らんとは思はるれども今後其兵卒が朝鮮國に入り來り

何か内訌の都合抔ある時に朝鮮の或る黨派より此兵の

力を假る等の出來事も有りたらんには朝鮮の危急存亡

は云ふに及ばず恐らくは日清兩國の利害にも大關係を

及ぼすなる可し而して今日露國をして兵を京城に駐屯

せしむるの端を開きたるは在朝鮮の支那外交官なりと

云はるゝも遁るゝに辭なかる可し彼の李鴻章は頗る大

局に明なりと稱し天津に在て隱然朝鮮攻略を支配しな

がら個ばかりの利害を知らざる者歟、或は之を知て別

に大に企る所のものある歟、我輩はいよいよ之を思ふ

ていよいよ不審に堪へざるなり兔に角に朝鮮の存亡は

東洋諸國に對して其影響の利害實に甚だ大なるものなり我

輩は朝鮮を如何するやの疑問に就て速かに東洋外交官

の熟慮を謂はざるを得ざるなり