「養才論」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「養才論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

養才論

養才と申す問題は支那流の學者の毎度喋々する所にし

て其申條に昔し昔し支那の春秋戰國に孟嘗春申信陵の

諸君あり撃劍扛鼎談天雁龍堅白異同など云へる樣々の

藝能あるもの銘々に三千人ほども抱へ置き智勇辨力の

士をして其氣を吐くことを得せしめたれば彼等も大に世

の害を爲さざりしが降て秦の世に至り書を焚き儒を坑

にして養才の道を誤まりたれば不平の氣民間に鬱積し

て忽ち亂階を生じたり云々と説く其語氣より察すれば

彼等が所謂養才の目的は國家有用の人物を養成するよ

りも寧ろ智勇辨力の士の毒螯を除きて其をして世の治

安を害せしめざるに在るものゝ如し昔時外國交際の絶

無なりし世の中には文物工藝之を他國に比して其進歩

を促すの必要なく天下泰平を以て人間最上の望と爲せ

しが故に養才の目的も自然世の治安を保つの一方に歸

せしものならん當時に取りては無理ならぬ養才法なら

んと雖ども今や東洋の諸國、中に就て我日本國は西洋

文明の國々に變はり政治學藝商工軍備是を取り精を撰

み爰に其智巧を爭はざる可らざるの運に際會したれば

養才雖も亦大に其趣を改め西洋文明の文物藝術を目

當てとして其現に發達し居る丈けに我才能を養はざる

可からざるなり或は説を爲して日本人は想像に短にし

て模擬に長ずるこそ仕合はせなれ他國人が多年幾多の

勞費を擲ち千辛萬苦して工夫したるものを一朝傍より

模擬するを得ば發明の名譽は他國に在るも其發明品の

模擬に均霑することを得て甚だ徳用なる可しなど云ふも

のもあらんかなれども凡そ他の發明に摸擬して廣く之

を實地に應用するには之を創造する丈けの智巧なかる

可らず國中の智巧淺薄にして新思想の士に乏しきとき

は如何なる新説新案を聞見するも之を實際に應用して

其傳を廣うすること能はざるなり左れば今我國にて西洋

の文物藝術を目當てとして行く行く之れと長短を競は

んとせるに當ては是非とも養才の策なかる可らず才を

養ふて果して其大成を期するには其向きの人を優待休

養して常に外物の累を輿へず一心一向に其思想智巧を

練磨せしむるを要す然るに今日の有樣にては國家人才

優待の實なきが爲め才學の士纔かに學校の門を出づれ

ば糊口の計に忙はしくして寧處するに暇ならず不本意

ながらも專門の業に從事するを得ずして多年の修學を

水泡に歸するものあり或は潛心刻苦して發明の端緒を

得たれども器械を購ひ材料を求むるの力なくして其新

案を試むる能はざるものあり孰れも養才の道を得たる

ものに非ず特に近年に至りては政府の費途節減の沙汰

もありて海外留學生も追々其數を減ずる由なれども學

生の留學費、高の知れたる少額にして爲めに生ずる所

の結果は學生の身に附屬して永遠日本國の表面に顯は

れ文物にあれ工藝にあれ或は政治法律の事にあれ外國

人と競ひ内國人を利するの用を爲すものなれば個ばか

りの費用を養才に吝むは我輩の喜ばざる所なり又海軍

の學生が業を卒へて實地航海の演習を為すに大西洋地

中海等にまで遠航し歐米諸國の砲臺軍艦造船所等を巡

視し海軍上彼我の勢を審にするを得ば兵學士の爲には

非常の活學問たる可しと雖ども此等の地方を巡航する

には其費用少なからずとの申條にて從來の實地巡航は

濠洲布哇等偏僻の地に限るものゝ如し海軍擴張を急務

として新軍艦の注文などに熱心なる折柄、其軍艦を指

揮運轉する者に養成法を怠たらば他日軍艦成るに及ん

で沐猴駿馬に跨るの患なきや我輩の配慮する所なり蓋

し養才の法は文武を問はず其向きの人に餘資と餘暇と

を與ふるに在り昔時徳川封建の世には士人世碌を食み

て生計に乏しからざるが上に世事閑暇にして身を一事

業に托することを得たるが故に撃劍操槍弓術柔術等の類

其妙を極めて其奧に達したるものあり文士の著述等も

畢生の心血を注ぎたるもの少なからず特に當時の大名

中有爲の士人に保護を與へて其事業を大成せしめたる

の例もあり物徂徠の如きは若干年月に一卷の書を著す

を以て柳澤氏への奉公と為したることありと昔し佛人モ

ンテスキュー氏も時の某貴人に資給を得て萬邦精理を

著述することを得たりと云ふ東西其趣を同うしたる者と

云ふ可し左れば今我國に於て西洋文明國と其文物兵事

工藝の長短を爭はんとするに當りては政府養才の精神

を以て勞費を吝まず效の目前に顯はれざるを顧みず内

國に在ては學校教育博物館等の規模を大にし或は懸賞

分を募りて大に文士の競爭を促し或は文武の見習生を

ますます海外諸國へ派遣し學士を優待して其榮譽を増

し發明者の資力に乏しき者を助け文武の士を養成して

其才華を渙發すること何れの點より考ふるも甚だ大切の

事ならんと信ずるなり          (以下次號)