「僧侶を小學教員に用る事」
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時事新報に掲載された「僧侶を小學教員に用る事」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
僧侶を小學教員に用る事
日本國の佛法は文明開化の進歩と共に廢滅に歸す可き
や或は然らずして能く開化の風潮に伴ひ以て舊時の勢
力を維持す可きやとは識者の常に注目する所の問題なれ
とも其存滅論は姑く擱き今日の實際を見るに明治十
六年全國の
寺院 七萬二千零十六
教導職(神道を除く)七萬三千七百九十四
住職 五萬六千八百零三
(この住職は教導職の内の數にして其寺の數よりも
少なきは兼住の故ならん)
宗學生徒 二萬三千百五十二
とあり故に教導職と生徒と合計すれば九萬七千三百四
十六名即ち全國僧侶の總數にして此數の内より寺の住
職たる者五萬六千八百三名なりと知るべし今この教導
職の職務を尋るに普通の説教又は佛門生徒の教授等に
從事する者もある可しと雖ども其人員中の少數に過ぎ
ず又寺の住職なれば葬式の事、檀家の年忌法事に讀經
の事ある可しと雖ども左まで忙はしき勤にあらず而し
て其生計は如何と云ふに近年寺院も次第に疲弊して勝
手向不如意なる樣子なれども尚檀家信者の寄附に依り
又は寺々に附屬する田園の利益を以て飢へず寒へず其
衣食の業は全國民を平均して中等以上に居る者ならん
衣食に不自由なくして其職務は閑散なり是に於て我輩
の工風する所は此僧侶を文明學に教育して小學校教員
ならしめんと欲するの一策なり明治十六年の報告に全
國小學校の數三萬百五十六之に從事する教員九萬一千
六百三十六名とあり然るに今回尋常師範學校の改正に
依りて追々良教師を生ず可しと雖ども前號の紙上に陳
べたる如く師範校にて教育法の善美なるにも拘はらず
其卒業生が小學校の教員となるに及で月給僅に十二圓
内外なる可しとの見込みなれば人間世界の實際に於て迚
も斯る薄給を以て上等の人品は望む可らず蓋し十二圓
金とても今の辛き世の中に得易き金には非ずと雖ど
も苟も學者教師の地位に居り順良親愛の信義を備へて
兼て其威儀の重々しからんことを所望せらるゝ者が十餘
圓の月給にして唯この月給にのみ依頼して衣食すると
は何分にも其身分に對し不釣合にして迚も所望に副ふ
こと能はざる場合も多かるべし故に今全國寺門の固有
に衣食の手段あるこそ幸いなれ其僧侶の中より師範學校
の學齡に適する者を取りて規則の如く之を教育し卒業
の上は寺の住職兼小學校教員たらしめんには學校の給
料は假令十圓にても或は其以下にても既に有る生計の
外に得所のものなれば其氣分自から寛やかにして鄙劣
の沙汰も少なかる可し又僧侶なれば是まで其教育の趣
向こそ異なれども文事は元と基本色なれば之に文明の
教を授るときは方向を改て之に進歩することも亦遲鈍な
らざる可し又住職は必ず寺に住居して其寺の位置を見
るに全國到る處、人家あれば寺あらざるはなし大小七
萬の寺は正しく日本國中、人家の多少疎密に從て配置
し一大村に二ヶ寺あれば二小村に一ヶ寺ある等數百年
來の便利上より自然に成り立ちしものなれど日本の郡
村の寺々は正に小學校のある可き位置を占めたるもの
と云ふも可なり故に住職が小學校に奉職するも必ず遠
隔の地に往來するを要せず又或は村の事情次第にて直
に寺の建物を小學校に用るも一層の便利なる可し
以上に枚擧する所の便利果して便利にして實際に妨な
しとするときは各地方の學事に關わる長者は寺門に勤
めて其宗學生徒の俊英なる者を尋常師範學校に入學せ
しむること得策なる可し或は佛門の本山又並に衣食費迄
も學校より支辨する法なれども僧侶の入學する者は本
山教會より其費の幾分を辨じ其報として本人卒業の上
は其本山教會の指定する所の寺に住職して其地の小學
校に奉職せしむるなどの約束も雙方の便利なる可し
右の如くなれば日本國の學事に於ては經濟の困難を免
れて小學教場は月給の割合よりも好き教員を得べし
佛門の方にては小學教場に佛法を説かずと雖ども自然
に民間の空氣を佛法ならしむるの利益あるべし佛者は
滿足して學事の經濟には錢を省く、我輩は宗門に縁薄
くして其利害に關すること少なしと雖ども國の經濟の
一方より見て之を得策なりと云はざるを得ず但しこゝ
に一つの困難は日本の士君子は存外遠慮深くして外國
を憚ること甚だしきが故に今回の新策便利は便利なれど
も斯くては獨り内國の佛法を贔屓するが御特區見へて外
國の耶蘇教に於て何と之を思ふ可きや或は不快の念を
抱くこともあらん左りとは又困る抔とて外を憚るの一念
以て内の便利を顧みざる掛念なきにあらずと雖ども
是れは掛念するに足らざるの掛念なり本來この策は單に
經濟上より起りしことにて其精神は全く宗門の利害
に關するものにあらず故に内國の佛法が之に由て偶然
に利する所もあらば其利益を外國の耶蘇教に拒むの理
なし耶蘇教の内外徒弟をして師範學校に入學せしめん
とならば佛者と同樣心易く之を許して其欲する所に任
ずるこそ穩便の沙汰なる可し今日にても佛法と耶蘇教
とは常に競爭するが故に其競爭のままに差置き優勝劣
敗び結果を見るは多年の後なる可しと雖ども是れは我
輩の關する所にあらず唯我輩は目下國の經濟の利害に
忙はしくして案を立たる者なり