「命が物種」
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時事新報に掲載された「命が物種」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
命が物種
時事新報の〓説に於て毎々〓年有爲の士に勸告せられ今の文明開化の世の中に官員たらんよりは寧ろ商人たれとの〓訓は一々尤もなる言にして小生の甚だ同意する所なり小生は從來少し官途の經驗もあり又商業にも彼是手出して實驗致したる所もあるに付嗚呼がましくも記者足下が官商優劣論の〓考の一つにもと存じ從來小生の腦に銘じて忘るゝこと能はざる一事を告げ申さんに凡そ人間の身に一番大切なるもの〓生命なり生命なくしては百事廢滅に〓すべし而して此生命を長くせんとする術種々ある中にも別して大切なるは常に氣を養ひ心を〓えしめず愉快活〓にして心身共に悠然餘地あらしむる事是れなり然るに小生等の如き舊藩地の名の世に知れ渡らざる者にして官途に就かんか官途人才林の如きも自分の慾目より見れば尚ほ未だこれに滿足する能はず我一身の私に就て申せば彼の男は予に比すれば片腕の直打もなき人物なるに其月給を見れば予に三倍せり此男の無識無藝にして且つ〓惰なる予が家の門番にもお斷はり申すべき人物なるに其官職を問へば何々なり〓と〓に觸れ事に臨む毎に何か色々思ひ出して癇癪に堪へず早々公退私家に〓り茶碗避けでも一二杯あぶって無理に胸のもやくやを揉み消すこと日として月としてあらざるはなし茶碗酒の身体に有毒なるは姑く論ぜず一年三百六十日胸一杯に不平を〓めて散ずること能はざる其結果は〓背に發するまでに至らずとも日夜冥々の中に我玉の緒を少しづゝ切縮め居るものなり此不平も或は全く我驕慢心に出でゝ〓して他人の與がり知る所にあらざる如き塲合もあらんかなれども人間は兎角自分勝手なるものにて曲我に在るを悟らず何處までも他人を非なりとするがゆゑに我身何樣に立身出世するとも官途にあらん限り永劫此不平は止まざるなり然るに今民間に出でゝ商業に就かんか我同業の人々の中には愚人もあれば偏人もあり某店の主人の頑〓なる某〓の〓長の無學なる十人十色種々樣々の奇物ありて罵詈指〓に遑ならざることは猶ほ官途に在て我同僚の人々を品評する時に異ならざるなり然れども我身が官吏たると商人たるとの相違は官に在ては人の愚を見て我不平を〓し商に入てば人の愚を見て大に自から愉快を感じ彼の男斯の如く無識なり此男斯の如く無智なり到底一戰を試むる日には共に我〓虜たるべき人物なりとて獨り〓かに片頬に笑みて心中言ふべからざる歡喜を催すなり或は幸にして立身出世することあらんか我自から得たる財力を我れ自からこれを振り廻はす愉快は譬るにものなし或る不幸にして失敗せんか〓して其咎を他人に〓せず全く我智恵の不足なりしゆゑなりとて自から内に諦らめ再び氣を取直して〓くまで所志を達せんことを勉め曾て自から其勞苦を感ぜざるべし氣〓えぞ心ひがまず生涯男らしき擧動を爲して〓會の狭じきを感ぜざるは特に商人を然りとするなり人間は命が物種なり小生等の如き生れ故〓の者は官吏と爲りて不平に短命せんよりは商人と爲りて快活得意に長壽せんこと志士の本意なるべし