「朝鮮人の小計略は日本人の患なり」
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時事新報に掲載された「朝鮮人の小計略は日本人の患なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
朝鮮人の小計略は日本人の患なり
看客は九月二十八日時事新報の雑報欄内に朝鮮の奇獄と題したるものを一讀せられたることならん我が明治十七年十二月京城の變亂は實に朝鮮國の一大事なりしこと相違なしと雖ども變亂既に定まれば政府の方向も亦随て改まり西にも東にも其向う所を定む可きは政治上の要用にして又自然の勢なるに朝鮮政府に於いては會て其事なく金玉均朴泳孝等を開進〓の賊魁として之を〓むこと甚だしと雖ども其人を悪むと共に開進の主義を〓うにもあらず外國の交際は常に〓にして文明の事〓をば自國に導き入れんと欲するものの如し開進〓は支那に逆ふたりとて之を咎ると同時に兩來支那人が朝鮮を愚弄すれば亦その愚弄を甘んずるにも非ざるが如し結局無主義の政府にして見るに足るものなしと雖も爰に朝鮮の爲にも又これに關係ある日本の爲にも最も憂う可きは金玉均の亂の後、仮の政府に小人の出入すること甚だしき一事なり獨立の實業を以て身を立ることを知らざる書生輩が官途に熱心して様々の小計略を運らすは東洋諸國何處も同じ風俗にして我日本國も此悪風を免がれずと雖ども朝鮮に於いては最も甚だしく苟も國に事變あれば其事變が國のために利益を與える〓又害悪を爲すか利害は兎に角も第二の考に附して唯書生等が一身を思い其事に乗じ其變を利して立身出世の道を求る熱心は特に朝鮮國の士風に固有するものの如し例えば金玉均の亂後に六〓とて何も定まりたる主義あるにあらず亂の前には金玉均と説を異にせし者もあり又或は同説なる者もありしと雖ども其節の異同などは唯一時の〓にして何は〓置き事變に〓幸なれ臨機の都合次第右にも左にも節を作りて君邊に近づきたるのみ、都合次第に近づく者は都合次第に退けらるるも亦自然の數にして六〓の執權久しからずして罷〓しかども其後の有様も亦大同小異、誰れ一人として其實に國事を〓任する者あるを聞かず此際に甚だ危險なる者は彼の小人輩にして其運動種々様々なる中にも金玉均〓王妃の平生より悦ばざる所にして變亂の謀主たりしとなれば小人輩の目を以て見れば此奇貨空しう可からず乃ち説を作て或は金玉均は日本に居て日本政府の保護を受ると云い或は自由〓と謀を通じたりと云い或は八艘の軍艦千挺の小銃既に用意したりと云い虚言〓〓勉めて金氏の勢力を大造に云い倣して王妃を始め〓大〓を威嚇し〓その上にて小人輩は何の益する所あるやと尋れば斯る恐ろしき玉均なるが故に小臣國家のために之を捕縛せん、之を暗殺せんなどとて王室諸大臣に近づくを得れば先ず己が立身の登龍門にして黄白の蔓にも取付きたるものなり奇貨の利眞に奇なりと云う可し此奇策を發明したる者は去年春の頃張殷〓を第一等として第二は則ち暗殺使池運永なり此輩が日本に徃來するは其本心に於いて必ずしも事を成す可しと信ずるにもあらざれども唯其成ると成らざるとの間に出没して一時を都合好く取成し詐に詐を重ねて〓いよいよ窮するに至れば罪を他人に嫁して自から免がるゝ謀を爲すのみ即ち張殷〓の同謀者たりし宋乗〓が張に背いて之を〓したれば張も亦大に辨する所ありて却て宋を陥れんとするが如しは小人の計略の既に窮したるものにして兩人の言う所孰れか直にして孰〓〓曲なるは我輩の知る所にあらず又知りても益なきとなれども兩人共に最初その政府に向いた〓〓もなき〓言を献じたるや明なり此献言を以て一時は首尾好く八方を〓着しざれども近日漸く其馬脚の現われるに至りて乃ち小人の内輪同士に罪の歸する所を爭う者なり
小人の爭は小人の事にして我輩の意に介するに足らずと雖ども朝鮮の政府が斯る小人の言を聞いて其政客を左右し我日本に對する交際上にまで影響を及ぼすとは迷惑なる次第に〓〓あれ金玉均が日本に在るは朝鮮政府の悦ばざる所など云うと雖ども其實朝鮮政府なるものゝ精神は何れの邊に在るや之を知る可からず今日までの事跡に就いて視れば内に一定の主義なく唯小人輩の言うがまにまに運動する政府にして小人の言に日本政府は金玉均を保護せりを云えば之を聞いて恐れ或は日本政府は金玉均を惡んで之を罪したりと云えば亦〓〓れを信じて新に問題を起し時に随て其感覺を變じて日本を視るが映ずる所は様々に變化して常なきものに似たり先方の不明は兎も角も此方に取りては誠に迷惑なる次第なれば斯る政府に滿足を與えて交際を全うせんとするには我日本國の真面目を明にして情實を貫き以て朝鮮政府をして自ら小人の言を容る念を〓たしむる外ある可からず近来我政府は朝鮮の交際に於いて大に冷氣を催したるが如くにして其國都に公使さえ置かざるなどの次第なれば彼の政府にても我國の實情を知るに苦しみ時として甚だしき誤解を生じて交際を妨ること少なからず遺憾なりと云う可し朝鮮國小弱なりと云うも此小國の交際より由て生ず可き國事は決して小ならず今〓の豫防の策を案ずるに第一着の急は速に京城に全權公使を駐在せしめ同時に通商貿易の道を奨励し又或は學術の〓習、宗教の宣布、工事の受負等様々の手段に由り双方相〓るゝ點を繁多にして公使共に次第に相近づき其交際の冷なるものを温むること肝要なる可しと信ず兩國の交際その温度を回復するときは金玉均の如き之を日本帝國の地に置くも置かざるも國交際の一細事にして双方共に喜憂するに足らざることことならん若しも然らずして日韓の交際その冷淡なること今日の如くならんには僅に一個の金玉均にても朝鮮に於いて常に小人輩の奇貨と爲る限りは日本のためには亦常に面倒の種子と爲りて際限ある可からず路傍の風説には今度渡來したる彼の使〓李源競氏なども金玉均の拘留を聞〓態と日本行を思立〓るものなりとも云う其信否は知らざれども今のまゝの有様にて金玉均が日本に在らん限りは朝鮮國中に其談の止むことな〓る可し之を口にし耳にする者の〓加するに從て第二の張殷〓を生じ第三の池運永も現われ朝鮮政府の常に斯か〓て日本國は其煩に堪えざることならん策の得たるものに非ずと信ずるなり