「支那水兵暴行の談判」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「支那水兵暴行の談判」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那水兵暴行の談判

先般長崎に起りたる支那水兵の暴行事件は名の如く水兵の暴行たるを内外人の認め知る所なれば此事件を處分する法、豈他あらんや支那水兵は固より治外法権の外國人民なれば長崎裁判所の檢事は其暴行の始末を調査して相當の求刑書を同地の支那領事に廻付し領事をして事實を按じて夫れぞれ暴行者を懲罰せしむ可〓筈にして誠に正當明白の事なら斯くて支那領事は此正當明白の要求に應ずること勿論ならんと雖ども若し萬一にも異常不順當の廻答に〓も爲〓〓あらんには事、地方談判の範圍外に出て両大政府の外交官、國交際上の問題として更に大に談判する所な〓る可からず然るに當初我檢事は支那領事に對して求刑書を送りたる様子なりしが此際長崎縣知事は支那領事と談判することと爲り其談判凡そ三回に及ぶ比に忽ち又之を中止し先方よりは新に代言人を送ることと爲り此方よりも亦其向〓の人を派遣して改めて之を事實調査委員として水兵暴行事件の關係人を調査する由なれども當時暴行したる支那水兵は悉く長崎に滞留する〓にてはなく早く己に歸國して今は其所在さえ知らざる向きもある程の次第なれば此度の事實調査には日本人のみを呼出し支那方の代言人〓〓〓ら日本人の口供を取ることに從事し居るものの如く斯く日本人のみを詮議する時は暴行水兵及び其暴行に助力したる居留支那人等は豫め日本人の主として言張る所を知りて他日之れに答える〓柄を捏造する〓を得るのみならず支那方の代言人が法律に深〓らざる日本人民を詮議して其口供を押ゆる時は其人々の口供中にて彼の方に利する箇條を摘發し得ることも難きに非ず所謂舞文〓織にして尾に尾を附し枝に枝を生えて當初簡單明白なる談判も次第に紛〓交錯して遂に我に不利なることなきを保つ可からず畢竟此事件の初に當り尋常正當の法を以て我檢事より支那領事に求刑したれども未だ〓否の沙汰もなき中に知事と領事との談判中止したるが模様變りの初めにして夫れより間もなく彼れより新に代言人を送りて事に當らしむることゝ爲り、實際の着手に至りて先ず日本人の〓を調査することと爲り、歩々皆先方の望む所は滑に運びて都合宜しきが如くなれども斯く先方にて模様の變わるに随い我政府は之に應じて其向きの官吏を派出し左右に辨論談判する其〓〓も容易ならず實に〓〓なる次第に〓〓も〓區々たる外國水兵の暴行〓の本は〓在より出でて少し禍根がましく働きたるまでの事にして兩〓の政治上に〓〓〓き〓〓のために貴重なる政府の官吏豫名を〓〓し又これを召還して何箇月の〓〓を費し今日の處にては恰も日支帝國の交際事務を處するが如きの觀を成したるは果して支那政府の本意に出たるものの我輩は殆んど之を信ずるを得ず若しも彼の本意なりとあれば即ち事を好む政府にして我も亦不本意ながら之に應ずることなきを得ずと雖ども或は然らず例の漠然たる大國の政脈は四肢の端に達するを得ずして遠隔の地位に居て事に當る者は唯〓の事の重大錯雑を悦び序ながら一塲の名刺を利して態を鄭重を装い小〓の戯を知りつゝ以て大人の仕事に活用するには非ずやと我輩が聊か此に疑を起すも自から由〓なきに非ず其次第は今回の一件に就き支那の吏人が態々長崎に來り或は事情探索に家屋借用に種々様々の事に錢を費し或は私に人を雇い或は證據人を作る等随分騒々しき次第にして然〓も公然出張吏人の棒給さえ甚だ豊なりとのことなれば極内實の處にて當局者の利害に訴れば事は小ならんより寧ろ大なるを面白しとし落着は速なれんより寧ろ手間取るを利なりとせざるを得ず漠大政府の枝末には随分ある可き内事情にして浮世の活劇に毎度演ずる所なればなり左れば今この粉〓を拂いて迅速に局を結ばんとするには從來代言人等の談判は一切これを抹殺して事の初に立戻り當初我檢事より彼の領事に送りたる求刑書の趣意を執りて動くことなく簡單に構えて彼の應否を待つこそ策の得たるものなる可し聞く所に據れば天津の李鴻章氏は國交際の大局を知る者にして日支の交際をば〓くまでも平和に維持せんとする主義なるよしなれば徒に中間の風雨に遮られて退〓會釋するは際限もなきことにして遂には平和一遍の李氏をして其方寸の所期、望外に出たるの威を爲さしむ奇談もある可し畢竟我が求る所は多きに非ず唯日本の國權を損ねるなきに在るものなれば既に中道にして彼れより模様を換えたる其談判を今回は我れより之を換えて初歩に立戻り速に結局に至る策は我日本の利益のみならず支那交際の方論に當る李鴻章氏の本意なる可し臨機應變は政略の常なれども其一様に臨み一變に應ずる毎に一塲の粉論を増加する如きは我輩の取らざる所なり