「生産業の保護」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「生産業の保護」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

生産業の保護

西洋の經世家は經濟上専ら分配即ちディストリビューションの事を講究するに力を盡して生産即ちプロダクションの事に注意するには左まで深切ならざるが如し盖し然る所以のものは他に非ず西洋諸國にては民間に資本家もあり起業家もあり人々獨立に生産の事を營んで政府の保護助言を煩わす塲合少なきが故に經世家も亦敢て其邊に干渉するを要せず唯其生産を公平に適當に分配する計策に就てのみ獨り其思案を勞することならん然るに我日本國にては民間獨立の企業家に乏しく資本家資本なきに非ざれども〓識甚だ小にして活〓に之を利用するものなく國中到る處山に水に將た平地に遺利の拾う可きもの多しと雖ども理財の識なくして其遺利を拾う工風を得ざるものあり或は之を知りて之を拾う勇なきものあり要するに我國にては私に獨立に大仕掛に生産の事を營むもの少なきが爲め其生産業を振起して國の爲めに商工の規模を廣げんとするには政府の保護も時に必要なる塲合なきに非ず即ち日本の經世家が居常殖産興業の事を喋々たる所以ならん左れば西洋諸國にて經世家が國の經濟論として論ずる所を聞けば大抵分配の事にして彼の英國に喧しき愛蘭處分議案の如きも其の一部分は土地買上策の如く分配論に属するを見て事の一班を窺う可きなら然るに從來我國にて經世家の立論計畫する所を見れば生産の事大半を占め蠶糸業甚だ振わずと云えば政府の手を以て製糸塲を設立し或は生糸改良の爲めにとて保護金を給し原野開墾の爲めにとて官金を貸し下げ茶業振起と云い陶器改良と云い生産の事の振興に就いて政府の保護を仰ぐもの少なからず尚お北海道の部に入れば砂糖昆布干〓等の製造採獲を始めとし生産の事にして一も政府の保護を煩わさず純〓として獨立に營業するものなきが如し是れ即ち今日に於いて東西經濟の趣を異にする根原にして我輩は我國の進歩の爲め痛惜たる所なりと雖ども從來の處にて國歩の先後如何ともす可からず政府が生産の事に干渉するも誠に是非なき次第なりとして〓て今後の經世家に向いて我輩の所望を申せば政府は最早民間の生産に干渉せず殖産興業は巧にも拙にも一に人民の私に任じて西洋經世家を學び其生産を公平適當に分配する方案にのみ關心するようの覺悟あらんことの一事なり從來政府が民間の生産業を保護するに就ては官邊の〓〓に〓じ得たるものは保護の甘露に浴して得々たれども顧みて其保護に〓わざるものを見れば一方の生長する程に此方〓委縮する姿にて爲めに當惑するもの少なからざりし由あり但し幸にして此際に外國人を交えず當惑も不都合も總べて日本人同士の關係なれば餘り外聞にも立たず餘り不平にも逢わざりしとなれども今後條約の改正ありて外國人が追々内地に雑居し山に水に將た平地に日本人同様に生産の事を營むに當り政府獨り日本人のみを保護して外國人を度外視することを得べきや何の生産にても政府の保護あれば目前の處にては幾分〓便利あるのみならず其便利は徃々他の不便利を釀すことあるが故に此際政府にて偏頗の保護を與うることあらば雑居の外國人等は或は不平を鳴らすことあらん是等の苦情を外にして一般に思考したる處にても政府が生産業を保護するは毎度不得策の例少なからず盖し人間の弱點として政府の保護などを得るときは恰かも無盡藏の鍵を得たるが如き想いをなして或は當初より規模を廣げ過ぎ或は何處となく不取締の廉を生じて十分見込みある事業にても得失相償わざるに至るは珍しからぬ例にして拝借金は皆無と爲り返納の責任は一身一社に歸して「官金も今は仇なれ是なくば」など評す可き境遇に陥りし者なきに非ずという左れば人々の結局の便利を謀るも政府は最早私業に干渉することを癈し人々をして其私の力に堪える丈けの生産業を營ましめ政府は唯其營業の自由を妨ぐるものを拂い財の既に成りたるものを公平適當に分配せしむる事丈けに注意すること我輩の希望する所なり