「保護を癈す可し」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「保護を癈す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

保護を癈す可し

我輩嘗て官邊の某氏に面し政府が民間の生産業を保護して官金を貸し下ぐれば其拝借の人々は或は規模を廣げ過ぎ或は管理其法を誤ち毎度失敗の沙汰あり云々の談に及びたる時其人の説に民間の企業者が生産業を起すに就いて政府の保護を請願せしもの其數を知らず其請願書を見れば此業を起せば云々の國益あるに加えて其純利年年何分何割に當ると請合なり杯自から信じて發言するを常とすれども從來の例を以てすれば思いの外に國益とも爲なず何割何分の純利は正しく其反對にして何割何分の純損を生じ年々歳々保護乃至拝借金の幾分を徒費し去るもの少なからず誠に苦々しき次第なれども又一方より思考すれば何の世何の國にても時に禍乱なきに非ず其禍乱を〓〓するには莫大の費用を要するものにて現に明治十年西南の乱には凡そ四千萬圓を費したり斯くて禍亂平定して後、國に何程の利益ありや幾千萬圓の大金は殆んど海中に投じたると一般、何の利益も爲さざるのみか徃々其餘毒を見しことならん之を思えば彼の生産の保護金の如き毎度其豫算に齟齬して金の大半を損ねることあるも其金は戰亂の費用の如く〓散〓消するに非ずして國内何人か之を得るものあるがゆえに敢て惜しむに足らず云々と云えり斯し害の一方より見れば私業干渉の害も亦甚だ小なれども是れは盗難に遇いて火災に遇いしよりは害少なしとて強いて自から慰むる類にして本來の性質より云うえば害の大小こそ違え共に取る可からざるものなり且つ彼の生産を保護して其目的を誤まる害は單に保護金を失うに止るものありと信ずるは大なる〓見と申す可し其故如何と云うに政府の保護を受けたるものは目前の會計餘裕あるに任せ事に因りては民間の同業者を〓倒して徃々純粋なる民業を妨害する例少なからず例えば蠶糸業を振興すと稱して官金を借用したる者杯は成繭季節各製糸家が繭を買入るゝに際し自家の損益相償わざるを顧みず極めて高價を命じて一手に其繭を買入れんと競爭し民間の製糸家は爲めに其業を〓喪するがごときも其一例として見る可きものなり左れば殖産興業の事は一に之を人民の私に任じ人々の腕次第に働かせて何事にても政府は斯る保護を加えることを見合わせるこそ今の時勢に適當の方案なる可し斯く云えば人或は不審を起して今日までは日本國中の生産業に外國人を交えず遺利を拾うも拾わざるも日本人同士の間柄なれば左まで關心なるに足らざれども追て内地雑居を許せば資本あり〓識ある外國人は遺利を見て袖手するものに非ず日本人にして早く之を拾わざれば彼れ先ず之を拾う可きが故に政府は今日までよりも尚〓一層保護干渉の區域を廣げざる可からず云々と云う者もあらん此説一應尤なりと雖ども日本人民に〓識なく遺利あるも之を知らず之を知るも之を拾う勇なき限りは政府が限りある保護金を何程巧みに與えたりとて外國人の〓斷を制す可きに非ず且つ從來の例を以てすれば民間獨立の事業は實着にして忍耐の氣に當み其事業の利害を感ずること頗る深切なるが故に規模小なるも基礎堅牢にして能く久しきに耐える力あれども其筋の保護などを仰ぐ者は當業の利害を感ずること何處となく不深切にして會計散漫徒に外見を張り一時の〓聲四隣を震ぐも金漸く盡くせば聲も亦漸く低くして外國人などに對して實地に永く相對峙し得べしとも思われず故に今日の計は早く保護の何物たるを知らしめ追て外國人の内地に雑居する頃までには其經〓を長じ其〓識を増して一身獨立に外國人と競爭する準備を爲さしむるに若かず若しも然らずして政府より民間の生産業に干渉し從來の如く是れを保護其れも保護と一々私業を保護するときは〓盧の草木野風に堪えず、外國人雑居中に立て之れと競爭上下すること思いも寄らぬ次第ならん我輩は追て内地雑居の後事を案じて政府は今より彼の保護の事を癈し人民をして獨立に生産業を營む習慣を養成せしむる用意あらんと偏に希望に堪えざるなり