「保護を仰ぐ可からず」
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時事新報に掲載された「保護を仰ぐ可からず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
保護を仰ぐ可からず
殖産興業の事は一に之を人民の私に任じ人々の腕次第に働かせて政府は最早此邊の事に干渉す可からずとは單に政府の方より立論したるものなれども人民の方より云うときは成る丈け政府の干渉を謝絶して私に獨立に營業する覺悟なかる可からず盖し我國の商人が今尚封建時代の風習を帯びて商賣上獨立の氣概なきは毎度我輩の嘆息する所なり但し封建の世に在りては外國貿易の事なかりしが故に重立ちたる町人は大小名の邸に出入して其御用を勤め所謂御用達町人の得意先は其區域大抵限りありて苟も其好意を失うときは營業の道も爰に閉塞する姿なれば平身低頭偏に其愛顧を繋ぐことを〓めたるものにして徃時外國の貿易なく商賣の區域甚だ狭かりし世の中には商賣上の方便として是れも亦是〓なき次第なりしならん然るに今日は之れに異なり外國貿易はますます繁多、商賣の區域は廣大にして之を望んで際限なき程の次第なれば獨立獨行の商人は内得意先い媚びて只管其愛隣を乞うことを要せざる筈なれども百年の卑屈根性一朝にして改む可からず今の重立ちたる商人は兎角官邊に取り入ることを勉め陰に陽に媚を其向きの人々に献じて其恩顧を〓うせんとするものゝ如し左れば今の商人中にて紳商などの名を冒すものあれども此紳商が一旦官邊の人に對するときは威儀もなく品格もなく平身低頭して唯先方の機嫌に逆わざらんことを勉むる其有様は昔の素町人が封建時代の權門に媚びるに異ならざるが故に此紳商輩が集合体と爲りて朝野一般に對する時も其品位勢力亦自から卑小にして之れを西洋諸國の獨立商人に比すれば固より同年の談に非ざるが如し例えば彼の商法會議所の如き西洋諸國にては全般の商業事務に對して頗る有力なるものにして政府が他國と通商條約を結び或は之れを改正する塲合杯には必ず其商法會議所に諮問し商業上時々の疑問、商法律の改正等に就いては毎度其意見を聞くのみならず此商法會議所の答案及び建議案は朝野一般に對して信を得ること最も深く其勢力廣大にして徃々政府の議を左右し政府も亦常に之を採用するのみならず商賣の一事に於いては商法會議所は正しく政府と對等の地位を占め事の針路は全く會議所の指示に出ると云うも可なり日本の商法會議所も既に其名義あれば亦右同様の事〓を取扱わざるには非ざれども本來獨立の本義を知らざる商人共が〓を國事に容るゝとは片腹痛き次第なり杯を頭ごなしに罵る者さえ少なからずして朝野の信任亦随て〓きが故に會議所の意見が世に實力を有する輕重に至ては東西大に其趣を異にする所あるが如し盖し今の日本國にて官邊の恩顧を仰ぐは其事の卑屈なる程に幾分か好都合の塲合もあるとならんと雖ども金さえ儲かれば身は如何程に卑屈なるも可なりとは商人の本義に非ざる可し獨立獨行自力に依頼して他より分外の助力を借らざれば縦え分外の奇利を獲ることなきも商人として世間に對するときは其信任厚からざるを得ず商人の身の自重とは此邊に在て存するものなり讀者諸君は定めて記憶するならん去年秋米國太平洋汽船會社は米國〓信大臣の待遇を喜ばす會社と政府との談判整わずして兩後會社は米國政府の郵便物〓送方を拒絶し毫も其意を屈せずして本年九月中迄凡そ一年の間、睨合いたりしが斯くては双方の不便なりとて政府も折れ同月より從來の通りに復して會社は米國の郵便物を〓送することと爲れり我輩は今其事の曲直を問わず太平洋汽船會社が米國政府の爲めに其意を屈せず一年間の久しき自利を殺し毫も之を顧みざるを見て天晴れ文明商人の獨立自重、日本商人杯の〓も企て及ぶ所に非ざるを感賞したり商人が自重獨立の志なく容易に官邊の威光に屈するようにては今後内地雑居に際し堅〓不〓の外國人に接して能く日本商人の面目を保つことを得べきや如何甚だ覺束なし我輩は國の獨立の爲め先ず我商人の獨立を企望して己まざるものなり