「支那の貿易」
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時事新報に掲載された「支那の貿易」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
支那の貿易
近來北支那天津邊の貿易望みありとの事にて大坂の諸商人等は此程東亞貿易商會なるものを創立し天津に出店して日清間の輸出入を開かんと目下經營中の由、又聞く所に據れば支那政府にては石炭運輸の爲め開平天津間に鐡道を敷設するに就き獨逸のクルップ商會は英國の某商會と其請負を競爭して勝を占め其鐡道の枕木は我三井物産會社にて引受くることになりたりと云う(因に記す支那には鐡道の枕木に適する木材なく今後追々鐡道を延長するに就いては枕木の供給を日本に仰ぎざる可からず斯くなる以上は日本の木材は支那輸出品中の重要なるものと爲るべけれど日本商人の手際にては支那當路者に取り入て直接にっ之を賣渡す能わず唯在支那の外國人に向いて手數料を拂い其手を經て之を賣捌くより外に善工夫なかる可しとの説あり)誠に祝す可きとなれども從來南支那の貿易にては毎度日本人の失敗したるの例少なからず因て今既徃の經歴を擧げて聊か未來の参考に供せんとす
從來支那の貿易に於いて日本人が大功を成〓能わざりし其原因は種々様々ならんなれども此貿易に從事する商人中に適當の人物なきこと其重立ちたるものならん元來日本人の考にては支那貿易は海外人との取引なれば縦い支那語に通ぜざるまでにも英語の一端を知り少〓活〓〓は萬國に形勢を心得たるものに依頼せざる可からずとて上海香港邊に出店し又通商するものは専ら書生流の人物を採用したる事なるが此流の人物は上海香港邊に至りたる處にて心早くも支那人を輕蔑し忽ち在支那英國商人等の所爲を學び大店を構え体裁を飾り飲食を美にし交際を張りて所謂紳商を氣取る其傍に支那商人は質素節儉汚穢を厭わず粗衣薄食を意とせず物を賣る時は氣根よく掛引し之を買う時は氣根よく直切り現に我伊萬里九谷等にて陶器を仕入るゝに支那人が製造元に談判して買入るゝ直段は徃々日本輸出商の仕入るゝ直段よりも廉なりと云う盖し支那人の如きは商賣上一種の秘骨を具するものとも申す可きか而して商賣上此支那に〓〓するものは獨り彼の獨逸人なり、獨逸人の質素勤儉にして商賣上に氣根よきは英國人杯の及ぶ所に非ず英國人は年來の商賣にして近來は自滿心と云う譯にてもあるまじけれども少しく腐敗を生じたる氣味ありて衣食住華奢なるが故に兎角費用倒れにして其商賣品割合に廉ならず獨逸人は店舗の体裁等は相當に飾れども其内部の生活を見れば食物は粗薄にして使丁の數は甚だ少なく随て其商品廉直なれど英國商人は次第に其商域を〓食せらるゝ趣あり但し商舘の手廣くして取引の大なるに至りては英のジャーディンマジソン商會即ち〓和洋行の如きものありて上海香港の商賣の大〓を掌握すれども小仕掛の商賣に至っては次第に独逸人の〓倒する所を爲り現に香港にても英商の數漸く減じて獨逸商人は益々増加する勢いありと云う斯く在支那英獨兩商人の所爲を比較したる處にて從來支那貿易に從事したる日本商は兩商人孰れの方に類似するやと云えば寧しろ英商人に似たる所ありと云わざるを得ず盖し日本人の考にて外國貿易と云えば桑港紐育等の貿易も上海香港邊の貿易も其〓梅加減同一なりと心得、單に少〓活〓を目當てとして其向きの人物を採用するが故ならん久しく香港に在留して近頃歸朝したる人の説に支那貿易に從事するものは簿記法を知らざるも可なり送〓の執筆に當惑するも可なり片言交りにても英語を談じて其見聞〓に東方亞細亞貿易の概略に通ずれば外に所〓はある可からず要するに聲に非ず〓に非ずして其心掛けは彼の近江商人の如き氣根と勤儉とを兼ねるこそ〓わしけれ云々と云へり盖し破的の言なるが如し左れば今後日本人にして支那の貿易に從事するものは實〓なき書生流の人物を採らず質素節儉に堪え粗衣薄食に〓へ外面の装飾などに頓着せずして世事辛くジリジリと商賣の事を營むものを〓ばざる可からず支那人は一種特別商賣上手の人民なれば此人民に對して商賣するに英米人などに取組むものと同一の筆法を用いるが如きは〓ての外の沙汰にして其失敗の先例は既に多し今後特に慎む可き事なり (未完)