「支那の貿易(前號の續)」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「支那の貿易(前號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那の貿易(前號の續)

前號に陳述せし如く支那の貿易には其向きの人物を擇むこと最も大切なりと雖ども商賣上の〓梅加減に至ても亦大に注意す可きものあり第一商品は商賣の區域に割合はして輸送せざる可からず、日本の商人は商賣上團結して共に永く其利を占る習慣に乏しくして外國貿易品中何か一つ利益ありと聞けば銘々勝手に之を輸出して一時に其の一塲に持掛け賣價を競爭するがために遂には濫製粗造の弊に陥り忽ち其の品の聲價を下して自他共に倒るゝ例少なからず米國に日本の雜貨を輸出するは年來の商法にして隨分利益あることなけども其の失敗するものは毎度の例として賣者の競爭共倒の外なしと云ふ支那の貿易に於ては特に此の弊多く先年支那にて我國の摺附木を需要し新〓〓の摺附木の如きは其評判特に高く當時獨逸製と最上にして一〓二十八九弗新〓〓製は二十四弗内外其他歐洲諸國の製は凡そ十七八弗位の相塲にして此際我輸出に濫製粗造なく且つ其輸出額に幾分の制限ありたらんには永く一〓の支那貿易品と爲りしならんに我國人は摺附木を製し一時に之を支那地方へ輸出したるが爲め品物は市塲に溢れ且つ其中に濫製もありしかば支那人は商標の如何を問うはず玉石混淆して日本マツチは不良なりとて一〓に之を〓斥し遂に其需要を〓絶するに至れり、好し又濫製の弊なきも凡そ物を賣るには先づ其物を持込む可き筈なるに之に反して未だ市塲の廣狭も分明ならざる處に品物を堆くするときは勢其聲價を下さざるを得ず或は人が支那貿易の法を説き品物に因りては出張店に見本のみを備へ置き需用の客を見て其品物を取寄するに若かず巨多の品物を現地に貯ふせば彼をして我脚下を〓はしむる恐あり云々と云ひしは盖し其要を得たるものと云ふ可し、第二巨多の品物を輸出するには豫め其市塲を轉換する覺悟ある可し、日本人は〓して未だ海外の地理商況に慣れず例へば品物を香港に輸出する船便船賃は如何等甚だ不案内なるが故に香港にて賣捌けざるも其市塲を轉換せずして泣く泣く投げ賣りするを常とす現に明治十七年中日本國中不景氣なりしが爲め内地にて所謂投賣品を支那へ輸出すること流行せしが其際大阪の商人にて伊萬里久谷等の陶器を同時に香港へ輸送せしもの二三名あり斯くて差當り此陶器の需要者なきを以て之を同地の競賣舘に陳列せしに當〓は多少の買客もありしが時日を經るに隨て一對幾百圓の花瓶も其價土の如くなるに至ると同時に兼て待設けたる外國商は忽ち之を購買したり外國商は何故斯く陶器を買入せしやと云ふに香港は四通八達の地にして上海の方なり西貢新嘉〓の方なり將たメルボルン、シドニーの方なりへ自由自在に運輸交通することを得るが故に直段さへ安ければ何程同一の品物を仕入るゝも處々に配分して之を賣却する道に窮せざればなり惜哉日本商人は此邊の事に不案内なるが故に香港にて〓れざれば更に他の市塲へ移らんとする機轉なく金を土に換ふるが如き拙策に出でたることなり故に支那貿易に從事するものは特に此呼吸を知ること緊要なりと云ふ第三商品の仕立をして需要者の意に合はしめざる可からず、日本人は自分の技倆に任せて商品を仕立つることなきども支那人は固く自分の流義を守る人民なり而して日本人は賣る者にして支那人が買ふ者とあれば賣者は勉めて買者の嗜好に投ずる工夫なかる可からず例へば日本より輸出する扇子は小形にして支那の男子の用に適せず甚だしきは此小形にして支那の男子の用に適せず甚だしきは此小形の扇子に日本の尋常賣書斎家が芋山羅列、〓〓併行の手際を示すもあれども書斎は支那人の所長なれば偶ま一笑を招くに過ぎざるのみ又當〓我北海道より輸出したる〓詰は白紙に黒字の商標を張りしに支那人は之を喜ばざるを以て遂に其紙を赤にしたることあり其他素〓を束ぬるに赤紙を以てし摺附木に張るに五色の紙を以てする氣受〓きこと等細かに需要者の嗜好を察したらば商賣上大に便利を得ることある可し

以上に列記する所は支那貿易に關する注意の一班に過ぎず且つ支那は大國にして南北の人民其氣風習慣を同うせざる點も多かる可きが故に當局商人は凡そ此等の方向より細かに其商賣の道を探究すること甚だ肝要なりと思はる特に南支那の商賣に於て日本人は〓に失敗の先例もあれば今度追々北支那の貿易を擴張するに就ては前例を鑑みて大に警戒する所なかる可からずと信ずるなり(完)