「整理公債の募集に逢いて金穴の去就如何」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「整理公債の募集に逢いて金穴の去就如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

整理公債の募集に逢いて金穴の去就如何

何れの國にても通貨なるものは商賣の媒介にして金力ある人が其資本を工商の事業に卸して爲に殖産の繁昌も望む可きなれども其金滿家が商賣社會を顧みずして公債證書のみを買入るるときは恰も資本を殺したる姿にして國の金穴は有れ共なきに等しきのみ例えば銀行は商工の金融を助る爲めのものなるに近來日本の諸銀行は金を活用する道なきに苦しみて公債證書を買入れ其利子を政府より請取りて株主に配當するが如き其事實として見る可し銀行にして銀行の用を爲さざるものなり然るに不幸にして我日本國は四五年以來商況不景氣、國中の資本家は其資本金を用るの塲所なく遇ま之を借用せんとする者あるも甚だ不安心にして貸す可らず是に於てか公債證書の買入れに心を専にして相互の競爭その價格をせり上〓遂に今日の頂上に達したるは商賣上の不吉不祥これよりも大なるはなし資本家が斯くまでに低利に安んずるは其資本家が以前に倍して國の豊なるが爲めには非ず唯商賣社會の信用薄く之を手放す可らずして手元に溢るるが故に止むを得ず自から不利に觀念するのみ左れば此富豪者が公債證書を買入るゝは事實餘義なき次第にして國の殖産の利害如何は之に顧るに〓あらず其本人の身に利益とあれば之を恕す可しと雖も我輩の見る所を以てそれは本人の私の爲めを考えても之を利益と云う可らざるが如き資本家は四五年の不景氣の爲めに非常の損亡を蒙り仮令へ其元金の數を減ずることなきも從前は元金百に付き十乃至十二の利を得たるものが今は貸金に又公債證書に所得の利は前年の半額に過ぎず即ち資本の名は前の如く百にして〓の〓をば半減したる其趣は一時十節の汽船と五〓の汽船と交易したるに異ならず即ち家の資産を半減したるものなり誠に氣の毒なる次第なれども世上一〓の異論などは〓く之に堪え忍び少しく商況回復の端を見たらば資本の働も舊に復し資産半減の夢も醒めて名〓〓に十分と爲り始めて大に運動して不景氣數年間の創痍を癒さんとするは正に今の商人の心〓なき可きに爰に此度び整理公債證書の發行に逢いたり商人等は此時に當りて如何の謀を爲すや政府は正當の約束に從い六分以上の公債を償還するものなれば人民に於て一に活用を試るか誠に目出度き事にして國の殖産の爲めに〓す可きは勿論本人の爲めに謀りても久しく資本を遊ばせて公債より引〓して商賣に用るは恰も資本金の本〓とも云う可き次第にて必ず勝利なる可しと思へども又一方より浮世の有様を考えれば人の心は弱きものにして殊に一度び臆病神にとりつかれたる上は際限もなく物事を恐るゝ當なるが故に彼の商賣工業に懲々して公債證書と拜み奉りたる拜公債宗の故老輩は利益の厚薄を顧るに遑あらず、かりそめにも公債ばあれば五分利も七分利も差別なく身代を奉りて公債證書の上に閑座し子孫綿々智愚を問わず千代萬世の末までも國軍に集まりたる國民の租税金に衣食せんと欲する者なきを期す可らず甚だ妙案なるに似たれども拜公債宗の信者がよくよく斯くと安心決定したるものなれば我輩は聊か此信者に向て問答を試みざるを得ず抑も信者は公債に信心發起の其時より今日に至るまで其利益常に圓滿にしてゆめゆめ失望したることはなきや試に見る光明嚇灼たる金〓公債證書の表面には

此證書の利息は明治十年より始め明治三十九年まで年七分の割合を以て條例の如く年々兩度に通貨にて拂い渡すべし此證書の元金は明治十五年より明治三十九年まで二十五箇年の間毎年大藏省の都合を以て抽籤の方法を用い拂い渡すべし云々

とあり信者は數年前百圓の額面を七八十圓にて買い爾後其相塲の次第に騰貴して是れは意外の利益なりと思いしこともあらん或は騰貴の頂上百十圓以上の時に買入れ不〓下落して是れは思わざる損毛なりと失望したることもあらん但し是等は得意失望の些細なるものなれども今度整理公債の一發には甚だしき震動を催したることならん百圓の正價を以て六分利以上のものを引き上げらるれば是れまで市中賣買の相塲百何圓を以て買いたる其何圓丈けは全損にして訴る所ある可らず誠に氣の毒なる次第なり尚おこれよりも氣の毒なるは信者が證書を所有して毎年抽籤の運不運はあるも明治三十九年まで今より二十年の間に平均すれば不運は二十分の一にして所有二萬圓の中一萬九千圓丈けは必ず七分の利息を働く者なりと一向一心に信じたる其甲斐もなく七分の利息は別れを告げて出替る五分利の證書が百圓とあれば差引二分の利益は夢まぼろしの如く消えて痕なきものなり夫れのみならず信者が是れまで諸種の公債證書を買うには智惠のあらん限りを盡し金〓は云々企業は云々我れは金札引替とせん否な中山道に若かずなどと再三十露盤を弾き再四相談を遂ぞ水も漏らさぬ勘定にて最上のものを擇び又擇ばんとする其心配の最中に整理の一發平等一切六分以上は都て償還を定まりて〓に智惠を振る〓ること愚かと、心配したるこそ無益なれ、金の損亡は〓置き精神の徒勞という可きものなり尚お夫れのみならず抑も今度政府より整理公債を募集して六分利以上の交際を片付るは世間の金滿家が商賣には手を出さずして坐食の方に目を配り外に低利を厭わず内に儉約を主とし〓く長く家を保たんとして遂に六分以上の公債を百何圓にまでせり上〓實際この資本金は五分利以下にも安んずる情實の現われければ政府に於ても之に注目せざるを得ず民間の金利は五分以下に下りながら政府が獨り六七分の利息を拂うは不相當なり、國民の納る租税金を以て金滿家の坐食に奉ずるは謂れなしとの主義に出たることならん如何にも德義上に愧ぢざる處分なれば我輩は金滿家の私の爲めに謀りて其失望の次第甚だ氣の毒にはあれども今日の處にてこれを如何ともす可らざるのみか今後とても決して安心と云う可らず其次第は目下民間の金利が凡そ五分にして公債證書の價格も凡そ其割合に居ればこそ政府が六分利以上の公債を整理償還すれ共今より後、世間の商況は引續いて衰弱の色を現わし資本家はますます商賣を恐れてますます坐食を謀り、ますます公債證書を買込んでますます其價をせり上げ民間金利の平均は三四分に迄も下りて五分利の公債證書が百何十圓に上ることもあらんには其時には政府は更に三四分利の整理公債を募集して從前發行五分利以上のものを償還す可きは必然の數なり如何となれば世間の金利は三四分に下りな〓ら政府が獨り國民の租税金を以て高利を拂うは德義上に不都合なりと言う者ありて其言が尤に聞ゆ可ければなり若し萬一も斯る塲合に至るときは彼の拜公債宗の信者は會て百と思いし其資本金を以て僅に三四十の働を爲さしめ百の〓器を擁いて六七十の實を損する者と云う可し誠に憐む可き次第にこそあれ然りと雖ども更に眼界を廣くして天下の大勢を察すれば今の文明の商賣社會には天保時代の素町人を容る可き餘地を遺さず何れの道にしても其運命の長からざるは疑もなき其中に今度の整理公債募集の如き之を利用すれば必ず勝利ある可きなれども若しも然らざるに於ては富豪者の自業自得唯だ自から衰勢を促がすに足る可きのみ