「地方税支出の法如何」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「地方税支出の法如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

地方税支出の法如何

現今日本の社會は改良進歩の大勢に乘じさるものにして外人の雜居許さゞる可らず海陸の

軍備擴張せざる可らず鐵道の線路伸張せざる可らず衣食住の事改良せざる可らず交際徃來

の法亦宜しく改む可し經國經世の大事より一家一身上の細事に至る迄何れも改良進歩の途

に在りて而も焦眉の急に迫り居る事なれば目下我社會の改良進歩は寸時も徘徊躊躇の態を

なすべきにあらざるなり、よしさらば日本社會の方向は改良進歩にあるものと一定したる

處にてさて其途に進むに當り第一に先立つものは金錢の沙汰なり文明の世界は即ち金錢の

世界にして之に達せんとするに金錢なくては叶はぬ事れば改良進歩を謀ると同時に金錢を

造り出す事第一の緊要事として世間に殖産興業の談頗る喧しきも畢竟これが爲めならんな

れとも殖産興業の事は一朝にして起るべきにあらず、よし又起りたるとするもその得益は

即刻直に収納すべきものにもあらず左りとて世界の大勢を顧みれば文明進歩の風潮は日に

駸々たる其中に處して獨り徘徊躊躇す可きの時にあらざれば兎に角今代の日本人は改良進

歩の愉快と實益とを買ふが爲に公に私に金錢を費すこと多きものと覺悟は極めながらも其

これを費すの方法如何に至りては大に勘辨あるべき事にして殊に府縣一地方の經濟を理す

るに當りてこの邊の注意最も肝要なる可し

我輩地方の人に接して其言を聞くに明治十二年府縣會の始て開けし以來両三年は何れの議

塲にても所謂減額論流行し民力の負擔に堪へずとか不急の土木見合すべしとか申す辭は原

案拒絶の城壁となり事の緩急前後はさて置き一厘一毛にても原案の金額さへ節減し得れば

夫にて人民の依托は盡したるものゝ如くに思ひ込み當人の得意は勿論、傍人も之を喝采す

る程の有樣なれば一方に於ては原案者も豫かじめ此事情を酌料し原案の金額に二三割の懸

値をなして之を議塲に持出し討論辨説の末終に双方二三割の懸引にて丁度その中を得たる

が如き奇談も徃々なきにしも非ざりしが數年來の經驗と社會一般人智の進歩とによりて近

來は斯る奇談の沙汰も消へ失せたるのみか却て議會の方より進んで新事業を起し税額の増

加を促がす事さへあるに至りたりと云ふ然るに茲に注意すべきは今後地方税支出の事なり

前記の如く目下日本の社會は改良進歩の途に在るものにして地方税の支辨に係る事項即ち

警察、土木、監獄、教育、衛生等の事は今後何れも改良擴張を要するものならん數年の後

外人内地に雜居する事ともならば現行の法律を改正すると共に今の警察監獄の制の如きも

大に改良を要する事ならん鐵道の便開けて運輸交通繁劇なるに至れば道路の開通、橋梁の

改築等も亦隨て必要を感ずることならん其他教育衛生の事とても一として改良擴張を要せ

ざるものなかるべければ今後地方税の支出は益す増額の方に傾くものと覺悟せざるべから

ず日本社會改良進歩の爲めとなれば税額の増加は敢て恐るゝ所に非ずとするも其金を消費

するの方法に至ては大に勘辨を要すべき事なり今の日本社會は改良進歩の大勢に乘じて公

に私に金錢を費すこと多く申さば事多くして金錢逼迫の時なれば能く事の前後緩急を分別

し經濟の要を誤ることなくして巧に之を理するの考案最も大切ならん例へば專ら教育の事

にのみ力を用ひて莫大の金額を校舎の建築に抛ち校門は巍々として縣の一方に聳ゆるの壯

觀あるも顧みて管内の道路を看れば修繕行屆かずして獨木橋頭、車馬を通せず新道の開墾

半ばにして廢し舊路の枝折漸く尋ねべからず徒らに行人をして路岐に泣かしむるが如き或

は警察の仕組はよく整頓して十二分にまで行屆き微を漏らさず細を遺さず恰も摩姑の手を

借りて痒を掻くの想ありといへとも顧みて河川の治水法を看れば姑息懶惰を是れ事とし堤

防は崩るゝに任せ水は流るゝに任せ一朝霖雨洪水の變あり稻田麥園の流失したる後に至り

て空しく損害の大なるを悲しむが如き總て此等の類の事は皆甚だ妙ならず大に當局者の勘

辨を要する所なるべし盖し日本社會今日の情態は前既に論じたる如く多事多端にして寧ろ

金錢に逼迫なる折柄なれば一府縣内の小經濟の如きは一處に於て異常に費す所あれば他所

に於て異常に省く所なきを得ざるべしさりとては後來改良進歩の上に障碍を與ふること少

なからざれば能く事の前後緩急を考へ或は事の重大にして多額の費用を要するものは一時

一年度に支出せずして之を両三年度に支出するの便法もあることならんとにかく最後の目

的を改良進歩と定めよく其釣合ひを失はず整然其方向に進まんこと地方税支出の經濟に就

て我輩の希望する所なり