「ノルマントン號事件の輕重如何」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「ノルマントン號事件の輕重如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ノルマントン號事件の輕重如何

去月二十四日紀州沖に於て沈沒したる英國船ノルマントン號事件に就ては我々同胞生者は

溺死者二十幾名の非業を憐れみノルマントン號船長以下乘組員の所爲を怪しみ中情悲憤に

堪へざるものあり東京の五大新聞社は相聨合して死せる同胞二十幾名の遺族の爲めに義捐

金を募り其他小新聞社中にも亦同樣の發起を爲すものある由にて之れに應ずる人々は朝野

歴々の貴婦人紳士より商工農士會社學校の類に至るまで陸續として相當の義捐を爲し以て

聊か死者の冤魂を慰めんとするものの如し又船長以下乘組員の所爲の不審に對しては世間

の物議も一ならず昨今來此事件に關する投書は層々本社編輯局の机上に堆積する程の次第

にして此事件が世上の感覺を激動すること中々容易ならざるを知るに足るなり目下我國の

人心が此事件に關して斯くまで鋭敏に爲りたるを見て世上の所謂持重老成家の部分には個

ばかりの事に神經病を起して騒ぎ立るにも及ぶまじなど云ふものあり或はズツト飛び揚が

りて文明の仙客とも評す可き人々には既に頓悟を開き今日世界の人事活劇は恰も乘合船の

中にあるものにして日本國の運命は殆んど紀州沖の溺死者に異ならざれば二十幾名の日本

人が彼れが如き運命に罹りしも固より怪しむに足らざるなりとて泰然として動かざるもの

もあらんかなれども苟も文明國間に獨立して其體面を維持する程の國人にして其同胞兄弟

二十幾名が右樣の運命に罹りたる塲合に臨み恬として顧みざるが如きは人心の法則に於て

許さゞる所なり試に日本船が英國の船客廿餘名を載せて地中海邊を航海中暗礁に觸れて難

破したる其際に日本の船長以下乘組員は悉く無事、如何なる人事の變化にや英國の船客は

日本乘組員が端船に乘移ることを勸めたるをも聽かずワザワザ命を捨てたりとの報道一朝

英國に達したらんには其時に英國人は恬として顧みざるや或は泰然として動かざるや我輩

の想像を以てすれば英國上下一時にワツと騒ぎ立ち乳虎の其兒を奪はれたるが如く咆哮激

怒して日本の其向きに嚴談す可きや疑を容れず日本縮小なりと雖ども其東洋に獨立するの

資格に於ては英國の大西洋に獨立するに異なることなし而して其國人が同胞兄弟を愛護す

るの深きは决して英國人の下に在らずとすれば今回の事件に關し朝野貴婦人紳士の義に勇

んで死者の遺族を惠まんとし將た又世の志士論客が夫れ夫れの方便を以て悲憤慷慨の言を

盡さんとするは誠に是れ文明國人の義侠心にして我輩は此義侠心なかりせば以て一國を維

持する能はずと公言するものなり

前陳の次第なれば今度の事件に就ては我々同胞生者の義務として飽くまで我要求を滿足せ

ざる可らざること勿論なれども一歩を進めて論ずれば此事件の結着如何は西洋人の眼より

見て日本人の品位を何の邊に置くや恰かも其程度を測るに足るものなれば我輩は死せる二

十幾名の冤魂を今日に慰むるのみならず併せて後來の鑑戒とも爲すべきやう此事件に向て

大に滿足を得ざる可らざるなり抑も西洋耶蘇教國人が其國人同士の間柄にては神妙に道徳

論を守りながら耶蘇教國外の人類は牛豕同樣人間の道徳を以て律するに足らずとして徃々

惨酷を極むるは中世以降西班牙人の亞米利加土人に於ける英國人の印度人に於けるを首と

して今日に至るまで其例甚だ少なからず勿論國の文野智愚如何に由りて西洋人が之に接す

るの工合に多少の斟酌はあることなれども其支那人に對する模樣を見れば或る部分に於て

は野蠻人を遇するに異ならざる所なきに非ず先年佛清戰爭中福州の役に佛軍は支那の軍艦

が沈沒して支那人の水に溺れて流るるを見て之を助けざるのみならず或は其上より砲撃し

たることありとて一時世の物議を招きたることあれども是れは敵味方の塲合なれば一種特

別の事として擱くも此戰爭の頃英國船某號は香港を發して上海の方へ北進する途中支那の

風帆船に衝突しながら知らざるまねして行き過ぎたれば風帆船は沈沒して爲めに多人數の

溺死あり支那の新聞紙などは其當座一時英國船の殘酷無情を訴へたれども遂に泣き寝入り

に歸したるは我輩の今に記憶する所なり即ち西洋の耶蘇教國人が支那人を遇するの法なれ

ども我日本國人も彼等の眼中に於ては敢て區別する所なきや今回紀州沖の難船に耶蘇教國

人は一名の怪我死を除くの外悉く無事、日本人の船客は印度生の火夫等と共に恰も同運命

に罹りたるを見れば今日の處にて耶蘇教國人の眼中日本人と印度人とを區別せざること明

白なり我々日本人たる者が斯る悲慘無情なる待遇に甘んじ其無状を摘發して以て後來の鑑

戒と爲すの勇なく空しく支那人の泣き寢入りを學びたらんには耶蘇教國人の眼より見て日

本人の品位は永く道徳以外に落つるの危險なしとも云ふ可らず故に今回の事件の成行如何

は現在日本國權の輕重に關するのみならず後來日本人の品位を定め耶蘇教國人が之に接す

るの厚薄をも定め兼て又彼の耶蘇教の道徳論は果して一視同仁にして其功徳能く其教國人

以外にも及ぶものなるや否やを定むるの一事端なれば我々日本人は官民の別なく自國の大

事として之に心配するのみならず亦以て耶蘇教旨の實際如何をも視る可きものとして之に

注目すること肝要なる可し