「悲憤して濫す可らず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「悲憤して濫す可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

悲憤して濫す可らず

ノルマントン號沈沒事件に就ては世人の悲憤容易ならざることなるが斯かる塲合に臨んで

悲憤するは一國民の當然にして其容易ならざるこそ誠に頼母しき次第なれ共古來各國の例

を見るに國民悲憤の餘、知らず識らず爰に濫するに至ることなきにあらず先年故西班牙國

王アルホンス陛下が佛國に行幸の砌、巴里府の暴民が陛下に對して何か不敬の所爲ありし

との報一朝マドリツド府に達したるに同府の人心激昂して遂に同所の佛國公使館を襲ひ乱

暴狼藉の末其國旗及び徽章を引き裂きたるが如きも亦其一例として視る可きものにして智

識ある國民の部分に於ては國の面目に對して大に戒愼す可き事共なり盖し彼のノルマント

ン號船長の所爲は内外國人の共に疑惑する所にして神戸英國領事廳にても當初の海事審廷

にては船長以下を無罪と判決したれども追て兵庫縣知事内海忠勝氏の告發に因て開きたる

豫審廷にては被告ドレーク氏を有罪と决したる程の次第なれば死せる二十幾名の同胞なる

我々日本國人より見て其所爲の悲憤に堪へざるは勿論、被告の同胞なる英國人にても心あ

るものは之を聞て國辱なりとまでに感ずるものさへある由なり又溺死者の身の上を顧れば

人生は泡沫幻影、諸行無常なりとは申すものの二十幾名の多き空しく紀海の藻屑と爲り何

處の浦、彼處の沖に流されて魚鼈の腹中に葬られしやも知らずとは哀れ果敢なき事共にし

て我々哀悼の情爲めに〓(さんずいに玄)然たらざるを得ず斯くて被害者の不幸を悲しむ

と同時に到害者の無状を憤るは人間感情の常なれども此致害者其人が英國人なるを以て一

般の英國人をも疾視し又其耶蘇教國人なるを以て併せて耶蘇教をも非難するが如きは俗に

云ふ坊主を憎んで袈裟に及ぶの類には非ずや區々たる一ドレーク氏が其一個人の資格に於

て何程の大罪を犯したりとて其は當人の不埒に止まり一般の英國人民は相も替らぬ我親愛

の友にして耶蘇教は一視同仁、依然たる耶蘇教ならん誠に簡單明白の事理にして苟も常識

あるものはコレ式の道理を解せざる筈はなけれども廣き人間世界には一時悲憤の餘、事の

分界を誤認して或は其悲憤の一端を到害者と同國の外交官などに洩すの心得違ひもあり兼

ねぬやに聞込めり若し萬々一にも左る心得違の輩もあらんには目下條約改正の談判などあ

るに際し外交官の間に互に不快の感情を起す等の事ありて或は外交上の重大事にも間接に

多少の影響を及ぼすが如き不幸なしとも云ふ可らず斯かる時節に際會しては國民一同〓愼

に〓愼を加へて區々たる一個人に對する悲憤の爲に國民公平の見を誤る可らざるなり聞く

所に據れば今回の事件に就き東京代言人組合にては代言人公平の旨に遵ひ組合代言人中よ

り委員を撰び船長以下の辨護を引受け公平至当に辨護して日本の代言人は法律上の事を斷

ずるに依怙の沙汰を交へずとの寶を天下に表白す可しとの説ありて遂に之を可决したる由、

天晴れなる决議かな、法律家の眼界は斯くも濶大にして斯くも公平ならざる可らず兎に角

神戸英國領事廳の豫審廷にては船長ドレーク氏を有罪に决したれば追て何分の公判あるべ

く之れに續て溺死者の遺族より損害賠償の私訴も起ることならんなれども賢明なる英國判

事の裁斷を得て死せる二十幾名の冤魂を慰め兼て又我々の悲憤を慰むるの日あるや疑を容

れず我同胞被害者の不幸を聞て之を悲しみ致害者の無状を聞て之を憤るの情は我輩决して

他人に讓らずと雖ども左ればとて公私情理を混同して悲憤の極遂に爰に濫するが如きは我

輩の取らざる所なり我輩は我同胞人と共に二十幾名の爲めに心喪を服して謹んで此裁判の

成行如何を注視せんと欲するなり