「第一回整理公債募集の景况を聞て感あり」
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時事新報に掲載された「第一回整理公債募集の景况を聞て感あり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
第一回整理公債募集の景况を聞て感あり
世人の熟知する如く整理公債は從前發行六分以上利附の内國債を償還するが爲めに募集す
るものにして年利は五分第一回募集分の賣出し價格は證書額面百圓に付金九十八圓其募集
額は一千萬圓と定まりてより日本理財社會にては其評判大方ならず目下商賣の有樣は如何
にも不景氣なりとは云ふものゝ資本を運轉して年に五分ばかりの利を見るは左まで難き仕
事に非ざれば十露盤玉の考ある人々は賣出し價格より餘程低價に非ざれば其募集に應ぜざ
る可しと云ふものあれば又一方には今の日本の金權は五十以上下り坂の故老の手に在り而
して此故老輩は文明流の商法を危險なりとし實は金を持餘して之を金箱に幽閉せんか、
否々公債には利子の附くあり五分にても四文にても之を擇ぶに暇あらずなど思案に暮るゝ
最中なれば二念なく之を買入るゝならんと云ふ者もありて大に其見込を異にせしが去る二
十日までにて募集濟となりたる第一回分は日本銀行本支店及び九十餘箇所(百八箇所の中)
代理店の募集概算額一千六百五十四萬七千餘圓にして申込價格百二圓餘に達したるものも
あり百圓以下の申込人には或は落札せざる可しなどの風説もあり悉皆調査濟みの上ならで
は我輩固より此邊の詳細を知るに由なしと雖ども兎に角第一回の募集丈けは我政府も目出
度く其目的を達したるものゝ如し但し整理公債は大藏大臣財政の便宜を計り一億七千五百
萬圓を漸次に募集するの手順にして今回募集の一千萬圓の如きは僅に其十七分の一に過ぎ
ざれば今回應募の景氣甚だ宜しければとて二回三回二億圓足らずの大金額を全く募集し盡
すまで毎回此の如き景氣なる可きや否や固より豫言す可らずと雖ども一説に據れば我政府
は此機に乗じて直に第二回の募集に着手するならんとも云ふ今回の模樣を以て推測すれば
第二回も亦第一回同樣の好結果を呈するかも知る可らず政府の財政上には差當り都合よき
ことなれども日本全國の商賣産業上より觀察すれば我輩は中心寧ろ悄然たらざるを得ざる
なり
前陳の如く我政府にて年利五分の整理公債一千萬圓を募集すれば其賣出し價格の券面百圓
に付九十八圓なるにも拘はらず百圓以上の申込頃刻にして其募集額に達するとは抑も何等
の事相なるや本來日本は東洋の一國、資本少なくして貧乏人の多き國柄なれば金の利息が
四分五分抔とは理財上一時の奇相にして日本の金利の本色なりとは受取れ難きことなり畢
竟今の金權を握る者は年概ね五十以上下坂の故老にして近時文明の商賣産業を見れば其眼
に映じて一として新奇ならざるなく又一として危險ならざるはなし特に明治十二三年頃一
時世間の興に乘じて少しく新事業に着手したる者は爾後滿天下の不景氣にて將棊倒しに失
敗したれば火傷者の火を恐るゝと同一の例にて日新文明の商業談を聞けば爲めに毛骨悚然
たる者なきに非ず此流の人々は時勢の如何に頓着せず商賣奔走の骨折を擧げて一に之を政
府に讓り自分は先づ整理公債を買ひ今後一日、日本の金利が果して其本色を現はして或は
大に騰貴す可きや否や敢て其邊の事を想はず兎に角この證書さへ所持すれば何一つ苦勞な
くして五分の利は受合なりとて瞑目蟄伏するならんかなれども首を擧げて日本社會の景况
を見れば鐵道敷設は到る處其必須を告げざるなく内地雜居外國人の來て手を下さゞる前に
山に水に將た平地に殖産興業の着手を待つもの决して少なからざるなり斯くまでに興業の
必要を感じて又これに從事す可き有爲の人物もありながら何故に之れに着手せざるやと問
へば曰く資本なしと答へざるものなし今日の勢、興業の事は其必要を感ずること斯くまで
切にして然かも後來多望なるにも拘はらず此部分には全く資本の窮乏を告げ五分利附の公
債に對して獨り資本の流注するは日本全般永遠の計に於て我輩少しく悄然の情なきを得ず
故に我輩は我政府が整理公債第一回の募集に於て目出度く其目的を達したるを祝すると同
時に資本家が此公債の利子に安んじて産業社會に勇進せざるの實あるを嘆ぜざるを得ざる
なり