「支那との交際」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「支那との交際」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那との交際

我輩尋常人の眼を以てこれを窺ひ遂に其如何を知ること能はざるものは支那人の了見なり

支那人にして若し鎖國閉居し一切他人の交際を謝絶して自から足れりとする者ならんには

何樣の了見を貯へ何樣の擧動を爲すも敢て我輩の相關する所にあらずといへども苟くも世

界の一國として遠近に國交を求むるの意ならんには今少しく文明の思想を養ひ文明の禮儀

作法を習ひ文明の道を以て文明の人に交はることこそ願はしけれ否らざれば親交平和を求

めて却てう讎敵禍亂を招くの奇觀なきを期すべからざるなり

支那は古へより世界第一の文華國を以て自から誇り四隣を輕侮してこれと共に齒するを肯

んぜず偶ま歐洲より傳播したる當代文明の主義が彼等の所謂聖人の流義と相合はざるを見

てこれを嫌忌すること蛇蝎も啻ならず一切これを排斥して益聖人の道を明かにせんことを

希望したりといへども文明の力は野火の如く洪水の如くにして向ふ所前なく支那の運命も

孤城落日の歎を免かれざる折柄前年佛蘭西と安南東京の主權を爭ひ遂に干戈を以て相見る

に及び佛國は其艦隊を支那海に廻はしく沿岸所々を擾乱し支那海軍の大半をも打沈めたり

といへども其軍略殊に緩漫にして短刀直入の策を用ひず曠日彌久の餘漸く支那と和親の交

を回復して安南東京の主權を得たる其有樣は猛虎老牛と一塊の肉を爭ひ三晝夜相挑みて未

だ其勝負を見ず肉は遂に虎の所有に歸して相分れたりとはいへども牛は爾来牛視せられず

して却て虎視せらるゝこととなりたると一般此一戰以後支那人は大に世人の敬畏を博し隨

て自大の心日に益增長して日に益世に驕り其米國に對し露國に對し又英國に對する擧動の

大に從前と相異なる所あるのみならず此際殊に甚だしく人目に映ぜしは其日本に對する擧

動にして從前の温和遲鈍は何時か變じて活溌倨傲と爲り其朝鮮に關する所置の如き一々日

本人に不滿を與へざる者なく中に就き明治十七年の乱に關係ある彼の袁世凱氏を再び京城

駐在の全權使臣の命じたる事の如きは其最も甚だしきものなりしなり然るに支那人は此等

の事のみを以て足れりと爲さず本年八月に至り水師提督丁汝昌氏をして其艦隊を率ひて長

崎に來泊せしめ士官水兵日に上陸して市街を往來する際同月十三日の夜水兵の一人例に依

りて醉狂の事あり一先づ其始末を了りたる後十五日の夜に至り數百の水兵は士官と共に市

中に暴行して人命財産に大損害を加へ巡査市民等死力を盡してこれに抗し纔かに其鎭定を

得たりとの事は當時長崎に於て我檢事より發したる求刑書を見ても其實を知る可し然るに

此事件に關する兩國官吏の談判に支那人は言ふ可らざることを言張り求む可らざるものを

求め兎角圓滑ならずして之が爲めに談判も中止するに至りたりとは我輩が前日來長崎より

の報知に聞く處にして事實果して斯くまで切迫したるや否やは固より未だ承知せざる所な

れども兎に角に今回長崎事件の如き其理非曲直の在る所明々白々なるものにして斯くも談

判の長延くとは甚だ不審千萬の事にしてこれ必竟支那人が無理の故障を言ひ立てゝ事の遂

に爰に及びたるに相違なかるべしとするは甚だ道理に近き推察なるが如し抑も支那人が近

年我日本に對する擧動の甚だ穩かならざるは〓の原因の何れに在るやを知るべからずとい

へども〓り〓我輩の臆測する所を以てするに支那人は國と〓〓の文明を悦ばず其次第に世

界に傳播して遂に隣國日本にまでも及ぼし來りたるを見て心中憤懣に堪えず人を恨みて推

かざる折柄佛國との一戰に首尾よく遠來の敵兵を苦しめて遂に平和を復したるは種々の事

情ありて然るを得たるものなりとは思はずして全く我力の獨り強かりしがゆえなりと爲し

佛國既に斯の如し况んや其名聲の佛國の下に出る者に於てをや今日今後敢て我中華に對し

て禮を盡さゞる者あらば東西遠近の別なく嚴に懲罰して容赦する所なかるべし夫れに付て

も彼の日本は小國の分際として妄りに歐米の開化を慕ひ或は臺灣に或は琉球に又或は朝鮮

に其擧動の不遜にして我中華の面前に在るを忘れたるが如き有樣あるは奇怪至極の事共な

り我國近來幸にして露佛諸國との關係なく又英國の好意を得る淺しと爲さず宜しく今の時

を機會として日本をして大に自ら發明する所の者あらしむべきなりとの意にて扨は近年の

如く意外の擧動を爲して毫も憚る色なき所以にてもあらん我輩の臆測其果して事實に中る

と中らざるとは固より我輩の目から判决すべき限りにあらずといへども萬一にも事實の幾

分かに適中するに相違なきものなりと定まらんには我輩は更に又一歩考を進めて日本は是

よりして漸く多事ならんことを恐るゝなり何となれば今日までの實跡に於て支那は道理に

依賴して事を定むるの國柄にあらざること明白なればなり既に道理を見ざる以上は水兵の

醉狂もこれを取鎭めたる者の罪となるべく誓言約書も恃みと爲すに足らざるべく國と國と

の交際も虎狼の交際と其品位を同うするに至るべければなり支那との交際は决して油斷す

べきものにあらざるなり