「日本と濠洲との貿易」
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本文
日本と濠洲との貿易
左の一篇は本年二月東京灣を解纜して濠洲南洋地方の巡航に赴きたる帝國軍艦筑波號に便
船して各地を巡覽し過日無事に歸京したる學士志賀重昻氏が南洋巡航紀聞中の一節なり、
時事新報記者
日本と濠洲との貿易 志賀重昻
工業興すべし物産殖すべし日本人は冐險企業の氣概に乏し宜しく英米人を則る可し我國内
に資本の餘裕無し宜しく外債を起す可し外國の資本を輸入す可し外人の内地雜居を奬誘し
て以て國内の金融を滑かにす可しとは是れ今の學者が奬説する處なり其議論の是非は予の
與り知らざる處なりと雖も假りに我國萬般の事物をして悉く志士が意の如くならしめ毫も
不滿不足無き境遇に到りたるものと想像して資本は日本國内に充實し各種の工業は日に月
に興り諸般の物産は海のごとくに盈ち山の如くに堆きもこれを消費しこれを販賣するの好
市塲無ければ眞に寶の持ち腐りにして所謂寶粱隴に盈つれども用無ければ納めざるに等し
きものと云ふ可し今日我國の風潮は漸次興業殖産の一途に歸する傾向あれば數年を出でず
して國内に工業生産の興起するは期して待つ可きものなり然れば今日より豫め後圖をなし
周ねく各國を通覽して其俗を察し風を觀て箇々の嗜好を査し人々の需用を考へ以て他日の
爲めに廣く新販路を世界に求めるは敢て大早計と云ふ可らず其事の肝要なること猶今日陸
海軍參謀の諸士が各國の兵勢地形人情等を視察するに等しきものなり將た又今日只今と雖
ども我國の物産を新に消費販賣すべき好市塲あれば敢て他日を待たず直ちにこれに手を着
け盛んに通商貿易を試む可きは理の當然にして予が〓々を待たざることならん
我日本の東隣を米國となし西は支那、北は露領浦潮斯德地方にして南隣を濠太利洲(濠洲
並に新西蘭)となす東西北の三隣國は夙に吾國人の通商貿易する處にして公私の交際往來
も亦頻繁なりと雖も獨り南隣の濠洲に限り今日に到るまで未だ毫も我國人の注意を惹かざ
るは實に不可思議の至りなりと云ふ可し、今日の濠洲は五年前の濠洲に非ず今日の濠洲も
亦後年パナマ運河落成後の濠洲に非ざるべし其進歩發達の速かなるは尋常思想力の外に出
で眞に駟馬も及ばざる有樣なり人口は三百萬に餘り廿萬人以上の都會ニ箇、一萬人以上の
都會十餘箇を以て數へ鉄道線の延長は業概ね五千英里を超へ其人民を問へば敢爲剛毅の氣
象を以て名を博したるアングロ サクソン 民族中の最も敢爲剛毅なるものゝ團結したる
ものなり斯く文明開化の一邦國が近く我が南隣に在るにも拘はらず我輩が今日まで此れと
交通往來せざりしは眞に解すべからざる次第なり尤も我國の物産と雖ども濠洲の市塲に販
賣を試みたる事無きに非ず即ちシドニー府のハイド公園に到れば日本人種中にて最下等の
摸本とも稱すべき人類三十九名の出品あり即ち乞食芝居の役者、喰詰めたる茶屋女、傀儡
師、藝妓、破落戸等にして所謂日本村落の材料をなすものなり其他二三有爲の日本商人あ
りと雖も此輩は皆本年三四月の交シドニー府に到着したるものにしてグランド ホテル
の三層樓に宿泊して時々些少の取引きを試むるものに過ぎず予の希望する處は斯くの如き
規摸の偏少なるものに非ず我國有爲の資本家が團結して大に爲す處あらん事を切望するも
のなり
我日本より濠洲に到る海上は風波殊に静穩にして所謂太平洋の名に負かず煙波五千三百英
里帆走船の早きものは三十五日長きも五十日を出でず濠洲に達すべし其順路を記るさんに
先づ碇を横濱に抜き帆を揚げて東南に航駛すること數日にして東北貿易風の區域に入る此
區域に入れば風位甚はだ變更せず恒に一定の方向より吹來り天象の變化錯亂も亦尠きを以
て隨て勞を用ひ力を要する事も少なし斯くて數日を經過し赤道線を橫過して南半球に入り
漸く進みて南緯五度の處に到れば内中外の三航路あり尋常の帆走船なれば中路を取るも敢
て危險の患無しとす此航路はビスマルク群島の間を航駛するものにして(ビスマルク群島
は輿地圖上にソロモン叢島と記載する處なり去年五月獨逸國占領以來今の名に改稱したる
ものなり此航路は先年我國帆走船謙信丸が月夜に經過せし事ありしが絶へて危險の憂無か
りしと云ふ)此れより復た東南貿易風の區域に入り旬日ならずして濠洲の連山を右舷に認
めこれに沿ひ航駛する事一兩實にして旭日の旗章を翻へしてシドニー港に入り碇を投ずれ
ば其日の毎夕新聞は早くもこれを探訪して直ちに其紙上に登録し嘖々として日本人の冐險
大〓なるを稱揚するならん且近時濠洲人民は日本人の敏捷にして清廉なるを欽賞して措か
ざる處なれば我船舶の携帯したる貨物は直ちに〓を盡して復た餘す處無きに至る可し
此帆走船が携載すべきものは如何なる物品なるべきやといふに先づ濠洲人が食卓に供する
印度米は濃〓にして風味宜しからずとの評あれば宜しく此機を外さず濃淡相和して佳味な
る日本米を持ち往くべし(但し器械搗き米に限る)、濠洲の人民は富豪にして且女子の衣服
を裝飾する事男子よりも甚しければ宜しく我絹布、縮緬地を送るべし(愛蘭の婦女が炊婢
となれば本國にて一箇年の給料五十弗英國にては七十五弗なれども濠洲にては百八十弗を
受く故にシドニー邊にては下婢に至るまで美服を着せり)、陶器、漆器、生漆皆妙なり、日
本製の麥藁帽子は閑雅なりとて近時西洋人の好評を得たれば此れも送るべし、濠洲人の日
常飮用に供する茶は印度、支那製の紅茶にして我が緑茶に非ず故に國製の茶を持ち往くは
無益に似たれども南米諸邦にては到る處我國の番茶を賞美し且つ日常盛に之を仕用する由
なれば宜しく國製の番茶數萬片を荷積みしこれを濠洲商人に賣拂ふべし濠洲と南米諸邦と
は直接の貿易汽船航路あればこれを購求したる濠洲商人は幾割の利〓を以て南米國に送る
なるべし、國製の摺附木、石鹸、洋燈のホヤ等は其の價廉なれば其製造にして果して精良
なりせば必らずや濠洲の市塲上に於ても國製のものと競爭するも敢て敗を取ること無かる
可し其他扇子、團扇、紙製の日傘、小間物類にして所謂ファンシー クーヅ と〓稱する
雜貨を携載すべし、唯此般の諸貨物を携載するに一事の注意すべきものは我國より濠洲に
到らんには南北温熱の四帶を經過せざる可からず隨て氣候の變化殊に甚しきを以てこれが
保存に氣付けざる可らざる事なり其保存にして間然する處無く品質にして精良ならば我國
にて至廉の勞力を以て製造したる品物を勞力の賃銀七倍するの市塲に販賣する事なれば其
贏利决して尠少ならざるを信ずるなり
偖又此帆走船の歸航するに當り濠洲より荷積みして我國に携帶すべき物は羊毛と石炭とな
り濠洲羊毛の廉價にして且繊緯の精緻なるは世の知る處にして英米國産のものゝ比に非ら
ず我國にても近時漸く毛織物、絨氈等の製造事業興起したれば羊毛需用も亦尠なからざる
可しと信ずるなり又濠洲ニユー カツスル 地方の石炭は一噸に付最上等十一志(我金貨
二圓七十五錢)なれども尋常商賣上の取引きにては九志四片(我金貨二圓卅三錢三厘)に
て容易に購求するを得べし今之を我國まで積來る雜貨を一噸に付一圓と高積りするも都合
三圓三十三錢三厘なり然るに我國にて唐津、高島、幌内等の石炭は一噸六七圓の間にして
如何なる塲合に到るも五圓三十錢より廉價なる事無し即ち石炭のみにても其贏利あること
歴々錢に懸けて見るが如し(此事は先年謙信丸が濠洲石炭を積み歸りて利益を得たること
にても知るべし)
盖し東北、東南の兩貿易風を往復共に利用し得るものは獨り日本と濠洲の航路のみなり嗚
呼天此の風を降して我國人の利用するに任ず而して我國人が今日迄これを用ひずこれを利
せず恬として顧みざるものは獨り貿易上の愚人のみに非ず亦天の罪人なりと云ふべし斯く
て我船舶の往く可きものあれば彼れも亦來り彼此の事情を相通じ公私の往來も亦頻繁なる
に至らば其利益關係の及ぼす處獨り貿易上のみに非ざるなり
濠洲人民は近時に到り遽かに日本國に注意するに至りたるが如し今春以來濠洲並に新西蘭
の新聞紙上には嘖々として我國の現状を論説し日本は我が善隣國なり日本國内に濠洲羊毛
の新販賣市塲を求むべしと唱ふるもの此々相繼ぎ遂に本年四月下旬メルボルン府紳商の大
會議となり先づ自から七萬五千磅を據し日本の商人より二萬五千磅を出さしめ都合十萬磅
を資本とし濠洲の羊毛を日本に販賣し且日本國内に一箇の羅紗製造所を新設せんとの議起
り同府滯在日本名譽領事マークス氏の如きも現に其會議に列したりとか聞きぬメルボルン
府とシドニー府とは相互に其繁昌を競爭する折からなればメルボルン府民の企圖を聞きて
はシドニー府民も亦恬として是れを坐視せず必らず進みて我國との通商を企圖する事なら
ん、盖し濠洲人民の日本國に注意するは今日より甚しきは無し嗚呼吾國有爲の人士は何ぞ
進みて此好機會に投ぜざる