「伊藤内閣の本色未だ世に露はれず」
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本文
伊藤内閣の本色未だ世に露はれず
西洋諸國にては政府の内閣に變革ある毎に其内閣に特有する本色を露はし内閣の新舊異同
する所を分明ならしむるものゝ如し盖し彼の政治界の習慣に在朝在野の政黨自由保守等の
目ありて時の内治外交に就き重要なる所に意見の相反する所あるが故に在野黨が一朝在朝
黨の位地を取て代り新に内閣を組織するときは其施政上に於て新内閣の新内閣たる所以の
本色を露はし其野に在て在朝黨に反對するの偶然ならざるを公示するを常とす即はち前年
佛國にてフエリー氏が内閣を組織してより大に東京遠征を主張し英國にてグラツドストン
氏が朝に立ち愛蘭の自治を唱へて愛蘭國會議院を別にダブリン府に設立せんと發議したる
が如き孰れも一種出色にして此發議の行はるゝと行はれざるとは恰かも其内閣の運命を决
するものなれば東京遠征策又愛蘭自治案等は當時フエリー及びグラツドストンの兩総理大
臣の内閣に特有したる本色なりと申すべし是れは僅に一例を擧げたるものなれども西洋諸
國代議政府の内閣には嘗て無色内閣なるものありしことなく新に之を組織するものあれば
早晩其本色を露はさゞるを得ず即ち此本色は或る内閣を彩色するものにして新に内閣を組
織するものは其治下の人民に對して必ず先づ此光彩を放たざる可らざるなり
抑も今の我國の内閣は伊藤伯爵の内閣なり伯爵が此内閣を組織したるは實に昨年の本月二
十二日の事にしてかりそめにも最早一箇年の日月を經過したり當時伯爵の總理大臣と爲る
や政府の責任は一人に歸し歐洲諸國立憲政治國の政府と其体裁を一にしたるが如く思はれ
たれば世人は總理大臣が我内治外交の大体に於て其執る所の方向を示し是れが伊藤内閣の
伊藤内閣たる所以の本色なりと云ふ處を現はすならんイザ其本色を見まいらせんと竊かに
待設けたることなりしが總理大臣は今の内閣を組織すると同時に各省改革意見を草して之
を各省大臣に示し之を天下に公にしたる其綱領とする所は官守を明にする事選叙を謹む事
繁文を省く事冗費を節する事規律を嚴にする事の五箇條なりき爾後一箇年所謂官守を明に
して各省及び地方廳の職制は稍定まりたる由に聞けども選叙を謹む事は如何、官吏登用試
驗法は如何せしや繁文果して省けて冗費は何程減じたるや前年度に比較して著しき相違も
あるや又其規律は何の處に於て大に嚴肅を加へたるや一々此邊の實際を調べたるは人をし
て感服に堪えざらしむるものもある可しと雖ども何を申すも右五箇條の事柄は單に政府内
の事務都合にして執政者の手心にて宜しきやうに取計らへば夫れにて異存はなきものにし
て政府の大政略とは格別の縁因なきものなれば此五箇條の綱領を以て伊藤内閣の本色を露
はすものなりとは思はれず又伊藤内閣の組織以來少しく目新しく思あれたるは海軍公債を
募り整理公債を發し中山道鐵道を見合せて東海道鉄道敷設を思立ちたる等の事にして多少
出色の部に屬するものなりとは云へ歐洲立憲政國の例を以てすれば如何に言論が八釜しく
如何に新陳交代の滑かなる國にても此等の事項は其内閣の交迭を惹起す可き程の大事件な
りとも思はれず左れば我伊藤内閣は組織以來既に一周年を經過したる今日、外交内治の大
政略に就て未だ其特有の本色を露はさゞるものゝ如し人間萬事不如意なるもの十に八九、
人を責むること嚴なるに過ぐるは我輩の取らざる所なれども備を君子に求むるの情に於て
我輩少しく遺憾なき能はざるなり然りと雖も前途一周年間を見れば國事頗る多端なるの兆
ありて其際内治外交の大政略に就き伊藤内閣特有の本色を見るの機會もあるべしと思は
るゝ其次第は我國にても追々鐵道の必要を感ずるに就ては我政府は其敷設の急漸及び官設
民設等の事に就き國の鐵道政略を一定せざる可らず又東洋の形勢に於て國防の事は近來ま
すます其急要を感じ来りたれば海陸軍の先後論をも决せざる可らず國會開設の期も追々に
切迫するに就ては憲法の大体に就き政府の意見を人民に示して國論の方向を定めざる可ら
ず條約改正會議若し果して滿足なる終結を得れば我外交畧に於て餘程其趣きを改めざる可
らず長崎事件若し幸にして穩便の沙汰に歸すれば誠に結搆なりと雖も若し是れが來年に跨
りて容易ならざる相貌を呈すれば之れに對する大英斷に兼ねて我日本國の東洋政略を果决
せざる可らず一寸豫想したる處にても來年中には此等の政畧に就き政府の所見を一定する
の必要もあれば隨つて伊藤内閣の本色を見るの機會もあらんか但し政事家の大事業を成す
や大鳥の翼を養ふが如く三年鳴かず鳴けば大に人を驚かすの流義もあらんかなれば之れに
假すに歳月を以てすること肝要なる可しと雖ども世事の活溌迅速なる今の時代に於て發聲
の餘り遲々たるは我輩の取らざる所なり我輩は今伊藤内閣の一周年期を經過するに際して
敢て一言を陳し其第二周年期に於ては其内閣に特有する本色の世間に赫々たらんことを希
望するものなり