「商業主義」
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時事新報に掲載された「商業主義」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
商業主義
人間處世の事を判斷するの標準は時と與ふ變更するものなり昔し昔し封建の時代には忠義
を以て人の本分と爲し學問を爲すも忠義の爲め、武藝を磨くも忠義の爲め、忠義の二字を
目當てとして恰も其出處進退を决したることなり盖し封建軍國の習に於ては國民の心を一
首領に集め首領の命令とあれば水火も避けざるの風尚を養ふこと專一なるが故に居家處世
の事細かなる處までも忠義を勵みたることにして時に取りては誠に肝要の事ならんかなれ
ども文明の天地復た封建の遺習を容れず今は殖産商賣の世の中にして人々身を立て家を起
し亦隨て國の用を爲すには其主義を商業上に立つること大切なる可し即ち商業上の眼を以
て居家處世の利害去就を决することにして之を商業主義と云ふ我國にても時世の趨く所幾
分か此主義の流行を促したるが如く思はるれども百年の積習一朝にして改む可らず今日に
在りて人間處世の標準を單に忠義の二字に取るは重もに老朽家の部分に限るが如くなれど
も左ればとてズツト高く飛び離れて單に商業主義に依頼するものも亦甚だ稀有なるが如し
然りと雖ども人事ますます進んで金錢の勢力ますます加はり商業を以て立國の基となすに
至らば時世之を奈何ともする能はず人間處世の事を判斷するに彼の商業主義を標準とする
こととも爲らん現に北米合衆國は商賣を以て國を立つるが故に人々其出處進退を判斷する
に一に彼の商業主義に依頼する由なり例へば米國の中等資産の家の子弟は父兄の資給を得
て小學校乃至中學校を卒業することなるが卒業の後は敢て他人に依頼せず唯其活溌なる身
心と中小學校にて學び得たる所とを以て或は學校教員と爲り或は新聞記者探訪者と爲り或
は商店の書記となり又は書籍小賣人と爲り思ひ思ひに商賣して二三年間辛抱する其中に前
途二三年間の生活費を儲くることなり斯くて二三年間の生計を得たる處にて此少年書生の
胸中に浮ぶ所は此資金を以て是より直ちに商賣に取掛る方が利益ならんか或は之を學資と
して更に大學校を卒業し然る後にて世に出づる方が得策ならんかと唯此二樣の考案あるの
みにして之を决斷するものは單に彼の商業主義なり即ち學問は學問として貴きに非ずして
商業上に利益あるが故に貴きなりとの考にて學者も町人も其身分に於ては固より撰ぶ所な
く金さへ儲かれば孰れにても宜しと觀念するものの如し斯かる事の始末なれば米國の少年
書生は學校在學中も思案する所は卒業後金が儲かるや如何の一點にして學問其物に對して
は甚だ冷淡なるが故に初め法律を研究するも是れにては代言人と爲りて金を儲けるの望な
しと思へば忽ち變じて化学者と爲り農學者と爲り器械學者と爲り屡々其學問の方向を變ず
るを憚からず現に米國の某大學校に居たる人の話に或る少年は在學僅々二箇年ばかりの間
に修業の學課を變換すること凡そ五回に及びたりと云ふ又此社會の中に在ては學問の有無
などは人の品格を判するの目當てと爲らず如何なる技倆にて出身するに拘はらず社會に出
でゝ大に其富を作るときは其功名榮譽較べんに物なく唯我獨尊たる可きなり左れば富豪の
家の子弟は其父兄が學資は何程にても給す可し米國の學校を卒業したらば更に歐羅巴に遣
はす可しなど牡丹餅で頬を敲くやうなる待遇を爲すも敢て之を喜ばず人各々能あり不能あ
り學問抔は孰れにても宜し、我力以て大に富を成さずんば何の顔あつて此鼻を世上に高く
せんや云々とて永く學資に衣食してこれに甘んずるものなしと云ふ我日本國の少年輩など
には殆んど解せざる程の次第なれども商業國の人情は如何にも斯くある可しと思はるゝな
り即ち北米合衆國が商賣日進到る處に富豪家を生じ國の富強も亦ますます増加の勢ある所
以にして我國の如きも世間の氣風をして此に趨かしめたきは萬々なれども兎角意の如くな
らざるは誠に遺憾なる事共なり試に見よ我國の學生にて當初其學問を撰ぶに卒業後之を商
業に利用して大に金を儲けんとの考を爲すものありや如何、今日の學生中兎角實地に縁の
遠き學問に走るものゝ多きを見れば或は其内心に於て窃かに商業の臭味を嫌ひ高尚にして
實地を離れ世に所謂學問らしき學問を修めんとするの傾ありと云はざるを得ず我輩の不安
心に堪へざる所なり商賣立國は今の世界の大勢にして早晩此大勢に迫らるゝこと必然なれ
ば我國の先進後進人を導き又導かるゝものは豫め此邊の事情を察し平常の出處進退を決す
るに當りて商業主義と云ふことを忘れざるは身の爲め國の爲めに謀りて甚だ大切なる可し
と信ずるなり