「歐洲戰乱の風説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「歐洲戰乱の風説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

歐洲戰乱の風説

一千八百七十年普佛の大戰爭次に七十七年露土の戰爭以來歐洲大陸の天地にては久しく戰爭の沙汰を聞かざりしが近來バルガリヤの事件起りてより歐洲一帯の空は何となく雲行惡しく最近の電報を見るに墺國と露國とは今春を期して戰端を開かん爲め昨今は兩國ともに戰備の最中なりなどいふ風説頻りに行はるゝ由抑も事の起りを尋るに昨年八月東歐のバルガリヤに於て革命の乱破裂し國王アレキサンドル公は革命黨の爲に位を廢せられて國外に放逐せられしが間もなく變乱平ぎて公は無事に歸國したれども其隣邦なる露國皇帝は公のバルガリヤに君臨するは同國を再び變乱の危難に陷らしむるものなりとなし公の同國にあらん限りは一切保護を與へざるべしと申送りたるを以て公は勢、止むを得ず位を辭し國を立去り跡は無君の有樣となりたるに付同國にては攝政々府を設けて假りに政を攝し國會に於て丁抹の皇子ワーデマーク公を其國主に選擧したるに皇子は之を辞したるを以て更に西亞細亞の小邦なるミングレリヤ國公を選擧したれども公を國主となす事に就ては歐洲列國中に不同意の向きもあり且はバルガリヤの人民も公を國主に戴く事を欲せざるやにて未だ登位の塲合に至らず又一方にては露國の干渉益す甚しくいき[門のなかに或]内の人心分離して互に黨派を結び國情紛々底止する所を知らざる有樣なりと云ふ盖露國がバルガリヤの事に干渉せんとするは一朝夕の事に非ずして一昨年の九月中東ローメリヤが土耳其に反してバルガリヤと聯合しアレキサンドル公を其君主に戴く事を主張したるより忽ち歐洲全土の大問題となり各國の使臣はコンスタンチノープルに會し長き時月の間幾度となく會議を開きたる末終に昨年の四月に至りアレキサンドル公を以て五個年間東ローメリヤの太守となす事に决せしが元來ローメリヤの反乱は露國の教唆に出でたるものにて露國は之に依て大に利する所あらんとしたるも其目的を逹せざりしを以て更にセルヴヰヤを煽動してバルガリヤ、ローメリヤ兩國の聯合を破らんとせしにセルヴヰヤは却て兩國の爲に敗を取り且つ墺國の勸告に從ひ兩國と和議を調ふるに至りしかば露國の計略は又も水の泡となりぬ然るに露國はかくの如く其計略の屡ば==するを以て今度は更に手を替へてバルガリヤの内部に入込み其筋の人々に取入りて窃に蕭牆の變を企てたるものにてバルガリヤの革命事變に關して露國が干渉幇助したる形迹は蔽ふ可らざるの證左あるのみならず事變紛に墮りてもロルバース將軍を同國に派遣して其内紛に干渉したるが如きは歐洲列國を蔑したる處置と申すべきなりされば列國中殊に墺國の如きは從來の關係と云ひ地理上の位置と云ひバルガリヤの事に關しては利害痛痒を感ずること最も深き國柄なれば露國の處置に對して第一に故障を申入るゝは素より當然の事なるべし勿論墺地利一國の力のみにては露國に抗するに足らざるべしと雖も墺國と獨逸との交際は近來頗る親密にして昨年五月兩國の皇帝ガステーンに會合ありし後は格別の交情を増し兩國間に密約の成立ち居るとの説さへある程の間柄なれば墺國は必定獨逸を後楯と頼むことならんが獨逸には其隣に佛國といへる勁敵の輙もすれば積年の怨恨を干戈に訴へんとし近來は露國と深く相結び共に獨逸の隙を窺ひ居る由なれば獨逸はバルガリヤの事に就ては先づ容易に手を出さぬ方なるべし又英國は東方の事には隨分關係多き國なるが今回の事に關しては如何なる擧動をも顯はさゞるは多分バルガリヤの事に就て最も其利害の關係多き墺獨諸国の進退如何を觀望するものなるべしされば今日の處にては露國の擧動に向つて故障を申入るゝの地位に立つものは唯墺地利一國に止まるが如しと雖も然れども露國をして獨り其威力をバルガリヤに恣にせしむる事は素より歐洲列國の利にあらずして且つは明かに一千八百七十八年伯林條約の文面に違背する所業なればもし露國にして今後猶を愈よその狂暴の擧動を逞くせんとするに至らば歐洲列國は最早之を捨置く能はずして墺國獨逸及び伊太利の如きは共に連合して以て露國の鋒に當ることならん果して此の如き塲合に立至る時には英國の如きもバルガン半島に露國の勢力を擅にせしむる最もその好まざる所なれば勿論墺國等に同盟することならん結局一方は墺國、英國、獨逸、伊太利の四國同盟し一方は露佛兩國同盟し近年未曾有の大戰亂を歐洲の中原に現出するに至ることならん勢に於て免かる可らざるものゝ如し

右の如く陳べ來れば歐洲の大戰亂は今にも其端を開く可きが如くに聞えて甚だ急なるが如くなれども又一方より人間社會の情態を視察するときは事物の關係千差萬別にして自から多少の餘裕なきを得ず抑も露國が愈よ其志をバルガリヤに逞くし全威をバルカン半島に奮はんとするには墺國獨逸は申迄もなく英國をも相手にするの覺悟なかるべからず露國は版圖廣大にして廣く歐亞の両土に跨り隱然北方に雄を稱するには足るべしと雖も歐洲の中原に驅出し歐洲列國を相手として雌雄を决するの一段に至ては甚だ覺束なく思はるゝなり又佛國の如きも愈よ露國と同盟するの日に至らば陸には獨逸の精兵を引受け海には英國の艦隊を引受くるものと覺悟せざる可らず而して伊太利も無論獨英諸國に同盟加擔するものなれば佛國は四隣に敵を引受くるものと云ふべし果して其覺悟ありや否や聊か疑ひなきを得ず且つ從來歐洲の形勢危急に迫れりとか戰亂近きにあり抔云ふ風説は我輩の毎度耳にする處にて敢て今日に始りたる事にはあらざれども實際に於て容易に其破裂を見ざるも亦自から謂はれなきに非ず近來鐵道電信の術發逹して運輸交通の便大に開くるに隨ひ軍備上の事も亦大に進歩し歐洲諸國にては即時に幾十萬の兵を集め直ちに之を國境に操出すの準備あらざるはなし総て戰ひは敵の不意に乘ずるを以て上策とする事なるに此の如くに各國競て戰備を修むるを以て其備の益す整ふと同時に戰爭を起すの機會益す減ずべきは當然の事にして盖し此十年間歐洲に大戰爭なきものは戰の種なきが爲には非ずして戰の機會なきが爲めならん又一方にては商賣殖産の業益す盛大に赴くに隨ひ政治上の權力、重もに財産のある處に歸するを以て各國ともに成るべく戰爭の危險を避け商賣殖産の安全を謀るの實あるを以て益す戰爭を減ずるの傾を來せるが如し歐洲戰亂の風説は猶を雷の如く又電の如し其轟々閃々の状は甚だ恐るべきが如しと雖も實際下撃の禍は思ひの外に稀なるものにして盖し所謂外交政略なるものはこの雷鳴電掣の音響を利用して倏忽咄嗟の間に行はるゝものなりされば今回バルガリヤ事件よりして歐洲の戰亂を生ぜんとするの風説の如きも我輩の見る處にては大に之を利用するものありて實際は下撃の禍を見るに至らずして止まんかと思はるゝなり