「官尊民卑の弊習漸く將さに其跡を藏めんとす」
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時事新報に掲載された「官尊民卑の弊習漸く將さに其跡を藏めんとす」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
官尊民卑の弊習漸く將さに其跡を藏めんとす
官尊民卑は日本社会の弊習にして其由來する所遠く封建の世に在り封建の時代武士天下を私するの時に當りては上に大名藩士あり下に百姓町人あり大名藩士は百代の大名藩士にして百姓町人は百代の百姓町人なり大名藩士の尊き鬼神も啻ならず百姓町人の卑しき獸類と一般なり百姓は藩士たるべからず藩士は百姓たるべからず尊卑の分界明白にして人力の如何ともすべからざるものとこそ思はれたれ然るに明治維新の一擧後進の書生國命を執るの日に至りて封建廢れて郡縣の制起り政治上の變化古今に未曾有なりしといへども社會の弊習は政治上の一事變を以て忽ちこれを洗滌し得べきにあらず藩士は官吏と爲りて官甚だ尊く百姓町人は平民と爲りて民甚だ卑しく社會の尊卑は依然として舊天地に異なる所なし殊に新政府は舊來の陋習を破り天地の公道に基くの趣意に由りて百姓にあれ町人にあれ苟くも其識見才能拔群の者とあれば直ちにこれを官吏に登庸したるを以て今や官海は從前の威望高氣に兼ねて更らに又人才の藪淵たる無上の資格を備へ隨て官の尊きには一層の重きを加へ民の卑しきには一層の低きを加ふるの跡を見るに至りたり「日本人民は卑屈なり」「日本人民は無智なり」などいふことも盖し此時頃の流行言葉なりと覺ゆるなり然るに時勢漸く變化し明治も追々年を重ねて早くも二十の指を屈する今日に至るまでには彼れ是れの事情より一度天下の人才として時めきし官吏も今は民間に下て平民に伍するもあり或は官途に縁薄かりし無智卑屈の百性町人等も時勢に迫られて漸く新たに身の覺悟を定め今は一ッ廉の識見才藝を備ふるの人と爲りしもありて社會の有樣必ずしも前日の如く偏重偏輕ならず又前日は有爲の士の其力を施すの所は日本國中唯官の一途あるのみなりしが文明開化の日に進むに連れて社會の人事日に繁多を極め志士の力を施すの所は必ずしも官の一途に限るべからず商業あり工業あり又農業ありて其難易輕重敢て官吏の職務に譲らざることゝなりたり加之世間の往來交際尚ほ甚ゞ狹く文明開化の度尚を甚ゞ高からざるの日に當りては世事甚ゞ簡略にして金錢を要するの事少なく志士一身の私に於ても世に處するに必要のものは金にあらずして才略に在り蓬頭垢面時事を談笑し貴客面前に虱を捫るなどして=ま大に人の尊敬を博することを得たるものなれども世廣く事繁き文明社會は然らず處世に要する所のものは才略もあらん品行もあらん容貌体格もあらん學問技藝もあらん其多端多種なる固より一二の事物を限るべからずといへども獨り爰に何等の才子にも何等の能者にも是非とも無くて叶はざるものは金錢にして金錢は不文の世界に於て其用少なく開明の世界に於ゐて其勢力無上なり然るに今この金を得るを目的として日本の官途民間其孰れを可とするやと退いて細かに視察するに官途必ずしも利を言ふべからず大に富を作るの道は專ぱら民間に在りともいふべき實勢なるを見て世の有志者も近年漸やく官途熱中の熱を減じ廣く富貴を民間に求めんとするの傾向あるに至りたり又た日本の民業社會は四五年間打續づく不景氣に氣力を失なひ其の疲弊衰弱の有樣は見るも哀れなる程なりしが近年少しく生氣を回復し現に昨年の商况の如き全國コレラ病流行の大災難ありしにも拘はらず一昨年に比すれば寧ろ頗る活溌の好兆候を示し殊に製糸製茶の如きは案外の上景氣にして當業者の得意大方ならず斯る折柄又全國各所に民設鉄道布設の評議漸く熟し官に依頼せず官の保護を仰がず獨立に此大業を成さんとするの决心を示す者さへ現はれ出るなど全國の人氣何となく活溌有爲の象ありて數年前の日本人に似ざる所あり斯の如く民間の有樣の前日に異なるに比して顧みて官途の有樣を見るに近來是れぞと云ふ程の變化ありしとも思はれず今より一年以前政府の内部に多少の變革ありて今の所謂伊藤伯の内閣なるものを生出したりといへども政府の全体より觀察して今より一年以前の日本政府と一年以後の日本政府と其間に何等の相違あるべきやこれを見出すは盖し我々民間人の力に及ばざる所なるべし故に我々の知る所丈けを以て今の日本官民社會の有樣を察するに若し今日の状勢にして此以後大に變化することなからんには民間の進歩は官途の進歩に幾倍し次第に進歩して次第に速力の相違を生じ多年日本人の憂苦したる官尊民卑の弊習の如きも遠からず其根底よりこれを一掃し去るの日もあらんかと思はるゝなり實に時勢の變化ほど人間の思慮に及ばざるものはなかるべきなり