「日本の鉄道は外国の工師に委托すべし」
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時事新報に掲載された「日本の鉄道は外国の工師に委托すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本の鉄道は外国の工師に委托すべし
世の文明開化を談ずる者多くは皆曰く學校興さゞるべからず教育勸めざるべから ず風俗矯正せざるべからず衣食住改良せざるべからず警察嚴密ならざるべからず 監獄増築せざるべからず陸軍増さゞるべからず砲薹築かざるべからず海軍張らざ るべからず軍艦造らざるべからず曰く何曰く何とて文明開化の度に際限なければ 隨てこれを進むるの工風にも際限なく二十年來日夜唯文明進歩に苦心して未だ滿 足なる地位に逹するを得ざるは是非もなき次第なるべし盖し文明開化は無爲にし て得らるべきものにあらずこれを得てこれを進むるには人の身心の働きの頗る活 溌なるものを要すること無論なりといへども先づこれに伴ふの金錢なければ何程 活溌なる身心にても其働きを施すの道なかるべし左ればにや一國の文明ならんこ とを欲して先づ政府の憂ふる所のものは歳入の不足なり一身一家の文明ならんこ とを欲して先づ一個人の憂ふる所のものは嚢中の空しきなり錢嚢盈ち國庫盈ちて 而して後に始めて文明開化の事を談ぜんには事として成らざるなく欲する物とし て得られざるなかるべし然るに今日日本社會の實際を見るに人々皆文明開化の喜 ぶべきを知て日夜これを進むるの工風を求め其計畫の世に現はるゝもの千百啻な らずといへども此計畫を成すに必要なる錢を得るの工風に至ては公に私に日本人 の注意を惹くことの尚ほ甚だ周密ならざるを見るなり日本人は唯錢を費す事のみ を知て未だ錢を得るの要を知らざるものといふべし斯る無勘辨者の集合体にして 爭でか眞成の文明開化國を作るを得ん其根に培はずして其菓を摘み其財源を深く せずして其費途を無限にし結局國と家とを身代限にせざるを得れば無上の僥倖な らんのみ
今や日本國の富を増加するの工風を求るに其事固より無數にして一二を限るべき にあらず或は稻田麥畝を廢してこれに代ふるに桑園を以てし大に養蠶製糸の業を 起すが如き或は内國低價の労力を使用して世界普通の物品を製造し大に海外の市 塲に競爭するが如き或は世界の廣きに眼を配つて有無相通じ苟くも空隙の乘ずべ きあれば内外遠近の別なく活溌に商略を運らして大に貿易を營むが如き何れも皆 國家を富ますの妙計にして此類の事枚擧に遑あらざる中にも特に今日に富國の至 策と稱すべきものは鐵道布設の外に一事なきが如し抑も鐵道は一個獨立の事業と してこれを起し其營業上に利益少なからざるは申すまでもなきことながら斯く直 接に鐵道事業者が収入する利益の外に全國一般の農工商業に及ぼす間接の利益に 至てはこれに幾十倍すべきものあるや知るべからず世界の輿論に鐵道を以て富國 第一の要具と爲すは盖し鑑定の甚だ正しきものなるべし然るに文明開化の進歩を 急ぐに連れて富の不足を感ずること實に世界無比とも稱すべき此日本國に於て從 來鐵道事業の甚だ遲緩なりしは奇恠千萬なる事相にして日本人の無智を世界に表 白する國の大恥辱と申すべきなり近來少しく氣運の改まる所ありて漸く鐵道事業 の進歩を見んとすといへども惜いかな平生の覺悟乏しかりしがために目下鐵道の 工師其人に不足を告げ金はあれども道を作るの人なく各地の鐵道論は唯口舌の議 論紙上の圖畫たるのみに止まりて實物の鐵道を見るは幾年の後に在るや其期未だ 知る可らざるが如き實况なるは國の文明富榮の爲め歎息の至りと云ふべきなり鐵 道の大切なるを知らざりし前日に在ては是非もなし既に鐵道の大切なるを知るも 之を布設するの費用を得るの工風なきの日ならんには是亦是非もなしといへども 今日の如く日本人既に鐵道の大切なるを知り日本人既に其資金を用意しながら唯 日本國内に鐵道の工師なしといふを以て徒らに一刻千金の光陰を空費し幾年の後 に至り申込みの順番廻り來りて僅に一年幾十英里の鐵道を布設し呉るゝの日ある を待つが如きは智者の事といふべからざるなり日本人にして果して速かに鐵道を 布設し國を富まし國を文明にするの决意あらんには何故に目下速に外國より鐵道 の工師を雇ひ來りて之に工事一切を委托し思ひ立ちしを吉日として即日より工を 起し一兩年を出でずして全國到る處鐵道無きの地なからしむるの工風を爲さゞる や經濟學の法則に於て日本工師の手に成りたる鐵道に非ざれば日本國の富を作ら ずといふが如き道理は萬々あるべからざるなり日本人は護國の要具たる軍艦を製 造するに一切外國の造船人に委托してこれに安心し敢て横須賀神戸造船所等の專 賣權を細く永く保護せんと企つる者なし軍艦既に然るを得とすれば何故に富國の 要具たる鐵道に限りて外國人に委托すべからざるにや鐵道の成る一日を速にすれ ば一日の富を増す少數の日本工師の手にて細く永く日本の鐵道を布設せんとし不 幸にして鐵道の成る十年を遲くすれば空しく十年の富を減ず遲速増減國家の利害 明々白々たる此重要事件に關して今日日本人の了見は甚だ狹隘にして富を作るの 心の甚だ緊切ならざるは我輩の甚だ悦ばざる所なり