「 大人ぶる勿れ 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 大人ぶる勿れ 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 大人ぶる勿れ 

君子重からざれば則ち威あらず持重嚴格苟も言笑せず強て其情を制して喜怒を外に現はさゞるは東洋士人の風尚にして我輩の毎度見聞する所なり大變に逢ふて神色自若たるものあり甑を落して顧みざるものなり或は戰勝の報を聞くも碁を圍んで泰然たるものあり抂げて物情を鐫ずるを以て得意とするが故に洒落淡泊人に接して城府を設けず氣輕く其肝膽を披て笑語嬉々然たるものを見れば之を目して輕卒なりと云ひ共に事を謀るに足らずと爲すものもなきにあらず元來人間の交際は遠慮なく心事を談じて其交情の相融和するを貴ぶものなるに憂ふるが如く怒るが如く喪家に居るが如く儒者が經書を講釋するが如く嚴格莊重にして生き生きしたる情味なく概して所謂大人ぶるの風あるは我輩の取らざる所なり今西洋人を見るに一個人に就ては種々樣々の性質ありと雖も一般に云ふときは洒落にして甚だ氣輕く六尺の大丈夫が兒女の群に入りて相遊戯し談笑し舞踏して其興を催ふす者もあり英米諸國抔にて政治上の動議又は國會議員撰擧等の事ありて所謂デモンストレーションを爲す時は立派なる紳士が群衆の行列に加はりて青天白日街頭をネリ廻ることあり又或は群衆の席にて身分重き大人が氣輕くも演壇に飛上りて即席演説を爲すことあり近例を擧ぐれば過日我外務大臣の夜會に小演劇の催しあり其役人は誰れぞと云ふに外國公使の夫人もあれば御雇外國人もあり孰れも會の正客とも爲る可き人々なるに思ひ思ひの技藝を演じて會衆の歡を添へんとするは氣輕くも又洒落にして爲めに交情の愉快を増すこと如何ぞや今日までの處にては是等は日本人の最も不得意なる所にして人あり若し右の役人の一人と爲りて一藝を演じ給へと云ハヾ左る兒供らしき事はお斷り申すとて例の嚴格なる句調を以て無下に之を拒絶することならん我輩は之を評して大人ぶるものなりと云はんと欲するなり

右は擧止行動の外形に就て述べたるものなれども更に一歩して心事の働如何を見るに是れも亦因循極るもの少なからず第一日本人は其所思所感を公にするに懶く現に政事家が政治上に就て其意見を公にすることを憚るは我政治の未だ發達せざるの罪なりとして姑く之を擱くも政治に關係なき社會上の事に就ても容易に所思所感を述ぶる者なきが如し西洋諸國の新聞紙抔を見るに何か世に事あれば朝野有名の紳士は長短大小に拘はらず思ふ所を人に語り或は自から之を記して新聞紙に投書することあり又何事に由らず新聞紙上にて貴人紳士の言行を評論すれば貴人紳士は筆を執りて其好意を謝するか或は其事を敷延詳報するか或は又之を正誤するか此間の事を處するに其姓名を公にするを憚ることなきが如し試に英國などの新聞紙を見るべし、政治上に在ては何々大臣と云はれ社會交際上にては何々侯伯とも云はるゝ人が何々新聞記者足下の名宛を以て一寸したる事に就き其所思所感を投書すること往々にして之あり此邊の事は何れにても利害なきに似たれども社會の人々に腹藏なくして時々其意見を知り合へば社會に聲あり色ありて交際上に談話上に頗る都合よきことあるべし盖し日本人が容易に其所思を筆して之を世に示すことの稀少なるは日本文字の不完全にして英人や佛人が自由に其文を綴り得るが如きこと能はざるの事情もあるべしと雖ども要するに例の如く大人ぶりて何か奥深く控え込み尋常一般の小事件に就ては黙然として苟も言はず言へば必ず長篇大策堂々たる議議を發すべしと觀念するが故に發言の機會甚だ稀にして遂に無言に終る可きのみ士君子の一言小事に對しても毎々之を發すときは其世を利すること大なるべし特に今日の世の中は國會開設内地雜居の前座にして社會改良の風上下一般吹き廻り居家處世衣服飲食の微に至るまで萬端改良を要するの機に際會したれば世の士君子説を爲して世を益する必ずしも長篇大策のみに限らず朝々暮々一寸思付きたる事あれば之を衆に語るとも或は又之を筆して一寸新聞社に投ずるとも其邊の事に何にも見識張るにも及ぶまじ此一點に關しては我輩は天下の士人が簡易率直を旨として重々しく大人ぶらぬ事を希望するものなり