「恐る可きは事の行違ひにあり」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「恐る可きは事の行違ひにあり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

恐る可きは事の行違ひにあり

世の中に事の行違ひほど恐ろしきものはなし親子夫妻兄弟間の風波差縺れを始め親戚朋友

間の不和確執等その原を尋ぬるに眞實、互ひの意見合はざるより怨みを搆ふるものとては

甚だ少なくして唯事情の相通ぜざるが爲めにその問の行違ひより起るもの常に多きが如し

左ればにや多年確執の朋友が偶然邂逅、心事を吐露して忽ちその行違ひを悟り一朝の面談

に十年の積怨を散じて再び無二の友誼を結びたる如き談は毎度世間に聞く所にして人生の

不和怨恨多くは事の行違ひにありと知るべし

父子夫妻朋友親戚の間に於てすら斯かる行違ひのあるものとすれば之よりはその關係の疎

遠なる政府と人民との間に於て事情の通ぜざるが爲め徃々事の行違ひあるは盖し免るべか

らざるの數にして古來の歴史を觀るに當時に在て壓制暴虐の名を得又た實際人民を壓制暴

虐したる政府にしてその君相たるものゝ心事は思ひの外に優しくして毫も壓制暴虐の名を

得又た實際人民を壓制暴虐したる政府にしてその君相たるものゝ心事は思ひの外に優しく

して毫も壓制暴虐の心なきのみか寧ろ人民を愛するの心に乏しからざりしも全く事の行違

ひよりして非常の禍亂劇變を招きたる事は古今其例少なからず佛國大革命の騒亂の如きは

例中の最も著しきものにて路易十六世の如き〓にやさしき心掛を以て佛國人民の憤怒を買

ひ百世の下聞くに忍びざるの慘話を歴史上に留めたるは事の行違ひより生じたる最も恐る

べき例を示したるものといふべし我國にても明治十四年の秋に政府の部内に重官の更迭あ

りて時の内閣員たる大隈参議以下其職を辞したりしが當時人の噂を聞くに在朝の某々は民

間の某々と窃に相結び不容易の企てをなしたる所隱謀露顯に及びて身を退きたり誰は某々

の推擧に係るものなり彼は某々の徒黨に一味したるものなりとて炎、罪もなき池魚に及び

たるのみならず官池外の人にても爲に迷惑を蒙りたるもの少なからざりしといへり又丁度

其頃一時政黨騒ぎの喧しかりし頃帝政黨などいふものを組織せしものあり古色藹然たる勤

王説に時機の利口論を調合し我黨は今の内閣諸公と同主義なりなど自から吹廳して政府の

事とあれば一も二もなく口を極めて稱賛し反對の者と見れば勤王の假面を被りて縅し付け

んとするにぞ世間にては一般に之を目して官權黨と唱へ取合ふものとてはなかりしが左る

にても政府にてかゝる輩の所爲を看過するは不可思議の至りなりさては政府も愈々此輩と

主義を同うするにやと窃に推測を下して胸中早く既に不快の〓を起しかくて官民彼我の〓

互に邪推の雲に蔽はれて其折合とかく面白からず我輩をして幾回か官民調和説を草するの

勞を取らしめたりしが今日に至りて之を觀れば當時日本國中にて何人も容易ならぬ隱謀を

企てたるものなきは明々白々の事實にして又政府に於ても人々に申付けて官權黨を組織せ

しめたる事などはなかりし事ならん畢竟情の相通ぜずして互ひの思ひ違ひより起りたる事

にて仮令へ一時の行違ひとは云へ明治年間にかゝる一例を見出したるは誠に苦々しき次第

なりと申すべし

されば事ごとに就てよく相互の情を通じ行違ひの生ぜざる樣、注意すべきは肝腎なる中に

就ても政府と人民との間に於ては其注意最も大切なるを知るべし今や國會召集の期限も最

早僅か二年の後に迫りたり若し政府と人民と互ひに其情を通せず百事すべて想像推測より

成立つ事として永く變らず卒然國會に相見るが如き塲合もあらんには種々些末の行違ひよ

りして無用の煩勞を増すの恐れなしとも保證し難し决して等閑に附ずべき事柄にあらざる

なり左れば今日に處するの策は政府に於ても其政務中之を世に公けにして差支なきものは

常に之を世に公けにする事を憚ることなく又一方に向ては今の言論の檢(檢手偏)束を自

由にして時に耳に餘るの過言あるも海量之を容れて十分に献芹の意を盡さしめ官民上下の

情よく通達して其間に行違ひを生ずるの虚隙なからしむるやう兼て注意すること肝要なら

んのみ