「長崎事件、支那の外交官に告ぐ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「長崎事件、支那の外交官に告ぐ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

長崎事件、支那の外交官に告ぐ

去年八月支那の水師提督丁汝昌氏配下の水兵長崎表に上陸して酩酊の上乱暴に及びたるに

就き日本巡査は之を取押へんとして双方の間に事起り果ては一塲の騒動を惹起して互に殺

傷もありたれば我長崎縣知事は丁提督並に長崎の支那領事に會合して其談判未だ央ならざ

るに支那方にては在上海の英國代言人ドラムモンド氏を長崎表に差遣することと爲したれ

ば日本政府にても亦御雇外國人其他夫れ夫れの法律家を派出し双方之を委員として事實を

調査し其時日を費すこと少なからざりしにも拘はらずまたまた熟議叶はずして彼の委員會

の解散と爲りしかば爾後此事件は先づ以て外交上の一疑問と爲り魚骨の喉に立ちたるが如

く今日までも唯グビグビと煩悶するの始末柄にして我輩は一念此事件に及ぶ毎に常に多少

の不愉快を感ぜざるを得ざるなり抑も水兵の乱暴は决して珍らしき事に非ず巡査が之を取

押へんとして一塲の騒動を惹起すが如きも亦其例に乏しからず斯くて双方相激する時は彼

此の分別を問ふに暇あらず匇卒の際自身が何を爲したるか夫れさへ忘却するものなきに非

ず畢竟其實を申せば無辜の兒戯たるに過ぎざるが故に此等の事件を處理するには兩親が兒

童の喧嘩を處分する如く双方事の穩便を謀りて速に事局を結ぶの一方あるのみ左れば曩き

に支那方にて英國代言人を長崎表へ派遣すと聞き我輩は當時其處置の第一着を誤りたるこ

とを公言したり水兵巡査の騒動、曲直の分るゝ所は唯其手始めの擧止如何に在るのみ誠に

簡單明白にして何人にても其是非を定むることを得べきにワザワザ大法律家を雇ひ來りて

斯る騒動の際の事實を調べ一人一個の行走進退までも仔細に取糺したる上にて其曲直を論

定せんなど云ふが如きは徒らに時間勞費を要して速に其實效を見ること能はざるべし我輩

の取らざる所なり然し此等の事件に就き其都度大法律家を雇ひ來り幾多の時日を費して其

事實を取調べ以て是非曲直を爭ふは支那政府慣手の筆法なりと云へば我輩も亦大に酌量す

る所なかる可らずと雖も從來支那政府にては絶て此等の筆法を用ゐず前年北米合衆國に支

那人斥攘の論議あり時人支那人を嫉視すること甚しく或る一地方にては白晝支那人の家屋

を襲ひ什器を破壊し子女を屠殺し文明國人にあるまじき亂暴狼藉を働きたれば當時我輩は

支那政府が大に其事實を調査して大に米國政府に談判する所あるならんと信じたる其甲斐

もなく支那政府は纔に一片の照會を爲したるのみにて遂に泣き寢入の姿とは爲りたり然る

に彼の長崎事件に於ては支那人の方が分明致害の地位に立ち乍ら俗に云ふ逆捻の談判と出

掛けて現に今日迄も我々日本人を煩はすとは其相手の日本たる故を以て特に然るものなり

と云はざるを得ず果して然らんには我輩は支那の外交官に向て敢て一言せんと欲する所あ

るべし從來日支兩國は一葦相對するの國なれば外交上の關係も疎遠なりとは云ふ可らず特

に十數年來は琉球臺灣朝鮮等の事件もありて時に白眼相待ちたることなきに非ざれば支那

の胸中日本に對して如何樣の念慮を蓄ふるやも知る可らず夫れ是れの事情にて今度の長崎

事件なども殊更に其事の性質を錯雜するには非ざるか我輩の不審に堪へざる所なれども支

那若し日本に對して何か其憤を洩さんとすることもあらば故らに曲直明白なる長崎事件の

如きものに就て彼れ是れと論爭するの勞を省き更に重大なる事端を求めて斷然たる處置を

示す可きなり日本縮小なりと雖も亦是れ東洋の一獨立國なれば事端の大なるものに至ては

豈に其利害を爭ふことを憚るものならんや唯彼の長崎事件の如きものに就て徒に兩國の交

情を破るが如きは獨り歐米諸國に對して慚愧す可きのみならず内に自から顧るも亦大に赤

面せざるを得ざるなり故に我輩の希望する所は支那の外交官が疾く此に着眼して長崎事件

の如きものは颯々と其局を結び別に大に日本に思ふ所あらば更に大に其所思を洩すの一事

にあるなり