「東京の繁華は浮雲の如し」
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本文
東京の繁華は浮雲の如し
日本の商况不景氣は近來年々に其甚しきを加へ東西南北到る處に其慘状を見ざるはなし今
日の山河を取て之を數年前の山河に比するに依然同景の山河なれども今日の日本社會を取
てこれを數年前の社會に比するに其相違實に甚だしく其盛衰僅かに數年を相隔つるに過ぎ
ざるものとは信ずべからざる有樣あるに似たり全國の状况斯の如く淋しく哀れなるにも拘
(つくり勾)はらず獨り東京の市中は然らず東京の人口百餘萬其從事する所の職業も千差
萬別朝に進むあり夕に退くあり盛衰浮沈固より一定ならずといへども概して皆安全に商業
を營むを得て世の所謂不景氣なるものを知らず都門の春色とこしなへにして終年唯花の開
落するを見るのみ流石は日本帝國の政府所在の首府實に限りなく目出度き土地柄と申すべ
きなり但し東京の商業なりとて日本商業の一部分にして日本商業の運命の外に立つこと能
はざるものなるが故に今日と前年とを比較して其間に幾分の相違を見るべきは無論の事た
るべく或は東京人の慾目を以てみたらんには八百八街零落して轉た今昔の歎に堪えざるの
思ひもあらんかなれどもこは未だ日本を見ざる者のひが目にして特に東京に偏愛する所あ
りて然るのみ若し一たび日本全体の有樣を視察して彼此比較する所あらんには必ずや東京
を稱して日本の極楽とするに異存なかるべきなり而して何故に東京は他の一般の不景氣至
極なるにも拘はらず獨り甚だ好景氣なるやと問ふに別に東京の商人に限りて一種無類の能
力ありて然るを得るにあらず唯東京は中央政府の在る所にして爲めに臨時に年々數千萬圓
の金の市民の手に落つるありて以てよく東京の繁昌を維持し多年一日の如く變らざるを得
るなり其融通の方法は或は官廳の經費と爲り或は官吏華族の家の費用と爲りて種々に形容
を變じて民間に流通すと雖ども其源流に溯れば一として國庫より來らざるものなし而して
國庫は其供給を日本全國の租税に仰ぎ世の景氣不景氣或は年の豊凶等の爲めに妄りに干滿
盈虚の變動を蒙ることなく其歳出入は年々増すことあるも減ずることなき有樣なるがゆゑ
に此底なき淵の下流に在る東京市中は恩波常に溢れて民草青ゝ四時曾て其色を變へざるも
亦當然の事なるべし斯く東京の市民は國費の餘瀝に一家の口を濡らし家内安全商賣繁昌世
に不景氣あるを知る者なしと雖ども此繁華富榮果して百年不變のものなるべきや如何仮令
へ遷都の沙汰はなくとも他の人爲の出來事によりて忽ち此繁華富榮を奪ひ去らるゝの恐れ
なかるべきや如何人爲の出來事は尚ほ之を防ぐの法あるべし萬一人力の及ぶ可らざる事情
に迫まられて國費の餘流の市中の汎濫するの道を失ふこともあらんには此繁華富榮も一朝
にして消えて痕なからんとするの恐れなかるべきや如何今我輩が東京市民の爲めに謀りて
一二の出來事を想像するに華族の居住地を自由にし勝手に其舊領地に歸住するを許すとせ
んか一般の華族は二三格段の塲合の人を除くの外何れも皆悦んで家族を纒め急ぎ其舊領地
に就くなるべし何となれば華族の東京に住居するや毫も自から利する所なく日本第一の大
都會門を出れば皆悠々たる路傍の人爵位高しと雖も人の敬意を致す者なし偶ま他人の敬意
を博せんと〓〓邸宅を盛にし車馬を美にし世の交際を怠らざらんとすれば家計莫大にして
費用給せず人に諫められ自から悔い遠く郭外の別邸に蟄居して花鳥風月に閑を消せんより
も故郷に歸りて故人に交はり一郷敬愛の集點となりて常に力を公衆の利益に盡し生計甚だ
容易にして生涯の樂み極りなきの勝れるに如かざればなり華族若し果して悉く東京を去ら
ば同時に市中の繁華の幾割を減ずべきや必然ならん又或は頻年全國不景氣の爲め國庫の収
入も豫期の如く十分ならずとの噂もある折柄一朝政府の政畧費用節減の方向に傾くことも
あらんには事の順序として大に官吏の數を減ずべきのみならず或は某省を廢し某局を廢し
て一時其事務を中止するの處置にまでも及ぶことならん斯くて國庫の費用大に減じ市民の
其恩澤に浴することも甚だ薄き時節に至れば東京の繁華は前日の儘ならんと欲するも得べ
からざるなり果して然らば今の東京の繁華は市民の身に取り隨分不安心なるものと稱して
不可なかるべし市民にして若し此不安心を思はゞ自今心事を一轉し今少しく内國又は外國
の商業に力を盡して仮令へ國費の餘澤に潤ふの僥倖なくとも尚ほよく東京の繁榮を維持す
るの實力を備へ百年不變の基礎を定め置かんこと我輩の敢て希望する所なり