「社會改良は殖産興業と相伴ふを要す」
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本文
社會改良は殖産興業と相伴ふを要す
社會改良の説は兩三年來漸く世上に盛にして今は朝野都鄙の別なく總て皆熱心なるが如し
左ればにや衣食住の事を始めとして男女の交際と云ひ宴會の体裁と云ひ演劇の仕組と云ひ
何れも改良の談を聞かざるはなし盖し改良とは舊弊を改めて新利に就くの事にして今日の
社會改良とは取も直さず日本風の舊習故態を脱して西洋の新規模に傚ふことならん日本の
衣食住は不便不良にして且つ衛生に佳ならず宜しく西洋風に改むべし日本には男女の交際
なくして社交の空氣甚だ暢和を欠くに似たり宜しく西洋の風俗を移して兩性交際の端を開
くべし日本の宴会の体裁は其始めは甚だ窮屈にして終りは甚だ乱暴に流るゝの弊あり西洋
風の宴會の淡泊にして却て情味の濃かなるに如かず日本の演劇はその仕組野鄙簡單にして
觀るに堪えず西洋風の都雅にして無限の興致を存するものを代用すべし其他彼と云ひ是と
云ひ社會の表面を見渡せば事の改良すべきもの一にして足らず一日も早く之を改良し盡し
て日本社會の善美を祈るの熱心に於ては我輩敢て一歩を他人に讓るものにあらずと雖ども
我輩は唯眞實社會改良を謀るの衷情一時の熱に狂して前後の始末を忘却することを欲せざ
るものなり凡そ人間の一擧一動は金錢の之に伴ふものにして一襲の衣裳、舊きを脱して新
しきに換ふるも猶ほ金錢の問題に屬す况や社會萬般の事を擧げて一切之を新樣の規模に改
良せんとするのはこれに相應するの金錢を要するは勿論の事にして社會改良の深淺は金錢
の多少にありと云ふも敢て不可なかる可し左れば兩三年來社會改良論の頗る喧しきにも似
ず顧みて改良の實跡を問へば甚だ頼み少なきが如しと申す次第は都鄙ともに洋服を着する
もの漸く多く洋食を喫し洋酒を飲むもの亦少なからず交際社會の有樣を見れば夜會宴會な
ど次第に西洋風の体裁に改まり演劇の改良も略ぼ其緒に就き社會改良の前途甚だ望みあり
とて得々たる顔色をなすものなきにあらざれども眼を轉じて金錢の世界を見れば國中何の
處にも殖産興業の新に起りたるものあるを聞かざるのみならず近來は民間の困窮日に甚し
くして國費政費を支ゆる國税地方税の支出にすら猶ほ苦痛を訴ふる必死切迫の塲合なるに
此等の哀はれなる有樣より觀るときは醉興贅澤とも申すべき衣食住以下の改良に金錢を費
すの餘裕は何れの處にあるべきや且つ今の日本の社會改良は漸く改良の門に入りて未だ其
堂に達する能はず云はゞ中途半途にあるものにして例へば衣食住の事にても公用には西洋
服を着するも私事には日本服も入用なり夕は西洋に食して朝は日本に餐し客間には椅子卓
子を備へて勝手には疊を敷込むなど半化半改の異樣を現じながら詰り入費は二倍の額を要
するの仕儀なればもし一般社會の改良としてかゝる順序を蹈ましめんとならば金錢の本た
る國内の殖産興業は二倍の繁盛に達して始めて割合に叶ふ可きほどの次第なるに其本は依
然舊の如くにして民間の衰弱は日々に重きに陥るの今日、徒らに社會改良の熱に狂して其
改良の大本を忘却するが如きは之を稱して智者の事とは云ふ可らざるが如し盖し社會の改
良は元來國の殖産興業と相伴ふべきものにして改良の淺深は金錢の多少に在て存する事な
れば殖産興業の如何を問はずして徒らに衣服飲食男女交際等の改良に從事するが如きに至
ては一時一局都の改良はともかくも到底日本の全社會を誘導して此民と共に改良の域に躋
るなどは思ひも寄らざる事ならん今や日本の國民は日々に衰弊して顔に菜色を呈するにも
拘らず國費は止むを得ざるの急に促されて避るに路なし此間に處して機宜を料理するは實
に經世家の苦心と云ふ可し彼の都門の青年男女が盛裝艶服し翩々相携へて堂上に舞蹈する
を見て以て社會改良の實を擧たりとするが如きは我輩の知らざる所なり