「封建士族の尤めに傚ふ勿れ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「封建士族の尤めに傚ふ勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

封建士族の尤めに傚ふ勿れ

昔し封建の時代三百の藩屏國内に並立して各その境土を守り隱然敵國の勢をなせし時に當

りては其藩中に養はるゝ所の士族なるものは畢生の目的、事なき時は主に事ふるに忠誠に

して事あるの日は潔よく君の馬前に討死するに外ならず功を立て名を擧ぐるも一藩の中な

り身を誤り事を破るも一藩の中なり毀譽榮辱死生成敗、總て一藩の中を限りとして藩外亦

天地なきものゝ如く爾り而して上下尊卑の分、殊に嚴しく其中に行はれ家老より諸士に至

るまで其次第順序甚だ分明にして苟くも之を乱る能はず子々孫々相傳へて以て更に變通損

益する所なし故に青年有志の士はその無聊窮屈に堪えずして頭角を他に顯はさんと欲する

ものなきにしもあらずと雖も全國到る處藩に大小の別こそあれ其仕組の同樣なることは三

百餘藩恰も符節を合はするが如く加賀薩摩の大藩より五萬石三萬石の小藩に至る迄其藩内

の仕組みには一も變る事あらざれば日本國中何れの處に行くも其志を伸ぶるの地なしされ

ばかゝる時代に在ては志士たるものゝ出處進退甚だ困難にして藩中に蟄居して碌々諸大夫

の後へに從はんか否らざれば斷然勇退、弓矢取る身を捨てゝ武士の仲間を脱するの二途あ

るのみ今日文明士人の眼より之を見れば兒戯に類して一笑にも價せざるべしと雖も我々の

祖先は三百年間かゝる窮屈なる天地に生又死して以て我々今代に至りたるものなり故に斯

の如き時代に於ては如何なる英俊の人傑にても空しく萬里雄飛の志を抱て馬櫪の間に斃死

するより外の便はなかりし事ならんが明治維新の一擧次で廢藩置縣の英斷大小の諸藩を併

合して國内を一統し昔日の窮屈なる境界は解て氷雪の痕を存せざるが如く春風和日の滿天

地、志士獨立して其志を伸ぶるを得るに至りたるは誠に愉快の事なるが怪しむべきは青年

志士の進退擧動にして立派に自由自在の身を持ち乍ら猶ほ局促として小天地に蟄伏するの

一事なり今日に至ては日本の國内に所謂藩なるものなしと雖も日本と稱する小藩に局促し

て其他に天地あるを知らざるが如きは怪しかる次第ならずや抑も今日世界各國の並立する

有樣は昔日、日本國中に於て大小諸藩の並立せし有樣と毫も異なる所なし唯其大に異なる

所は今代の各國は政治上に於てこそ互に其境土を區劃して敵對の觀をなせども商賣交際の

社會に至ては甚だ自由自在にして世界到る處人の交通來徃を禁せず自由の棲息する所は我

郷里なりといへる語は今日の世界に於ては政治社會の外何れの處にも通用すべきなり左れ

ばにや歐洲諸國にては海外移住の事早くより行はれ國内に在て産を成すの目途なきか又は

他に見込む所あるものは米國濠洲又は東洋諸國に移住して富貴を謀るは通常の事にして身

体強壯にして少しく志氣あるものは何れも國内に在て人の驥尾に付くことを恥ぢ外國に移

住するものゝみにても年々數十萬人に下らずといふ盖し其移住の原因に至ては商賣殖産の

目途に出づるものも又或は政治上の不平等よりするものもあらんと雖もとにかく歐洲諸國

の人民が自由自在の天地を利用して自由自在に身を運轉するは實に羨やましき限りといふ

べきなり然るに日本の青年志士はこの自由自在なる天地にあり剰さへ國内にては不景氣に

責められて不自由に苦しみながら自ら進んで自由を受くるの術を講せず終生兀々として自

ら求めて死地に陥るとは何ぞその計の拙なきや墳墓の地戀ひしきが爲めか愛國の情忘るゝ

能はざるが爲めに日本小なりと雖も護國の事は已に其人あり亦君等の力を勞するに及ばず

人間到處に青山あり埋骨何ぞ必ずしも故山の地に限らん封建の士族が局促として一藩の中

に死生したるを見てはその卑屈の有樣を憫笑しながら己れ自らその尤めに傚はんとするは

抑も亦何の心ぞや封建の時代には日本國中藩外に身を立つるの地なかりければこそ有志の

士と雖も止むを得ずして一藩内に生死したる譯なれ若しも昔日の志士をして君等が今日の

情態を見せしめなば今日の時世を羨むと同時に却て君等が敢爲の智勇に乏しきを憫笑する

ことならん文明の男子たらん者は封建士族の笑を地下に招くことなかれ