「朝鮮國王退位の風説 井上角五郎」
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本文
朝鮮國王退位の風説 井上角五郎
去る二十一日の時事新報に朝鮮國王は朝鮮國王たるの位を去りて支那帝國太守の職を奉じ
度き旨の書を支那政府へ贈りたりとの説ありと橫濱の ジヤパン メールより拔萃して記
載せり此説は素より信を措き難きも亦據ところなきにあらず抑も朝鮮は貧小なり其君臣は
惟一時の苟安を貪りて永久の利害に着目せず其人民は數十百年常に政府の爲に壓制せられ
て勉勵奮發の氣象なし此君民を以て方今の世界に獨立するは頗る困難なりと雖も其土地が
日本支那及び露國に挾まり三國共に朝鮮の國勢に注意したれば支那は朝鮮を以て屬國と見
做し其内治外交に干渉し露國は其北境を侵占せんとするの策を運らし屡々口實を設けて朝
鮮に掛合ひ殊に一昨春英國が巨文島を占據せし以來はますます其策を實施せんとして勉め
たるが如くなりしかども支那も露國も今日に至るまで尚素志を果すこと能はざるは朝鮮傍
近の三國及び西洋諸國が共に朝鮮に注意するがためのみ其國勢の強盛なるがためにあらざ
るなり日本は夙に朝鮮を獨立國と見做して互に同等の條約を結び西洋各國亦之に傚ひしに
支那は獨り之を肯んぜず朝鮮の君臣をして尚屬國の禮を守らしめたるより朝鮮にも或は之
を喜ばぬ輩ありて終に明治十七年の十二月京城にて事大獨立兩黨の鬪爭を惹き起したり此
時獨立黨は心中窃かに日本又は西洋各國に依賴せしことなれども該黨が一敗地に塗るに及
び之を顧る者なく且顧る筈もなければ朝鮮政府は自然と事大黨の手に落ち自から日本又は
西洋各國と疎くなりたるに其後支那は益々前志を守りて朝鮮の内治外交に干渉せり殊に英
國が巨文島を占據せし時には支那は軍艦三隻を仁川に送り朝鮮官吏を載せて巨文島に赴き
又日本より金玉均が攻め來るとの風聞ありし時にも軍艦四隻を仁川に送りたり其他露國が
北境を侵占するなど事の細大を問はず苟も國交際上に異聞あれば其度ごとに必らず問情使
を送り或は軍艦を派せざるはなし嘗て一時に八隻の艦隊を仁川の水に泛べたることあり支
那が朝鮮に臨むの威力は斯の如くなる其上に小國の財政日に月に空乏に赴き毎月官吏の月
給すら正當に下げ渡し難き程の困窮を見掛けて支那政府より之に金を貸し以て大國の恩を
施すは毎度の事なり斯る有樣なるが故に朝鮮の君臣は皆大國に心を傾け彼の在來の獨立黨
と稱せらる人々までも支那に歸依するに至れり朝鮮國には支那の恩威並び行はるゝものと
云ふ可し
右の如く海外各國が朝鮮に注意すること殊の外冷淡なるに支那は益々干渉し朝鮮は益々歸
依したれば朝鮮在留の支那官吏袁世凱氏抔が支那朝鮮兩國政府の間に立て色々に工夫を運
らし或は朝鮮國王を脅かし或は其黨派を煽動し且諸外國の事情を種々に僞はり告げて日本
又は露國抔を疎外せしむる中には昨年十月頃袁世凱氏は朝鮮國王に奏して曰く支那は露國
と申し合せ朝鮮を局外中立に置くべし就ては朝鮮は支那の一省たらざるべからずと然るに
昨年十二月頃に及び更に風説あり曰く支那露國の兩國政府は約束して朝鮮を局外中立の土
地と定めたりと此兩説共に袁世凱氏が朝鮮の君臣をして益々心服せしむるために唱へたる
ものにて素より無根ならんなれども此兩説こそ更に今回の風説を生じたる所以なるべし盖
し朝鮮支那の交際は現今兩途に分れ其冊封聘禮に關する事件は支那にては禮部、朝鮮にて
は禮曹これを掌どり共に勅諭を以てこれを處置し朝鮮にては領議政にても之に關知する能
はず外衙門及び袁世凱氏抔は惟近時の貿易事務を處置するのみの役前なれば朝鮮國王が仮
令へ退位を支那政府に告ぐるも速かに世人の之を聞知する道理もなくますます前説の無根
なるを證するに足る可し其説既に無根なりとする以上は朝鮮國王が其内治外交に關して專
はら支那に依賴するは兎も角も其君民の至情に於て朝鮮租宗五百年の天下を漫に棄ること
はなかるべし故に我輩は斷して今回の風説は信を措き難きものとするも朝鮮今日の状勢は
其君臣を擧げて支那の命是れ從ふの有樣なれば他年一日袁世凱氏抔の工夫に載せられて眞
に此退位をなすことあるや計るべからず故に今回の風説仮令へ誤謬なるもこれ實に隣國の
存滅に關係したるものなり讀者輕々に看過すべからざるなり