「日本商人の品位 福澤一太郎」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本商人の品位 福澤一太郎」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本商人の品位 福澤一太郎

 左の一編は福澤先生の令息一太郎氏が目下米國紐育州のポーキプシーにて文學修行中そ

の作文の課業に綴りたりとて送付せし英文を本社にて翻譯したるものなり

  日本商人の品位    福澤一太郎

米国に來りその人民の有樣を見て先づ感服に堪へざるは商人に品位あるの一事にてその客

に對する挨拶振などにても日本の商人とは大なる差違あることなり客を丁重に取扱ふ一段

に至ては兩國何れも違ひなき事なれども日本の商家にては客人に茶を進め番頭小僧打寄り

て世辞タラタラ入らぬ追從敬白を述べ立つる其有樣は大名と家臣との挨拶もかくあるべし

と思はるゝ程なるが米國にては客人の店先きに入り來るときは先づ單簡に Good morning

なる愛嬌の一語を呈し扨取敢へず如何なる御用にて候や(What can I do for you?)と問ひ

掛ることなり本國にて世辞タラタラの追從を聞馴れたる日本人の耳には如何にも不愛嬌の

樣に聞ゆれども此邊が即ち米國と日本との相違にして米の社會には所謂時是れ金の精神充

分に貫徹するの證を見る可し元來日本にては社會の德義として金錢を不潔の物となし之に

觸るゝときは穢れたりとて手を洗ひ之を貯ふるものは銅臭ありとて忌み嫌ふなど兎角に金

錢を卑むの風盛んなるを以て平生絶へず金錢の取扱ひを業にする商人風情の者共は社會の

最も下等なる人種として卑下したることなり然るに米國にては之と反對にて金錢は人の勤

勉の所産にして人物の價値はその所有する金錢の多少、若しくは金錢に交換すべき物品の

多少に依て定まることにして日本などにして火災に燒失したる家屋家具等の損失を算する

に何萬圓何千圓の損亡などいふ如く米國にては如何なる事物にても金錢の價を以て言顯は

すの風習なり此有樣より見るときは日本にて商人と客人との間に非常なる懸隔ありて政府

の官吏が大風なる顏色して商人を叱り付くれば商人は何つも平々としてその足下に平状す

るなどは隨分譯の分らぬ次第なりと申すべし

是迄日本にては政治上の平等を得んとて著書に新聞に演説に世上の議論頗る喧しかりしこ

となるが我輩の所見にては政治上の平等も固より大切の事ならんが社會上の平等を得るこ

とこそ今一層大切の事ならんと存ずるなり即ち今の日本商人の地位を社會の上流に進め今

後日本國をして商賣を勵み且つ之を貴重するの國柄となすこと國の務めに於て最も大切な

る事ならんと信ずるなり扨日本商人の地位を進るの方法如何と云ふに先づ今の商人に經濟

學の大意を心得さするを以て第一となすべし我輩の茲に記す經濟學の大意とは商人が實地

の經驗より自得したる經濟上の知見を云ふにあらずして各自經濟學の書を讀み又は人の講

義を聽聞などして得る所の學識を云ふものなり世の所謂實際家と稱する人々の説に書物上

の知見は實地に寸效なきものなりとの言は毎度我々の聞く所にして實際家得意の論鋒なる

が成程プラトー氏の理學か若しくは老子の性理學等の如きものを商人に研究せしめよとな

らば其心智を錬磨するの功能は兎も角も商人の營業上に取て目前の利益なきは勿論の事な

らんなれども經濟學は大に是等の諸學と異にして彼のアダム スミス、ジヨン スチユワ

ードミル、ヘンリー ビー ケリー等諸氏の説の如き現に社會人事の實際に應用して其主

義に誤なき事は世論の既に許す所なり今もし日本の實際家に問ふに古來日本の孤嶋中に棲

息したる故老輩の自認したる實地經濟の主義と世界の有名なる經濟學の諸大家が唱へたる

説にして而も世界の公論に於てその眞實なることを許したる經濟の主義と孰れの方に誤謬

少なきやの疑問を以てしたらば如何、流石の實際家も彼を是とし之を非とすること能はざ

るべし若し或は實際家にして猶ほ學理を實地に應用することに異議あらば茲に君等の熟知

する手近なる一例あり近來日本にて西洋の簿記法を用ゐてより商家の帳合法に非常の改良

を加へたるは世人の知る所にして今日に至りては誰れか亦彼の日記帳も試算表も備はらざ

る雜駁なる舊式の大福帳に變ずることを好むものあらんや然るにこの簿記の定式とても其

初めに於て實際家は之を悦ばず單に書物上の理論なりとして排斥したるにあらずや其他鐵

道なり電信なり郵便なり何れも書物上の理論を實際に應用したるものにて日本の故老輩の

所謂實際上より發明したるものにあらざるなり左れば學理を講して之を實地に應用するの

利益たるや明々白々の次第にして近代著しき進歩をなしたる日本の開化も遠くその源に遡

れば之をワツト、フルトン、ガルヴアニ、ステヘンソン等諸人が勉強耐忍の功績に歸せざ

るを得ず、保護貿易自由貿易の問題は何を根據として之を論ずるや、國會憲法の議論も西

洋傳來の説を應用したるものにあらずや日本國人殊に日本の商人たるものは不文粗野なる

實地論のみに偏せずして西洋學問の心掛肝要なりと云ふべし

第二日本の商人は宜しく營業の實義を養成すべし抑も營業實義とは全く一身の實義とは異

にして一身の實義は重に家庭の敎育に依て養はるゝものにて營業の實義は全く社會の機關

に依て陶成さるゝものなり我輩の所謂社會の機關とは即ち商賣の意味にして商賣益々活溌

なれば營業の實義も亦隨て愈々發達するものにて現に驚くべき適例と申すは日本にては品

物取調の間に手附金を要することは平常の事なれども米國にては手附金を要すること殆ん

ど稀なりと云へり然れども營業の實義は元來生得のものにあらずして寧ろ習得に属するも

のなれば此日米間の優劣を以て東西人種の差異に歸すべからざるは勿論の事にして今の日

本の商人をして營業の實義を養はしむるの一法は今後益々諸外國との貿易を擴張し日本の

商賣をして活溌ならしむるに在るのみ盖し此の如くなるときは漸次に四海同商(ビジ子ス

コスモポリタニズム)の境界に達するを得べきなり抑も此四海同商なる商賣上の美德は一

朝一夕に成る可らず永年月の間外國貿易上の視察と經驗とに由りて自然に生ずるものにし

てこれ美德一たび發生する時は人々同國人又は同人種のみを贔屓するの偏倚心を脱し、内

外の區別なく人に對して實義を盡さゞる可らざる事を知り、人を欺くは結局己れの不利に

歸するを以て所謂實義は最上の分別たることを合點し、外國人を欺くは内國人を欺くの初

めにして終には世界の欺騙者となるの理を解するに至るべし盖し人を欺くことは苟しくも

德義心を存するものゝ爲すを恥づべき事なるのみならず全く私慾の情より出づるも結局自

身の不利に歸するものなり何となれば商人にして人を欺くときは世に信用なくして立所に

その得意を失ふべし而して商賣上に於て信用といへる辞は單に德義の意味のみにあらずし

て得意を增し又は之を造るの意味を含み得意の多きは商賣活溌の兆にして商賣の活溌なる

即ち商賣繁昌の兆なればなり其他不正の商品を造り又は些細なる事故に於て外國人を欺く

等の事は何れも商賣の融通を妨ぐるものにして詰り各自の損失に歸するが故に商人たる者

は獨り德義上よりのみならず自家の繁榮を謀るの一點よりも實義を守ること最も大切なり

と知る可し竊に案するに今日米國の商人社會は既に商業上の美德たる四海同商の境界に達

したりや否やの疑問に至ては我輩容易に之に答ふる能はずと雖も然れども米國は日本より

も此境界に近付たりとの一事は之を明言するも敢て誤なきを信ずるなり一身の實義の厚薄

に至ては日米兩國人の間に差したる相違なき事なれども前者の後者に及ばざる所は唯前者

に於て營業の實義欠乏するの一點に在るのみなり左れば日本の商人等も今より心事を一轉

し營業は自から營業にして私交は自から私交なることを記臆し時としては世辞追從の必要

なる塲合もあらんと雖ども須らく世辞たらたらの追從敬白に換ふるに簡單なる Good

morning の一言を以てし店頭に客人に茶を進むるが如き優長なる擧動をば斷然之を廢止

せよと勸告せざるを得ざるなり然りと雖も我輩は敢て君等を非難するものにあらず君等が

一身は十分に四海同商の境界に達するの能力を有する尚その上に我日本の位置を尋ねれば

東に米國、西に支那、無盡藏の富源を有する両大國の間に挾まれるを以て我國人がこの美

德をさへ養ふに於ては自國の地位は則ち既に最上を占めたるものなり、我同胞商人等は須

らく精勵して商業世界の四海一家に歸することを勉むべし、我輩は日本人としてこの美事

を甚だ遠からざる未來に目撃せんことを望む者なり殊に此四海同商の主義こそ世界の眞相

を知りて報國心中能く萬國同仁の義を維持するの大本なる可ければ我輩はますます冀望に

堪へざるなり我輩は西洋の學理に基き萬國通商の視察と經驗とに由つて養ひ得たる此大本

を名づけて商人の品位を稱せんと欲する者なり

 〇昨日の社説六行目に「他の一方に百目の分銅を吊して」は「他の一方百目の所に分銅

を吊して」の誤なり