「海外移住に適する者甚だ多し」
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本文
海外移住に適する者甚だ多し
日本の人民が海外に移住すればとて愛しむに足らず我貧社會に貧士民の群集するは小池に
衆魚の群集して喘ぎ苦しむものに異ならずとの次第は前日の社説の一節にも記したる所に
して讀者も大概その意を了解したることならん今この立論に從ひ社會の實際に就て之を證
せんに凡そ人間社會の人を三類に分ち第一類は智力もあり金力も豐にして多少に事業を爲
し自から利するに兼て又間接に社會の利益を興す者なり山に金石材木あり之を捨てゝ顧み
されば無きに等しき無用のものなれども此事業家の働に由り無用を轉じて有用の姿となす
可し農商工業何に限らず一二人物の智力金力に由て興りたるの事例甚だ少なからず即ち之
を名けて社會に有用なる人物と云ふ而して其有用は何ほどにまで有用なるやと尋るに其人
が資産を作り出して其内を私用に供したる殘額は都て國の用を爲すものと云て可ならん例
へば爰に一個人の働を以て一年に五千圓の所得ありとして其五千圓の内より三千圓を家計
に費すときは殘二千圓は國用を爲すものなり如何となれば此二千圓を以て自から業を起す
か又は人に貸して起業の資本に供するときは其事業は廣く國益を爲して又隨て國力の一部
分たる可ければなり故に斯る人物の多きは一國繁榮の本にして其一個人の有無は毎年國の
爲めに二千圓の得失に等しきものと云ふ可し或は此點より見れば生計こそ低くけれども農
民が一家内の働を以て米麥薪炭等を作り出し自分に衣食して能く租税を納ることを得れば
其租税丈けは國の用を爲すものなれども内實を尋れば其衣食も足らずして飢寒に迫りなが
ら無理に納税するものゝ如きは社會に有用なる人とは名く可からざるが如し
第二類は智力金力十分ならず或は智力あるも之を用る所なくして家計にも所得少なしと雖
も左ればとて敢て他人の厄介たるにもあらず俗に所謂出ず入らずの活計する者にして例へ
ば一箇月に三十圓の所得を三十圓丈け衣食して餘す所なく唯僅に政府の筋に納る租税ばか
りが國の用を爲すのみにして他は一切自働自活に止まるのみ此類の人は國の爲めに謀りて
有るも宜し無きも亦苦しからずと云ふ可きものなり
第三類は金力素より無くして智力も体力もなく唯他人の勞力に依頼して衣食する者なり此
類は所謂社會に厄介ものにして一人は一人丈けの國力を減するがゆゑに經世家の目的は常
に之を改良して聊かたりとも自活の道に入らしめんとするに在り例へば不具廢疾盲唖の如
きも之を治療し之を教育する其本意は廢物を救ふて有用の者たらしめんとするの外ならず
或は又この廢物より少しく上りて体力屈強にして聊か智力もあきにあらざれども社會人民
の群集稠密なるが爲めに勞働の仕事を得ず唯本人の目的とする所は日々の衣食を得て一日
の飢〓を免かるゝに在るのみなれども衣服身に煖なるを得ざるのみか日に三度の食物さへ
得るに由なくして身躬から其身の始末に困る者多し是れ亦社會の經濟の爲めに謀れば厄介
の名を免かれ難し其有るは無きの勝れるに若かざるなり
右の如く仮に國民の位を三類に分ちて其第三類は國の經濟の爲めに無くて苦しからず、有
て却て厄介なりとの立言は爭ふ可らざる所のものならん然るに今我日本社會の實際に就て
此類の種族ありやなしやと尋るに我輩は其割合の多きに驚くの外なし試に地方に行て其状
況を視察すれば農民次第に衰弱して其家産を失ひ今は祖先傳來の田畑にも離れて唯毎日の
労働に食まんとし職を求る者次第に増加すれば職を命ずる者は次第に減少し隨て其賃錢の
割合も次第に下落して男子一日の賃は十五錢以下婦人は八錢以下に下り甚だしき塲所柄に
は男子八錢婦人二錢の賃錢もあり尚甚だしきは唯三度の食物をさへ與ふれば無賃にて終日
勞働せんと云ふ者さへあり尚これよりも甚だしきは故さらに輕き罪を犯して警吏の手に拘
留せられ其拘留中の食物を貪りて以て一時の飢を免かるゝの狡猾手段を運す者さへありと
いふ厄介も亦極度に達したる者にして社會の爲めに利益などゝは實に思ひも寄らぬ事共な
り名は日本國民といふと雖も其實は國の爲めに一毫の用を爲さずして却て同國民の厄介た
り語を酷にすれば弱國の元素と稱するも可なり斯る貧種族の群集する日本國にして内外交
通至便の今日に會したるこそ幸なれ我れに餘る人民を移して彼れの不足を補ふ即ち貿易商
賣の大主義なり日本に餘る生糸は之を輸出して米國に餘る石油は之を輸入す輸出輸入何ぞ
獨り物に限らんや苟も餘るものなれば人を輸出するも怪しむに足らず我輩は飽までも移住
論を賛成するものなり
或人の説に厄介なる貧士民に移住を勸るは可なりと雖も既に自國に居て自活するを得ざる
程の者なり本來無氣力の廢物これに移住を勸告するも勸告に應ずる者なきを如何せんとて
鄙言を難するものあり我輩とても其邊は初めより思はざるにあらず今の貧士民は氣力に乏
しき者なり殊に海外移住などは最も不慣なる所なれば容易に奮發する者なかる可しと雖ど
も貧士民悉皆無氣力にもあらず且この移住は必ずしも直に其貧人を移すにも限らず何れの
部分にても唯日本社會の中より人口をさへ減少すれば其減數丈けは餘地を生じて跡に殘る
貧弱者の働を自由にするの機會たるべし勞働既に自由なれば氣力も亦隨て發生して内に自
から生活の安楽を得べし庭園の泉水に金魚の數多きに過ぎて惱む者あるときは必ずしも其
中の小弱のみを他に移すを要せず唯金魚の數を減ずれば以て泉水中全般の生氣を増すに足
る可し人と金魚と其理相同じきものなり