「株券狂者に一言を呈す」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「株券狂者に一言を呈す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

株券狂者に一言を呈す

今の日本の社會にて文明の事業を首唱し又發起するは如何なる人なりやと尋ぬれば幾分か事業上の思慮經驗もありて兼ねて相應の財産を所持し政府の役人にも面識の者多くして其願意の通りもよく民間にも多少の信用ありてアノ人ならば大丈夫なりと思はるゝ人々にして一言以て之を蔽へば事業家兼資本家とも稱す可き活溌なる者共なり斯くて悠々漠然たる他の世人の金滿家は概して有錢無志無識にして文明の事業の性質如何を知らざるが故に何か世に有益の事業の起るを見て之れに其資本を投ぜんとすれば事業其物の損益適否を問はずして先づ發起者の人物如何を探り事業に依頼せずして人物に依頼するの趣なきを得ず然るに近來事業社會は次第に活動の色を呈し全國各地私立鐵道の計畫なきはなく其他何々會社の名稱を以て新事業を發起するもの頂背相望むの勢にして鐵道以下の諸株券は孰れも其價を増し一株百圓の中僅かに五十錢乃至一圓の手附金を拂込む間もなく株券の價は券面價格の五割方も騰貴するが如きもの此々皆な是にして一種の語を用ゆれば株券狂(ストック マニヤ)の世の中とも稱す可き程なる其際に例の首唱者發起者の擧動を見れば少しく頼母しからざる者あるが如しと申すは元來今の私立鐵道其他諸會社の計畫は彼の發起者の發起したる者にして其株券の景氣附きたるは他の漠然家が其事業の前途如何を想像するに暇あらず唯發起者の人物を目當てとして無暗に其資本を投ずるより外ならず即ち此發起者は世上金滿家の膽望する所と爲り其事業の成効に就き株主總体の信用を負擔するものなれば徳義上より云ふ時は自身奮て其事業に當り之を成就して世上の信任に答へざる可らざる筈なるに然るにこの人々は己れ首唱して其事業を發起しながら其成功如何を顧みず株券の一時に騰貴するを窺ひ窃に之を賣却して跡は野となれ山となれとて去て頓着せざるの事情なきにあらず即ち今日隱然たる事業社會の内幕にして尚未だ發表せざるものなれども我輩が竊に今後の成行を豫想するに彼の漠然たる無數の金滿家は株券を抱き金玉として之を守る其最中に何ぞ料らん當初鬼神の如く信仰したる發起者が緩流急退の策に出でゝ蝉脱したるを發見し頓に不安の心を生じ退いて前途を想像すればますます不安に堪へず其趣は臆病者が武者修行と同道して化物屋敷に取殘されたるが如く滿目の物皆怪しからざるはなし腥風襟邊を吹き枯木幽靈、落葉足音、膽を冷して逃走する其影響は忽ち事業社會の恐慌(パニツク)と爲り我日本社會に容易ならざる事態を現出することなきを期す可らず我輩の甚だ掛念する所のものなり

畢竟現今の状勢に於て前陳の如き事態を生ぜんとするの豫想ある所以のものは我國にて資本家と事業家と相分立せざるの一事興て大に關係ある可しと信ずるなり歐米諸國の例を按ずるに事業家は其専門の技術と思想とを以て夫れ夫れの事業を計畫し資本と勞力とを集めて之を成就するものにして資本家は事業家の計畫其意に適して果して有益なりと信ずるときは之れに資本を投ずるものなり斯くて事業は事業家、資本は資本家が持ち切るの習なれば資本主は何人なるに拘はらず其事業成功の責任は依然として事業家に屬し株券持主の變換は毫も事業の成否に關せざるを常とす例へば彼の蘇西運河及びパナマ運河の掘割の如き佛國の事業家ドレセツプ氏の計畫に係り當時各國の資本家は氏の測量豫算等を見て之れに資本を投じたるものにして此運河會社の株券は日々市塲に賣買せられ時々其持主を變ずれども事業家たるレセツプ氏は始終其事業に當るが故に世の資本家は其株主に如何なる人物あるを問はず唯其事業に依頼して安んじて株券を所持することを得べし斯る有樣なれば自ら事業社會に恐慌を生ずるの患も稀なれども我國の如く資本家と事業家と同体なる塲所柄にては其發起者株主の進退次第にて事業を左右し甚だしきは起工半途に凋零するの弊[下が犬]なきを得ず左れば我國の急要として世の資本家の信用を得るが爲めに純然たる獨立の事業者こそ所望なれども社會發達の順序もあることにして俄に望む可らざるものなれば唯今日に願ふ所は彼の活溌なる首唱者發起者が如何に私益を主とするとは云へ名譽も亦大切なり苟も事業を發起するからには世上資本家の信任を空うせず其進退の間に幾分か徳義心を存して臆病者を化物屋敷に置き去りにするが如きことを爲さず又他の漠然たる金滿家も如何に漠然とは云へ少しく自から利害を顧み漫に株券狂の熱に乘じて無暗に妄進することなく互に相注意して後來事業社會の恐慌を避くるの一事のみ