「北海道大商社の設立」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「北海道大商社の設立」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

北海道大商社の設立

去る二日及び本日の雜報欄内に北海道に一大商社を置かるゝ由を記載せり抑も北海道は土

地廣漠にして山海共に遺利あれども人口甚だ稀薄なれば我政府は維新以來こゝに注意して

内地の人民を移住せしめんがため明治二年七月開拓使を置き十五年二月には一度之を廢し

て函館札幌根室の三縣に分ちたれども尚北海道事業管理局を置て特別に其事業を管理せし

めしが十八年十二月には更に右三縣を廢して北海道理事廳を置けりかく我政府が屡々北海

道の管理法を變更したるに付或は時に世論を招き喋々其是非を鳴したるものなきにあらざ

れども我政府の主意は内地に餘りある人民を北海道に移住せしめて其土地を開拓し山海の

遺利を収て其人民の生を厚ふし併せて國庫の所入を増加せんとするにあり此主意を以て多

年一日の如く北海道に注意したるは吾輩の深く賛成する所なりされども我政府が北海道の

爲めに國庫の財を費すは年々僅少にあらず明治十九年度豫算表に北海道本廳費は合計二百

五十萬圓とありて各府縣補助費合計六百萬圓に比すれば既に甚だ多しと雖も十九年の所費

は其以前に比して減少せしものなりと云ふ左れば明治二年以來我政府が該道の爲めに國庫

の金を出したる高は容易ならざるものと知る可し斯く我政府が巨額の財を北門に投したれ

ども最大の目的たる移住の人民は其割合に少なく明治四年より十八年迄十四年間の統計凡

そ十萬人に過ぎず又官立工塲及び鐵道開鑛抔の利益も其資本に比例すれば利得甚だ薄くし

て所費を償ふに足らず是れ或は世論の喋々たる由縁にして我政府も亦こゝに見る所ありし

ならんか昨年井上山縣の兩大臣が態々北海道に赴き其状勢を巡視せられたり吾輩は以來今

日に至るまで政府は必ず大に北海道に爲す所あらんと待ち設けたりしに今回始めて一大商

社設立の風聞を聞き得たり我輩は我政府及び商社の當局者が必らず既往の成敗に鑑みて更

に計畫する所あるを信ずるなり

今商社の様子を聞くに資本は合計五百萬圓にして政府の保護に係り半官半民の資格を以て

北海道の官立事業は一切此商社にて引受け其他物産の賣捌銀行の取引海陸運輸の事に至る

までも自から商社の一手に歸するの勢を成すべしと云ふ實に盛なるものにして是れぞ所謂

大日本の東印度會社ならん我輩は未だ其社則條例をさへ一見せざる者なれば詳細の議論を

下だす能はざれども先年の經驗に照らし見れば保護會社なるものは兎角其目的を誤ること

少なからざるが如し本來會社の目的は自からも利して隨て他を利し又これを保護したる政

府へも不利なからしむるに在るのみ然るに政府の保護特に厚ければ會社の利は豐なる可け

れども單に保護の利を利するのみにして不利は保護者に歸せざるを得ず目的を達したるも

のに非ざるなり尚この上にも保護會社の擔任者は擔任重きに似て人情の世界其内實は重き

を覺へず自然に不取締に陥るのみならず時としては商賣普通の主義に背いて漫に賣り漫に

買ひ以て民間の同業者を窘しむるの弊なきに非ず即ち他の利を害するものにして是れ亦本

來の目的にあらざるなり我輩が既往の事例を思ひ起して保護會社の始末を視れば目的を達

したるものは稀にして誤りたるものは多し全く時勢の然らしむる所にして今の我官民の組

織關係にては何樣に規約條例を設るも尋常一樣の民業に對して政府の保護は有害無益のこ

となりと斷言せざるを得ず左れば今回北海道の新商社は今回に限り能く舊弊風を脱して新

面目を開く可きや若しも然らずして舊例の如く唯國庫の財を以て一商社の保護を厚ふし内

地官民の貧嚢を空ふして北門紳商の懷を暖にし政府に利する所なくして他の商賣社會を妨

るが如きありては仮令へ其設立の趣意は我輩の賛成する所にても其事實に就ては異議なき

能はず北海道開拓事業の成敗は我日本全國の利害に關係するものにして其事成れば内地の

人民を移して其移住者に衣食を得せしむるのみならず内に殘る者も其勞働生活に餘地を得

て内外共に利する所のものなれば我輩は飽くまでも商社の成業と冀望して措く能はず其冀

望の切なる未だ社の規則條定款(左が疑うの左)の発表せざるに先だち先づ賛成の意を表

して併せて當局者の注意を促がすものなり