「半生の學術何の用をか爲す」
このページについて
時事新報に掲載された「半生の學術何の用をか爲す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
半生の學術何の用をか爲す
日本開國以來既に三十年西洋の文化次第に國中に流行して今日社會の上流に立つ士人は何
れも西洋の書を讀み文明の事を講せざるものはなくその西洋諸國に渡航し各科の學術を修
め又は文明の實際を見聞して歸朝したるものと國内にて西洋文明の教育を受け公私の學校
に卒業したる者とは素より論なく其他仮令へ身は西洋に行かず目に西洋の書を讀まざるも
精神既に全く西洋文明の主義を信ずるの輩は日本國中に其數計るべからず盖し今日、日本
の社會に立て實際の事に當るの人もしくは之より社會に立たんとする人は何れも文明新主
義の人々にしてその社會に立つ人々の心身既に文明なればその社會亦文明ならざるを得ず
日本文明の前途甚だ望みあり我輩の窃に心強く思ふ所なれども顧みて事の實際を見るに日
本文明の進歩は政府の事業の外、思ひの外に遲々として其人の文明なる割合に國の文明の
進まざるは何ぞや盖し文明の事業は金錢を要する事にして國に殖産商賣の盛ならずして獨
り文明開化の花は發するの理なければ日本文明の遲々たるも亦無理ならぬ次第にして今も
し政府の部内に入てその仕事を觀れば法律と云ひ教育と云ひ海陸兵事と云ひ農商工事と云
ひ其他電信鐵道郵便土木等何れも文明の仕事にして錢を費す事頗る多く其仕事も亦活溌に
して甚だ面白しと雖ども僅かに一歩して政府の門外に出づれば其觀惣ち異にして野分の後
の如く寒食の朝の如く滿目荒凉、四望蕭條山川風物依然たる舊日本にして殖産起らず商賣
盛ならず間々之あるものは政府の保護に依るものか又はその邊に由縁あるものにして今の
日本社會には政府の仕事の外、文明の仕事なしといふも敢て不可ならざる有樣なり左れば
とて政府の事業は素より限りあり盡く國中文明の士人を網羅すべきにあらず而して文明士
人たるものゝ目的も始めより政府に入りて事をなすの志願に非ず民間に在て獨立の業を企
つるこそ其本分とする所なれども如何せん日本の國力甚だ薄弱にして政府の事を外にして
文明士人に恰當する事業とては國内甚だ其事に乏しく士人が世に處するの法誠に困難なり
と云ふ可し若し此士人の學ぶ所のものをして支那流の文學の如きものならしめなば斯る厄
運に際しながらも滿胸の不平は之を詩文に托して以て一世を嘲弄し人窮して〓益々巧みな
どとて窃に自らその無聊を慰むる事もあらんなれども不幸にも今の士人の學び得たる處は
支那流の浮文虚辭にあらずして西洋文明の實學なり半生の學術滿腹の經倫これを施さんと
して施すに所なし煩悶憂憤堪ゆべからざるなり然るに浮世の習ひとして彼の時得顔なる
人々を見るに必ずしも才能學藝の我に優るものにあらず或は實に無能無藝にして不可思議
の由縁に依りて其地位を得たるものもなきにあらず是等の〓相はその煩悶憂鬱の情をして
轉た益々深からしむ〓〓〓なりされば今文明士人の爲めに謀りて處世の方法如何して可な
らんといふに腰を屈して政府の門に入〓〓〓仕事に服せんか其事固より易からずして亦獨
立士人の心に甘んぜざる所ならんさりとて強て煩悶憂鬱の情を抑へ碌々國内に蟄伏して他
年一日機運到來して殖産商賣の業大に興起するの時日を待んかその時日は容易に來らずし
て身に迫るの苦痛は益々甚しく士人の心に於てその長きに堪えざる事ならん然らば則ち世
界は廣く人事は多し然かも其事に文明の人を要すること今の日本の有樣に反對するの〓な
きに非ず文明士人の眼力〓も此邊に達したるや若しも然るに於ては空しく國内に屈して無
聊に煩悶せんか國外に出でゝ其技倆を試みんか我輩は士人に向て早くその去就を决せんこ
とを勸告する傍らに猶ほ一言を費さゞるべからざるものあり小人閑居して不善を爲すとい
へども無聊閑散は獨り小人をして不善ならしむるのみにあらず君子亦能く不善を爲す可し
心身の働き十分なる人をして其働きを十分ならしめざるは猶ほ無病健康の人を捕へて檻内
に押込むるに同じくその結果甚だ恐る可し今の文明士人は十分に働くの力を有して働くの
地なきに苦しむものなれば之をして無聊閑散に苦ましむるなきは經世家の當さに注意を要
する所なる可し