「愛國の士人漫に人を愛しむ勿れ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「愛國の士人漫に人を愛しむ勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

愛國の士人漫に人を愛しむ勿れ

海外の移住に適當する者は各地方の貧農民のみならず舊藩士族又は其他にも甚だ少なから

ざることならん我輩は今日何れの地方に幾千幾萬の合格者ありとの數を明言することは叶

はざれども其數の存外に多きは敢て保證する所なり試に其一例を示さんに明治十七年の調

査に日本全國の人力車十七萬零零七十九とあり即ち日本國には筋骨屈強にして体力精撰と

も稱す可き壮年十七萬人は毎日車を挽いて走るの業に就く者あり車を挽いて走る者の數が

十七萬なれば之に乘て挽かるゝ客の數も亦十七萬にして毎日車上にて走る可き筈なるに實

際に於ては决して然らず東京市中を一見しても途上を走る人力車は一挺にして四辻の停車

塲に休むものは其割合三挺も四挺もあり去て地方に行て見れば宿驛の棒鼻等諸處に閑却す

る車は幾挺なるを知らず一挺の空車を守る一人の車夫は閑居無事に苦しみたまたま客の影

を望見れば之に群集して車を勸め十車夫一客を爭ひ首尾能く載せ得て走る者は連城の壁を

得るに異ならず而して其壁の價如何と云ふに一里二三錢に過ぎざるのみ之を要するに全國

十七萬の車夫が毎日勞働す可き時を十時間として實に客を載せて走る時間は平均して二時

半乃至三時間ならんと云ふ此數大に違ふことなかる可し十時の中に働く時を三時とすれば

殘の七時間は空しく客を待て閑居するの時なり即ち三時は生産の時にして七時は不生産の

時なり今これを十七萬の數に就て三と七とに計算すれば大數五萬人は働き十二萬人は閑居

するの割合を見る可し故に目下日本にて人力車の實用は五萬の車夫が日に十時間を働けば

事足る可き處へ之に十二萬を加へ十七萬人の力を以て五萬人の業を營むものと云ふ可し働

く者も衣食し働かざる者も亦衣食す十二萬人の衣食は國の經濟より見て全損と云はざるを

得ず左れば今仮にこの餘計なる十二萬の役丁を外國に移したりとて自國に何等の影響ある

可きや客を待て自國の〓〓に閑居するも自國を辞して外國に去るも本來人力車の運用は依

然として車を求る客に不自由を感ぜしうることなく唯〓〓に異なる所は日本の經濟に十二

萬人の衣食を省畧して跡に殘る五萬の車夫が以前に比して其勞を三倍し所得を三倍するの

利益ある可きのみ

又我國の監獄に在る未决既决の罪人を計るに明治十六年は五萬七千九百三十五人、十七年

は七萬千四百九十八人、十八年は七萬八千二百四十二人とあり斯の如く在監の人員は年々

に増加して良民の力に食み其人員の増加を共に警吏の數も増さゞるを得ず是亦容易ならざ

る入費なる可し抑も罪人の性質は〓々樣々なりと雖ども其内の〓〓の如きは貧困より懸念

を發したる者も必ず少なからざることならん或る靜岡縣人の話に同縣下に窃盗多くして又

詞訟の繁きも他縣に異ならず然るに毎年四五月の頃より九十月に至るまでの間は盗難甚だ

少なくして詞訟の沙汰も稀なり其原因は他なし凡ろ春夏の半年間は製茶の時節にて全縣下

の壯者は勿論老幼婦女子に至るまでも悉皆職業に就き多少に所得あるが故に物を盗むの要

用なく又金錢の出入等にて詞訟せんとする者も利害を考れば裁判所に時を費すよりも其時

間を以て業を勉るに若かずとの胸(月が下)算を得るが爲めに爭論を見合することならん

斯くの如く凡そ半年の間は太平無事にして漸く秋に入り茶業漸く収まりて嚴寒の天と爲り

縣民都て閑居するに至れば其不善を爲すこと去年に異ならず左れば人の天性好んで物を盗

む者もなく戯に詞訟する者もなく唯職業を得ずして飢寒に逐はれ遂に不善の門に入るのみ

ならん云々の物語りは我輩が曾て之を耳にして心に記する所なり依て案するに是等の事情

は靜岡一縣に限らず各地共に同様なる可く之を要するに人間社會の惡事は貧乏より生じ貧

乏の原因は無職業に在りと判斷して可ならんのみ然るに今我國の人民をして職業を得せし

めんとするも人は多くして事は少なし例へば靜岡縣なればこそ春夏の間に少しく仕事あれ

ども全國を平均して其多數を見たらば一年三百六十日靜岡の冬の如き地方のみならん小盗

難の多きも謂れなきにあらず抑も道徳に照らして目下の樣を見れば偸兒誠に惡む可しと雖

ども寛大の度量を以て一方より考れば危險を犯して他人の物を盗むは暗愚者の能くす可き

業に非ず故に若しも此輩を其未だ盗まざるに救ふの道あらば或は生涯盗まざるの良民たる

こともある可きなれば道徳論などは姑く擱き兎にも角にも全國の貧民に授るに相當の職業

を以てして辛くも其飢寒を救ひ自から物を盗むの要なきこと靜岡縣民の春夏の如くならし

めんこと社會全般の經濟の爲めに祈る所なり而して其方法如何と云ふに單に無職の貧民を

外に移して内に勞働の餘地を廣くするの一策あるのみ此點より見れば海外移住は内國の盗

難を少なくするの新案と云ふも可ならん

以上の次第なるを以て若しも愛國の士人が海外移住に異議を容れ我國民の減少するに付て

心配とならば我輩は决して有職の勞働者を奪ひ去るに非ず唯今日君等の處分に持て餘まし

たる遊民を所望するのみ客待ちの車夫十二萬人在監の厄介者七萬人毫も國の用を爲さゞる

のみか閑居無事、暗々裡に君等の衣食の一部分を消費し又は明白に國財に衣食する者なり

之を外に移すは内に損することなくして其衣食丈けを利するの手段なり况んや此者等が外

に勞働して身を立るに至れば其利益は自から本國の利益たる可きに於てをや往古來の始皇

が三十萬の卒を起して萬里の長城を築きたりとて今に至るまで世界の人の談柄たりと雖ど

も我輩を以てすれば深く驚くに足らず我十二萬の人力車夫と七萬の罪人と之に加ふるに各

地方無數の貧民を以てすれば萬里の長城再び築く可しパナマ運河新に開く可し内に在れば

生涯飢に泣て死するのみ外に出れば大事業を成すべし所謂愛國の士人は同胞の飢寒を見て

之を愛憐するの情なきは我輩の解する能はざる所のものなり