「封建の遺物猶ほ存するものあり」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「封建の遺物猶ほ存するものあり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

封建の遺物猶ほ存するものあり

西洋文明の風潮一たび日本の社會を振盪してより其勢蕩々として止むべからず徳川の政府

之が爲に倒れ封建の制度之が爲に廢し士族の常職を免し宗教の嚴禁を解き税則を更へ暦法

を改むる等苟しくも封建時代の遺物とあれば悉く破壞滅却して用捨あることなし所謂舊來

の陋習を破り天地の公道に基くものにて之を名けて維新の王政と稱す而してこの舊物破壞

の大勢は獨り政治上に止まらずして次第に廣く社會の人事上に及ぼす其勢は水の下流に赴

くが如くにして其間多少の迂餘曲折ありと雖ども詰り其至るべき處に至り止まるべき處に

止まり終に大江萬里の觀をなさずしては息まざることなるべし左れば今の世の中には猶ほ

この急流の中に生存して舊樣を保つものなきにあらずと雖ども社會の風潮は日に其勢を逞

ふして到底、微妙の處にまで入込むべきものなれば是等の舊物は時に早晩こそあれ他年一

日破滅の末期に到着すべき運命のものと今の内より覺悟すること上策ならん今日文明の眼

を以て日本の社會を見渡せば破壞の大勢に打洩されて猶ほ社會の一隅に殘喘を保つの舊物、

中々少なからざる事なるが就中封建の遺物として最も我輩の目に障るものは大名華族の家

政と各宗寺門の宗制との二つなりとす

熟ら熟ら案ずるに華族は一國の膽望にして殊別なる榮爵を有し帝室の寵光殊に渥く世間の

禮遇甚だ盛んにして其身分進退は宮内大臣これを管理し外には華族局の設けありて同族相

匡濟するの誼を盡し内には家令家扶の職を定めて一家の事を處理するあり殊に昨年世襲財

産法の制定ありて子孫後世の基礎こゝに確定し自今永世華族たるの体面を保ち帝室の藩屏

たるに差支へなきものゝ如くなれども又竊かに案ずるに今の華族諸君は二十年前までは何

れも乃祖の勳功に頼り數萬石乃至數十萬石の富を有して數多の郡國に君臨し殊に二百年來

文恬武熈の餘習を受けたれば所謂深宮の中に生れ婦人の手に長じたるもの十の八九に居る

ことならん抑も廢藩の一擧、遽かに祖宗百年の山河を失ひ數代恩顧の臣民に離れて其状甚

だ悲しむべきが如しと雖も天恩優渥にしてその歳入家計には一も變る所なきのみならず今

日〓下に居住するの自由安樂なるは國許に在城せし昔日の窮屈無聊に比して其愉快殆んど

計るべからずされば今の華族諸君は家に在ては嚴然たる前の御大名殿樣にして曾て世間に

酸辛の味あるを知らず自ら家政を處理するが如きはその最も長ずる所にあらざれば家政萬

端の事は一切之を家の令扶に委ね其忠實を信用するの外なきことならん而して其令扶たる

ものも大抵は舊藩の士人にして或は幼時より君側に給仕したるものもあらん或は君の御目

鏡を以て其任に當りたるものもあらん何れも忠誠無二の輩なるべければ君臣の舊情義に依

頼して之に托するの家政の萬機を以てするも毫も心配の次第なかるべしと雖ども今後老少

代謝新陳更迭する其中には社會の風潮頻りに其勢を逞ふして君臣の舊情次第に冷却せんと

する其傍らに都門射利の士は君が優容寛大の仁を利用して奇貨居くべしとの野心を抱くも

の出來せずとも申し難し勿論今日は既に世襲財産法の制定もあれば華族の家計の事に就て

は聊か心配なきが如しと雖ども特殊の榮譽を有し一國の標準ともなるべき一族にして其祖

宗が百職の勲功より享有したる家産〓〓ひ盡して纔かに制法の保護の下にその生存を托す

るが如きあらば華族たるの体面に於て相濟まざるのみならず帝室並に祖宗の恩靈に對して

も申譯なき次第なりと云ふべし就て之を今日に豫防するの策如何といふに我輩の所見にて

は華族の東京住居を止め家を携へて各々舊藩地に移住し公選又は其他の方法を以て舊藩士

中より名望財産に乏しからざるもの數名を選擧し舊藩主の家政を監督せしむるの一法ある

のみこの法とても矢張り君臣の舊情に依頼するものにて固より永久安全の策にあらずと雖

ども之を今後東京に居住して數人の令扶に家政を委ね時としては奇貨に居かるゝの危險あ

るものとその安危固より同日の談にあらずして或は社會風潮の衝を避けて以て數年の安を

偸むに足らんか斯くて彼是する内には主人自ら家政の綱紀を總攬するの法に熟するか或は

後生の子弟家事に當る等の事より自然に社會の風潮に連れてその家政を維持するの工夫も

あるに至るべし華族を舊藩地に移住せしむべしとは我輩が兼て所望する所にして其利益は

樣々なれども其様々を計へずして唯家政維持の一點より考ふるも其舊領移住を勸告するも

のなり

次に各宗寺門の宗制を見るに是又依然たる封建の遺物にして更に改良進歩せし處なきが如

し方今日本國内に特立流布する佛教は天台、眞言、浄土、時宗、法相、融通念佛、臨濟、

曹洞、黄檗、眞宗、日蓮の十一宗にしてこの十一宗中には大抵多少の門派あらざるはなく

而して各派各特立してその本山を管長となし以て派中の各末寺を統括するの例なるが故に

某宗と稱すと雖ども其實は二三又は五六の宗派に分れ嚴然一宗の姿をなし居るものにて例

へば眞宗の如きは其門派十派の多きあり即ち本願寺派、大谷派、佛光寺派、高田派、木邊

派、お興正寺派、出雲路派、山元派、誠照寺派、三門徒派これなりされば今の宗門と稱す

るものはその一宗中に於てすら既にかく四分五裂して更に統一する所なきが上に本山と末

寺との關係如何と問へば是も亦甚だ不始末を極め本山は依然たる寺格院閥の古本山にして

一派を整理統轄するの實力なく末寺末院とても唯古來の縁故を以て之に從屬するが如き次

第にて今の時勢に連れて進退運動するなどは扨置きかゝる不規律不統一の宗制を以て今の

世に立たんとするさへ覺束なき事なるを末世の習ひとは申しながらかゝる法運大切の塲合

をも憚からず動もすれば一宗派内の事に就き何か騒々しく言爭ひなどして却て凡俗の譏り

をも顧みざる如き擧動あるは實に忌々しき限りなりと申すべし左れば若し今の時に當りて

大に宗制を改革し紀綱を一新して法運の衰頽を挽回するの策あるにあらずんば日本の佛法

は社會文明の風潮の爲に押倒されて寺門法脈ともに亡滅の期に至るべきは更に疑ふべから

ざるなり此事に就ては我紙上に於て曾て詳論したる事あるを以て我輩は再び之を縷述する

にも及はずと思へども要するに以上の二物は共に封建の遺物にして幸に今日に生存したる

ものなれば今の内に早くその計をなさゞるに於ては早晩破壞の大勢に衝突するの末期を見

るに至ることならん今更ら珍らしからぬ議論なれども我輩は社會の近事に付き聊か感ずる

所ありて爲に一言するものなり