「東京府下の繁榮」
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本文
東京府下の繁榮
地方の不景氣は實に甚だしき有樣にして東京獨り之に感ぜざるが如しとは誰れ人も言ふ所
なれども唯口に言ふのみにして目に見る可き數なきが故に試に全國人口の割合を調査せし
に左の數を得たり依て之を本日の紙上に記して以て讀者の參考に供するものなり
日本全國の人民が漸く東京大坂両府及び神奈川縣に集合することは統計年鑑に徴するも亦
明白なり統計年鑑は現に成る者惟五冊、其体裁尚未だ完全の塲合に至らずして往々隔靴の
憾なきにあらずと雖ども我國の統計は此年鑑に若く者なければ之に據て考ふるに明治十三
年一月一日より十七年十二月三十一日迄五個年間の全國人口増加は凡そ二百零五萬人とす
之を各地に分別すれば東京府は二十七萬七千人を増加し大坂府は十四萬千人、神奈川縣は
九萬千人、其餘府縣は合計百五十四萬千人を増加せり即ち東京大坂及び神奈川三地の五個
年間人口増加は其餘府縣の人口増加に比して三分一の數を占めたり僅々三地にして人工増
加の割合此の如く大なるは人民漸く此三中心に集合するの實を見るに足るべし但し大坂府
は舊と境縣と分かれ居たる者が明治十四年これと合併したれば現今の大坂府は攝津河内和
泉大和の四國なれども明治十三年には惟攝津河内和泉大和の四國なれども明治十三年には
惟攝津一國のみを管轄せり故に前文の大坂府は惣べて攝津河内和泉大和の四國に就き計算
したるものなり以下これに傚ふ
右全國人口五個年間の増加を原數に比すれば毎千人に付平均五十七人の割合なりと雖ども
之を各地に分別すれば東京府は毎千人に付二百七十人、大坂府は九十二人、神奈川縣は百
二十人の割合にして其餘府縣は毎千人に付平均四十六人の割合なれば東京府は十八年間に
して其人口を二倍すべく大坂府は五十四年間、神奈川縣は四十二年間、其餘府縣は百零九
年間に各其人口を二倍すべし實に大なる差異なり又全國各地に就き人口増加の割合を見れ
ば毎府縣異同ありて一樣ならずこれ亦人民が東西に移り轉じて處々に集合するがためなら
んこゝに一法を設けてこれを證すべし
明治十六年一年間には全國人口の實際に増加すること毎千人に付十一人六分なれども生死
の差異は毎千人に付八人七分とす盖し全國人口は出生するの外増加の道なく死亡するの外
減少の理なきに實際に増加せし割合と生死の差異とに逕庭あるは之を我戸籍調査の不完全
に歸せざるべからず即ち本籍寄留を重複に計算せしと在來の無籍者を見出せしとに由るこ
とにて統計年鑑にも其由を記載せりされば實際に増加せし割合より生死の差異を減じたる
剰餘二人九分は戸籍調査は不完全より生じたる數と云ふ可し又明治十七年一年間には全國
人口の實際に増加すること毎千人に付十一人五分二厘なれども生死の差異は毎千人に付七
人とす故に毎千人に付四人五分二厘は同年中戸籍調査の際に生じたる本籍寄留の重複及び
無籍者を見出したる者なるべしと思はる右に付明治十六年一年間〓東京府の人口は實際に
増加すること毎千人に付二十一人零二厘にして生死の差異は四人四分なれば差引十六人六
分二厘の剰餘あり此中にて該年中戸籍調査の爲めに生じたる數二人九分二厘を減ずれば尚
十三人七分二厘の剰餘ありこれを他處より東京に集合せし人數とす即ち毎千人に付十三人
七分二厘は明治十六年の東京府人口凡そ百萬人に付合計一萬四千人なり又該一年間京都府
の人口は實際に増加すること毎千人に付四人七分七厘にして生死の差異は七人四分なれば
差引二人六分三厘の不足ありこれに該年中戸籍調査の爲めに生じたる數二人九分を加ふれ
ば五人五分三厘の不足ありこれを該府より他處に出で去りたる人數とす即ち毎千人に付五
人五分三厘は明治十六年の京都府人口凡そ八十四萬人に付合計四千六百人なりされば該一
年間京都府よりは他處に赴く者四千六百人なれども東京府へは他處より來る者一萬四千人
とす毎府縣此出入あり其畧表を掲ぐること左の如し
明治十六年一年間 同上實際人口の増加 生死の差異と實際人口の増
毎府縣生死の差異 毎千人に付 加とを互に差引し尚戸籍調
毎千人に付 査の不完全より生じたる數
を差引して得たる者即ち不
足は人民の出でたる割合に
して剰餘は人民の來りたる
割合なり共に毎千人に付
東 京 四、四〇 二一、〇二 入 一三、七二
京 都 七、四〇 一四、七七 出 五、五三
大 坂 一一、八〇 一〇、六三 出 一、四六
神奈川 一〇、六〇 一七、五〇 入 四、〇〇
兵 庫 七、二〇 一〇、四七 入 、三七
新 潟 一一、一〇 一二、六〇 出 一、四〇
函 舘 一一、三〇 二五、四〇 入 一一、二〇
崎 玉 一二、七〇 一四、四三 出 一、三〇
群 馬 一一、九〇 二一、二〇 入 六、四〇
千 葉 五、二〇 、〇〇 出 八、一〇
茨 城 一〇、三〇 一〇、八七 出 二、三三
栃 木 一三、二〇 一八、〇五 入 一、九五
三 重 一〇、八〇 一一、九八 出 一、七二
愛 知 一三、一〇 一五、五〇 出 、五〇
静 岡 一二、九〇 一二、一八 出 三、六二
山 梨 一二、三〇 一四、六三 出 、五七
滋 賀 一一、〇〇 一二、五二 出 一、三八
岐 阜 一二、五〇 一五、〇〇 出 、四〇
長 野 一〇、九〇 一〇、六四 出 三、一六
宮 城 八、四〇 一五、八〇 入 四、八〇
福 島 八、七〇 一五、四七 入 三、八七
岩 手 八、六〇 一六、三六 入 四、八六
青 森 七、〇〇 二〇、五〇 入 一〇、六〇
山 形 一一、〇〇 一七、二七 入 三、三七
秋 田 五、九〇 一二、六三 入 三、八三
福 井 一〇、八〇 一二、〇二 出 一、六八
鳥 取 七、七〇 一〇、五六 出 、〇四
島 根 八、七〇 八、八二 出 二、七八
岡 山 六、六〇 九、七一 入 、二一
廣 島 八、四〇 七、九九 出 三、三一
山 口 四、八〇 三、三四 出 四、三六
和歌山 八、六〇 九、八三 出 一、六七
徳 島 八、九〇 六、一六 出 五、六四
愛 媛 一〇、八〇 一六、一〇 入 二、四〇
高 知 少 、二〇 減 一、〇九 出 四、一九
福 岡 七、九〇 七、〇九 出 三、七一
大 分 六、四〇 八、三一 出 、九九
熊 本 少 、六〇 三、〇〇 入 、七〇
沖 繩 少 四、二〇 八、三三 入 九、六三
札 幌 六、七〇 三六三、五〇 入 三五三、九〇
根 室 八、四〇 二〇〇、〇〇 入 一八八、七〇
右表中生死の差異に少とあるは出生の數死亡より少なきなり又實際人口の増加に減とある
は人口の増加せずして減少せしなり又出は此府縣より人民の他處に赴きたる割合にして入
は此府縣に人民の他處より來りたる割合なり以下亦之に傚ふ又右表中長崎佐賀石川富山鹿
兒島宮崎の六縣を除きたるは明治十六年中に新に割き且置きたる者なればなり
明治十七年一年間 同上實際人口の増加 生死の差異と實際人口の増
毎府縣生死の差異 毎千人に付 加とを互に差引し尚戸籍調
毎千人に付 査の不完全より生じたる數
を差引して得たる數即ち毎
府縣出入の割合毎千人に付
東 京 二、二〇 一八、七〇 入 一〇、九八
京 都 五、九〇 五、八四 出 四、五八
大 坂 八、二〇 二二、六八 入 九、九六
神奈川 九、八〇 二四、九〇 入 一〇、五八
兵 庫 五、九〇 一〇、四六 入 、〇四
長 崎 三、九〇 八、八九 入 、四七
新 潟 八、六〇 一二、一三 出 、九九
函 舘 一四、四〇 四四、二六 入 二五、三四
崎 玉 九、八〇 一三、四九 出 、八三
群 馬 九、四〇 一一、七四 出 二、一八
千 葉 四、一〇 六、四一 出 二、二一
茨 城 七、二〇 一三、一八 出 一、四六
栃 木 一四、二〇 一八、〇三 出 、六九
三 重 一七、三〇 七、九四 出 一三、八八
愛 知 一〇、〇〇 八、二九 出 六、二三
静 岡 一〇、八〇 一二、四二 出 二、九〇
山 梨 九、六〇 一一、二八 出 二、八四
滋 賀 九、一〇 一一、〇二 出 二、六〇
岐 阜 一〇、七〇 五、一三 出 、〇九
長 野 九、〇〇 九、九〇 出 三、六二
宮 城 五、四〇 一六、五五 入 六、六三
福 島 七、九〇 一〇、五八 出 一、八四
岩 手 八、七〇 一四、八四 入 一、六二
青 森 五、五〇 八、六九 出 一、三三
山 形 六、七〇 八、〇一 出 三、二一
秋 田 一、六〇 二、〇六 出 四、〇六
福 井 一一、〇〇 一八、四八 入 二、九六
石 川 一〇、八〇 一〇、五六 出 四、七六
富 山 九、九〇 一八、八七 入 四、四五
鳥 取 七、七〇 一〇、五六 出 、〇四
島 根 六、三〇 八、四八 出 二、三四
岡 山 四、七〇 五、七四 出 三、四八
廣 島 一〇、〇〇 一四、二三 出 、二九
山 口 四、九〇 五、一〇 出 四、三二
和歌山 三、七〇 一〇、七二 入 二、五〇
徳 島 二、四〇 二、四九 出 四、四三
愛 媛 七、三〇 一二、〇一 入 、一九
高 知 一、一〇 三、七四 出 一、八八
福 岡 八、〇〇 八、三〇 出 四、二二
大 分 八、七〇 一〇、五八 出 二、六四
佐 賀 三、七〇 七、四七 出 、七五
熊 本 一、一〇 二、四〇 出 三、二二
宮 崎 少 、四〇 五、七五 入 一、六三
鹿兒島 一、五〇 減 一、七四 出 七、七六
沖 繩 四、四〇 八、九八 入 、〇六
札 幌 四、一〇 一五一、四二 入 一四二、〇八
根 室 少 一、八〇 三一二、八〇 入 三〇六、四八
右兩年間の出入比例に由り人民が漸く地方を去りて小都會に集り終に全國の三中心に集合
する有樣を會得すべし又北海道には入來の比例甚だ高きもこれは其原數の多からざるがた
めのみ其人數の甚だ多きにあらざるなり又此比例に由りて計算するに東京府へ入來の人口
は兩年共に一萬五千人に過ぎざれどもこれは東京府へ入來せし人民が概ね其留届をなさゞ
りしに爲めにて若し其寄留屆をなさゞりし人民を悉く計算するの方法あらば人民が漸々東
京府に集合することは更に莫大にして必ず驚くべき數ならん明治十八年に及び我政府は稍
寄留屆を嚴にせり故に東京府廳が明治十九年一月一日に調査せし戸口表に由れば前一年間
に本籍者の増加は一萬五銭零五十三人にして寄留者の増加は二萬九千百十二人なり又十五
區六郡を區部及び郡都に分つて調査せしに本籍者の増加は區部に一萬千八百九十一人郡部
に三千百七十二人寄留者の増加は區部に二萬八千二百三十六人郡部に八百七十六人なりと
いふ今此寄留者の増加は前年の寄留者が新に子女を設けたると又地方より來たりたるとに
由るならんと雖ども明治十六七兩年の計算に比するに頗る増加せり明治十九年は尚寄留屆
を嚴にしたれば其戸口表に寄留者の増加せしは一層大ならんと思はるされども我輩は尚多
く寄留屆をなさゞる東京府住居の人民あるを信ずるなり東京府は全國人民が集合するの焦
點といふべきのみ