「東京繁榮の壽命如何」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「東京繁榮の壽命如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東京繁榮の壽命如何

全國各地方の不景氣人民の疾苦にも拘はらず東京は次第に繁榮の姿を現はし人口も次第に

増加する有樣は前日の紙上に示したる數字を以て知る可し然りと雖ども此繁榮や世事の假

相にして到底頼むに足らず其趣は腦充血の病症に全身の血液次第に上部に上り四肢の端は

將さに厥冷せんとするに顔面には紅を放て頭腦の熱に堪えざるものゝ如し全体の病症を知

らずして顔色のみを見れば生力の旺盛なるものに似たれども其實は生機の權衡既に常を變

じて將に危篤に陥るらんとするものなり故に今帝國の首府たる東京に人も集り財も亦集り

て繁榮の姿を現はしたるは恰も其四肢たる各地方の血液を引き以て一時の旺盛を致したる

ものにして全國經濟の生機は既に常を變じたるの症候として見る可し繁榮は眞面目に非ず

して單に其假相と名く可きのみ然り而して此假相の持續する日月の長短如何の問題に就て

は我輩も甚だ其返答に苦しむ所にして人々の所見に從ひ或は長く或は短し東京の繁榮、固

より假相なりと云ふも流石に日本帝國の大都會なり千人寄れば共食ひの俚諺さへあり百萬

の市民仮令へ共食ひするも十數年の間に衰勢を見ることなかる可しと云ふ者あれば又大に

之に反對し共に食ふも獨り食ふも無きものは食ふ可らず各地方より無數の貧民が東京に來

集して從前既に窮したる貧市民に打雜り都下の人口は次第に増加して職業は次第に減少し

衣食を得るの方便次第に縮まるときは唯有るものを賣却して食ふの外ある可らず故に東京

の市民は共食ならで賣食ひにこそあれ今にも饑饉その外事變に逢ふことあらば大都會の繁

榮も一朝に馬脚を現はし寂々寥々古戰塲の觀を呈す可しとて切迫に心配する者あり我輩は

此二説に就き何れにも同意するを得ず唯今日の繁榮は全國經濟の眞相に非ずと云ふまでを

保證するのみなれども強ひて其日月の長短を云へば或は此切迫中にも少しく壽命を長くす

ることもあらんかと思ひ付きたるものあれば記して以て大方の教を乞はんとす

近來鐵道敷設の論全國に起りて追ひ追ひに着手する其中にも東海道の鐵道は工事甚だ活溌

にして二年間には竣工に至る可しと云ふ扨その竣工の後、鐵道を利するの利は姑く擱き現

に其工業を起したるが爲に沿道の人民は一時に職業に就て多少の錢を得ざるはなし下は日

傭人足より日傭頭請負人に至り或は材木を賣る者もあらん或は食物を賣る者もあらん宿屋

酒屋餅屋菓子屋一時に繁昌して地方の賑わひと爲る可きは誠に明白の事實なり今假に東海

道の鐵道工費を一千二百萬圓として其内にて外國品(レール鐵橋及び車等)の代價凡そ十

分の四即ち四百八十萬圓を引き殘七百二十萬圓は沿道に費す金圓にして即ち其土地に落る

ものなり然るに金錢は恰も活物にして其落ちたる地方に永住するを得ず東西南北に流通運

動して其地方に需要の品を供するの媒介と爲り東海道を西して京坂に往くものもあらん東

して東京に入るものもあらん故に東海道を半折して濱松以西に落ちたる金は名古屋と京坂

神戸に歸し其以東に落ちたるものは東京に來るものとするときは七百二十萬圓を半にして

三百六十萬圓は一時東京の繁榮を助くるの〓〓金たる可し固より沿道に落ちたる金が悉皆

その地を去る可きにもあらざれども昔年西南の役に九州地方に落ちたる金が間もなく上方

に上り數年ならずして九州の貧乏は昔の如く貧乏に復りたるの一例を見ても今度の鐵道の

金の永く東海道に留まらざるを知る可し

左れば此鐵道工事の餘波を以て東京には何百萬圓金の運動を催し之に加ふるに關東にも既

に日本鐵道八王子鐵道信州甲州鐵道等續々發起する諸道が一時に着手に及ぶこともあらば

其工費の一半は間接に東京の商賣を活動せしむるの媒介となりて都下の生力を増し同時に

各地方の窮民等は從前の如く中央に侵入して止むことなく旅籠屋を開けば常に客あり貸長

屋を建れば忽ち塞がり家賃高くして隨て地面の價も騰貴し商賣活溌にして人口は増加す何

れの點より見るも繁榮の徴候にして日本全國霜を履むの天に東京獨り小春の觀を呈するこ

とあるべし故に東京今日の繁榮は固より全國經濟の眞面目を表したるものに非ずして唯一

時の假相なれども其假相を持續する日月の長短を尋れば我輩の想像する所にては或は甚だ

短かゝらずして轉た人目を眩惑せんことを恐るゝものなり