「工藝商業の學問漸く將さに流行を成さんとす」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「工藝商業の學問漸く將さに流行を成さんとす」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

工藝商業の學問漸く將さに流行を成さんとす

日本人が西洋の文明を知りしは醫學の門に由れし盖し徳川幕府專制の政を布くの日に當り

人民の外國と往來交通することを嚴禁し日本の外に世界はなきものなりと信ぜしめて處世

の運命に觀念せしめ以て全國の治平國民の恭順を買ひたるがゆゑに當時日本國民として世

界を知るの工風なかりしといへども獨り醫學は軍國政教の事に關係なく王公庶民を論ぜず

人命を救ふの仁術たるに止まるものなればとて幸ひに執權者の猜忌を免かれ唯醫學上のも

ののみに限り日本人にして和蘭舶來の書籍を公然購讀することを許されたり是則ち日本人

が文明に入るの端緒にして當時醫師社會の外に西洋を知る者とては絶えてなかりしなり嘉

永の開國に續いて徳川の政府倒れ王政維新後進の士天下の政務に當り大に外國の交際を勉

むるに及んで有用の人才は醫師社會の外に求むべからず軍事を督するの醫師あり法律を制

定執行するの醫師あり外交を司るの醫師あり學事を監するの醫師あり開明の政務一として

醫師の與かり知らざるものなきの有樣なりし斯る有樣なりしがゆゑに其自然の影響として

文明百科の學業の中に就て醫學獨り日本人に偏愛偏重せられ病院醫學校の事は政務の第一

に位し中央政府の在る所は勿論各府各縣皆相競て病院醫學校を起し之を起さゞる者は文明

の何物たるを解せざる者と自から信じ又人に評せらるゝ程の勢を成しけるにぞ時勢に走る

は人情の常にして後進の書生輩も相競て醫學校の門に集り三五年の勉學直ちに世に出でゝ

一家を起さゞる者なく志士立身の道は唯醫書を讀むに在りと云ふべき有樣なりし然るに時

勢一變して政治法律憲法國會政黨などの事漸く世人の注意を促し法律制度を改め國會を開

き政黨を組織すべし抔云ふに至りて政治法律の聲のみ獨り國内に喧しく後進の書生書を講

するに政治法律の外を知らず一たび政治法律の課程を卒はれば直ちに學校を出でゝ高等の

官吏たるべく有名の代言人たるべく其榮譽利益决して尋常ならず榮譽利益は人の欲する所

にしてこれを得るの方便を見出すこと甚だ難し然るに今法律を講し政治を談すれば榮譽利

益自から其中に在りと聞知したる以上は人情爭かでこれに奔らざるを得んや政治法律の事

忽ち全國の風潮を成し遂に僻村戸長役塲の机上に各國憲法の翻譯書を認め巡査合宿所の二

階に佛國法律の討論會を聞くに至りたり然れども人間世界は元と政治法律のみを以て成立

ちたるものにあらざるがゆゑに世人漸く政治法律のみを談して他事を顧みざるの非を悟り

或は政治社會の廣濶ならざる天下無數の政治法律學者を収めて悉くこれに好地位を授くる

の餘裕なきを示すに至りて政治法律の熱も爰に初めて冷却の兆を現はし學を勉むる者必ず

しも政治法律を云はざることゝなれり此際に當たり人心亦漸く殖産興業の事に向ひ或は養

蠶製糸の事或は織物染物の事鑛山の事鐵道の事築港の事造船の事家屋建築の事外國貿易の

事製造會社の事など大に力を用ひて大に利を収むべきの事柄少なからず各地陸續其計畫實

行を見るに至りて忽ち當事の人に乏しきを告げ資本既に集まれども未だ其事を成すの人を

得ず百方に手を分ちてこれを求むるが爲めに從來身の工藝商業上の學識實驗を有する者は

俄かに勢を得て世に時めき政府に民間に其登用待遇の優渥特殊なる、人をして驚歎羨望の

念に堪えざらしむるものあるに至りたり而して開化文明の時勢に適する工藝家商業家は日

本國中目下尚ほ甚だ其人に乏しく又俄かにこれを造らんとして容易に造り得ざるものなる

がゆゑに此等工藝家商業家の身に伴ふ榮譽利益は今日以後必ず更らに一層の厚きを加へ隨

て全國後進生の氣風を一變して相競て工商の門に集まらしむることなるべし供給漸く需用

に超過すれば漸く其價を減ずること自然の法則なるがゆゑに工商社會の景况後來必ず多少

の變化を見るべきは勿論なりといへども凡そ工商業者の力を施すの區域はこれを彼の醫學

或は政治法律學者流のものに比すれば其廣濶同日の論にあらざるがゆゑに今後文明の日に

進歩すると共に國内國外到る處立身の工風に乏しからず前進後進多々益其藝能を施すの餘

地を見出すことならんと思はるゝなり今より以後世に出でゝ身を立てんとする小壯の人々

は常に世情に注意して學藝の方向を誤まらざるやう心掛くること肝要なるべし