「士人處世の道甚だ易し」
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時事新報に掲載された「士人處世の道甚だ易し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
士人處世の道甚だ易し
今の日本の社會に於て後進の士人が立身の道を官途の一方に限りて以てその榮進出世に奔
走すればこそ世間〓〓〓〓〓〓て萬事不如意なるが如くなれども斷然そ〓〓〓〓〓〓〓〓
决呈し以て處世の方向を求むるとき〓〓〓〓〓〓〓身を容る〓の餘地なきを患へず海外に
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓營むなきは其事尤も壯快にして〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
〓〓〓も士人が愈〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓るの勇あるに〓〓〓〓〓〓〓
〓〓〓海外に航するまでもなく即刻即時〓〓〓内〓〓〓〓〓立つる〓術なきにあらず全体
今の士人は文明の教育を〓〓文明の風化に浴し文明の男子を以て自から居る者なれど〓數
百年來封建士族の遺習今尚ほ脱すること能はず高尚の氣骨容易に折れ難くして職業の撰り
嫌ひをなし是樣の業は卑賤なり我々の手にすべきものにあらず〓樣の業に從事しては士人
たるの品格を落すに至る可しなど云ふ氣風にて却て近く〓〓〓むるの術を講せず果ては大
聲不平を鳴らして人〓〓〓〓〓〓むの極に至る者なきに非ず其志の尚きは〓〓〓〓〓〓〓
〓〓なれども〓〓に就て見れば無氣力〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓云ひ甲斐なき心掛に
て〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓りてとて到底、〓術の望ある可らず〓〓〓〓〓〓〓〓
〓〓向ては固より海外移住を説かざるのみならず寧ろ其思ひ止らん事を勸告するものなり
抑も外國行の目的は何れの邊に在るやといふに海外自由の郷に移住して一身獨立の出來ざ
るは日本も〓〓〓異なる所なくして取分け西洋諸國は金錢の國なれば之を貴重すること日
本の比にあらず隨て之を〓るに困難なるも亦日本と異なる所なし唯その〓なる所は日本に
ては金錢を得る爲め働んとしても容易に働くべき仕事なき其反對に西洋にては仕事の多く
して唯働きさへすれば金錢を得るに難からざるの相違なれどもその仕事の種類は種々樣々
にして而も骨の折るゝことは日本と相違なきのみならず寧ろ一層甚しきことなれば心身脆
弱なる輩が斯る劇しき地方に行き金〓儲けて身の獨立を謀るなどは迚も覺束なき沙汰な〓
〓なれば外國行などは先づ見合せたる方然る可しと忠告せざるを得ず左れば士人立身の要
は唯この心身の強弱如何に在るのみ苟も心氣怯懦にして身体虚弱なる者は其身の外國に行
き又内國に居るを問はず迚も身を起すの道なきことゝ觀念するの外なし故に今の士人が一
層大に悟りて心事を轉じ更に身構へするに於ては日本の社會狭しと雖も獨立の生計敢てな
し難きにあらず此頃東京の市中に夫婦連れにてパンを賣る者あり男は古びたるフロツクコ
ートを着し高き黒帽を戴きて麺麭の入りたる嚢を肩にし婦人も同じく洋服の出立に三味線
を携へて街上を徘徊しパンを買ふものあれば夫踊り婦弾して興を添ふる其有樣の面白さに
滿街の兒女爭ふて之を買ふを以て日々利する所頗る少なからずといへり社會の仕事は樣々
にしてその種類も亦少なからず一旦これに應して身構へすれば些〓の小技パンを賣るの業
以て夫婦二人の口を糊して立派に獨立し俯仰耻るなきの生計を得べし堂々たる文明の士人
自ら誇て學術技藝に富むと稱しながら實際世に處するの道に於てはパン賣にだも如かずと
云ふは我輩の甚だ了解に苦しむ所なり若しパンを賣るの業は甚だ卑賤にして士人のなすべ
き仕事にあらずと云はゞ如何なる性質の業を以て士人に適當したる仕事なりとするか彼の
一年三百六十五日大祭日曜の休日を除き午前幾時より午後幾時まで一日幾數時間、食事喫
烟の外終日役所に出頭して簿書の中にこの頭を沒する者を見るに僅々數百數十圓の月給に
仰て長官に事へ伏して妻子を養ひ外に出でゝは交際勉めざる可らず内に在ては門戸張らざ
る可らず腰骨漸く屈して宿志未だ伸びす頭髪既に白くして前途猶ほ暗く年の暮、免非の沙
汰を免れたるは猶ほ天幸に屬す何ぞ况んや昇等榮轉の恩命をや敢て望む所にあらざるなり
官員の勤め亦勞せりと云ふ可し之を彼の街上のパン賣が夫妻相伴ふて市中を徘徊しパンを
賣りて錢に換へ自由の世界に獨立の生計をなすものと比較すれば貴賤勞逸かの孰れに存す
るを知るべからず然るも猶ほ世の士人は彼を捨て是を取らんと欲するか何が其度量の狭く
して心事の卑しきや我輩は之を稱して噐品、パン賣にも及ばざるものなりと云はんと欲す
るなり抑も社會は廣く仕事は多し獨立獨歩の業何ぞ獨りパンを賣るに限らんや大小の職業
求めて得られざるものなく商工の事企てゝ起らざるものなし成否は唯かの局に當る士人の
身構へ如何に在て存するのみ海外の移住に適せざる者は内國の職業にも堪へず内國の業に
堪る者は海外の移住にも當る可きものなり