「各地方の答書に據て民間の苦樂を記す」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「各地方の答書に據て民間の苦樂を記す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

各地方の答書に據て民間の苦樂を記す

近年我國の農工商業共に疲弊して不景氣なりとは誰れ人も語る所にして殆んど普通の談柄

なれども我輩は成る可き丈けの手段を用ひて事實を探らんことを工風し近日諮問の箇條を

書に認め全國各地方に多き知友に依頼して其地方經濟の模樣を聞合せんが爲め書翰を出す

こと四百餘通にして今日に至る迄二百五十餘の答書を得たり今此答書を根據にして地方の

状况を記せば

九州地方は民間の事業疲弊せしこと昨年は一昨年よりも甚だしく實に其極度に達したれと

も今年に入りては依然として昨年の樣子あり惟九州鐵道建設の風聞ありて人氣何となく引

立たり四國及び淡路は民間の疲弊年一年に甚だしく殊に貧民多くして人に傭はれんとする

もこれを傭ふ者なければ乞食窃盗など最も夥しく今年も亦昨年より更に疲弊するの傾向あ

り、山陽地方も亦民間の疲弊今年に及んで益々甚だしき有樣なれども其中、自から輕重あ

り安藝備後の如きは昨年の農作一般に不出來なりしを以て貧困特に甚だしと云ふ、山陰地

方は其疲弊現に極度と云ふべし特に因幡伯耆の如きは財産ある者は漸く之を失ひ財産なき

者は皆衣食に差支え一昨年は國税及び地方税を上納せずして公賣の處分を受けたる者凡そ

全戸數の十分一なりしが昨年は増して五分一となり今年は更に増すの有樣あれども爰に地

方人民の爲めに一線の活路を開きたる其次第は即ち畑地の綿作を止めて甘蔗に換へ大概こ

れを貧民の常食として差向き餓死するの患なしと云ふ左れども公共の經濟の爲めに綿と甘

藷と交易したる姿にして年來その地方に第一と稱したる物産を失ふたるは殘念の次第なり、

畿内地方は民間の景氣昨年を以て疲弊の極度となし今年は昨年と別に異なることなし、東

海道筋は連年民間の疲弊も稍々恢復するの有樣あり其由縁は各地皆同一ならざれども近年

製茶の賣捌漸く都合よく加ふるに農作一般に上出來にして農家自から餘裕を生じたるのみ

ならず鐵道建設の爲めに貧民に糊口の便を與へたるなどは大に民間の疾苦を救ふたるもの

ならん、中仙道筋も亦一般の景氣稍々上向なり此各地は大概養蠶を以て生活の本となし連

年の疲弊も其極度に至らざりしが昨秋以來生糸の賣捌忽ち都合よく加ふるに農作一般に上

出來なりしに付き人民も漸く愁眉を開きたり但し東海中仙兩道にても製茶養蠶の行はれざ

る地方に至ては貧困今年に及んで益々甚だしき有樣ありと云ふ、關八州の内上野の如き養

蠶地方は昨秋以來大に景氣を恢復したれども上總下總常陸などは農工商業共に年一年に疲

弊し今年に及で特に甚だしく就中、下總は昨年の旱害及び不〓にて今年は衣食に差支るの

人民必ず多かるべしといふ今その匝瑳一郡に付き試みに統計するに該郡に田地反別合計四

千百卅一町ありて其内旱害を被りて収穫皆無の反別二千四百七十八町を除き去り殘餘千六

百五十三町の収穫を仮に毎一反米一石四斗と見積り収穫合計二萬三千百四十二石なれども

該郡人口三萬五千七百六十四人の一箇年食料を仮に一人一日米二合五勺と見積り其合計三

萬二千六百三十四石なれば昨年の収穫は本年の食料に足らざること九千五百石とす尤も郡

中にも多く畑地ありて麥豆抔の収穫もあるべけれども〓税及び地方税あり衣食住居の費用

も少なからざれば到底衣食不足の人あるべきは明白なり之に加ふるに昨年は九十九里の〓

〓甚だ淋しくして漁民は坐して餓死を竢つの有樣ありといふ、北陸地方は今年を以て昨年

に比するに民間の疲弊更に甚だしと云ふべきなれども越後杤尾の近傍は養蠶の爲めに景氣

稍々上向なり、東北地方は磐城岩代等養蠶地方は概して連年の景氣を恢復したれども其餘

は依然として前年に異ならず惟昨秋の農作稍々上出來なりしは奥羽全体のために賀すべき

のみ

又全國各地方に就き農民大工左官などの賃銀を問ふに近來は農工商業の疲弊と共に漸く低

落して昨年に至り最も廉なりしものゝの如くなれども東海中仙兩道は今年に及びて漸く騰

貴の勢あり特に甲斐信濃及び美濃尾張の如きは昨年既に騰貴の勢を顯はしたりこれ皆養蠶

製茶の爲めに多く傭人を用ゆると鐵道敷設の爲めに更に多く之を要したるとに由ることに

て下野も亦昨年以來諸種の賃銀皆騰貴したるは同樣の由縁あるが爲めならん此外各地方の

賃銀は昨今兩年間に左まで昻低あるを見ず惟四國山陰及び北陸の各地方にては今年に及び

特に低落したり之を要するに賃銀の昻低は民間の景氣と相伴ふものならん料理茶屋抔の景

氣は鎭臺縣廳及び裁判所のある地方は常に繁昌し其餘の各地方にては年一年に衰微して閉

店する者多けれども惟養蠶地方及び鐵道敷設の道筋は大に之に反して漸く繁昌に赴く樣子

あり又芝居角力などの興行及び衣食住居の美惡に就ても諮問したれども前後の景况詳なら

ざるが故に特に爰に之を記載せず次に我輩が諮問したるは田畑の價値及び金圓貸借の利子

なり貸借の利子が大に低落したるは全國皆同一樣にして概ね最近三年間に三分一を減じた

り譬へば遠江の如きは地券抵當にて年利、明治十八年に一割五分なりしものが十九年には

一割二分、二十年には一割となり越後の如きは地券抵當の年利、明治十八年には一割二分、

十九年には一割、二十年には八分となれり此外各地皆大同小異にして中には利子の割合尚

大に減じたる處もあり之に反して田畑の價値漸く騰貴したるは人々土地を所有して小作米

を得るの安全を感じたるが爲めならんか我輩は田畑の價値漸く騰貴して利子の割合漸く減

ずるを見るに付ては別に意見なきにあらずと雖ども亦民間の景氣尚振興せざるの一證なり

と思惟する者なり又各地方に就き國税及び地方税を上納する能はずして公賣處分を受けた

る者の數を統計するに其増減は直に民間の景氣に關係せざるものあるが如し例へば東海中

仙兩道の如き昨年は民間の生計稍々上向きと稱しながら公賣處分の數は昨年に至て更らに

増加したり盖し闕疑して他日の考案に附す

右の如く全國を數部に分ち其各部に就き知友の答書に由て民間の景氣を考ふるに養蠶製茶

の地方は一般に連年の疲弊を恢復したるものゝ如く鐵道敷設の道筋も亦自から活溌の有樣

あれども其餘は概して昨年に異ならず或は疲弊すること益々甚だしく惟昨秋の農作如何に

由て人民の貧困に輕重あるのみ左れば世人が今年は民間の景氣僅に恢復したりと思ふも畢

竟する處局部の判斷に過ぎざるものなるべし但し我輩は飽く迄知友の答書を信じて毫も之

に疑を容るゝこと能はざるものにはあらざれども其答書たる固より故意に事實を僞りたる

ことなきは明白なれば我輩は毫も我輩の臆斷を交へず其言ふまゝに惟二百五十餘通の答書

の概意を簡單に記載して更に大方識者の數を乞はんとするのみ