「ブールスの騒ぎ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「ブールスの騒ぎ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ブールスの騒ぎ

ブールスの騒ぎ

ブールスの説一度び世に出でゝより商賣社會の騒ぎ容易ならず最初は今の相塲所の株主を

潰して之に易ふるに仲買人なる者を以てすると聞きかぢり是れは恰も株主の新規まき直し

にして仲買の株こそ甘露の滴る所なれとて仲買の方を見指してブールス論を賛成し又これ

に奔走する者多かりしが近日聞く所に據れば今度の仲買には定員を限らず何人にても五千

圓か一萬圓の身元金をさへ出せば即身仲買と成り其員數は百人も千人も苦しからず(三月

二十一日雜報)との事にて其賛成奔走の鉾先きも少しく鈍りたるが如くなりしが投機者流

の熱(幸+丸+、、、、)氣は未だ全く衰へず仲買の數に定限なしと云ふも商賣人の身と爲り

て相塲所賣買即ち投機先きもの賣買の用なき者が自家商賣の資本を身元金に入れて仲買の

名義を買ふ可きにもあらず又毎日少々づゝの賣買を試る者に一萬など云ふ大金の出來る譯

けもなし詰り仲買專門の仲買者流が實際の仲買と爲りて其仲買の椅子が株式の姿となり以

て塲所の利益を占ることになる可ければ决して之を等閑に看る可らずとて竊に周旋するも

の多しと云ふ夫れは扨置きブールス論の熱(同前)度は昨今如何なるや其内情を知るに由

なしと雖も爰に困り果てたるものは從前日本全國の諸處に設立したる米商會所なり各々定

まりたる營業の年限中に在りて其年限の終には例の如く繼續願ふて滯りなく相濟み來りし

ものが今度に限りて繼續相成らずと突放さるゝ歟その株主の損亡は容易ならざる可し左れ

ども是等の慘状は商法の堅固ならざる日本國の常として觀念するも爰に觀念す可らざるは

彼のブールスが出るが如く出でざるが如くにして其評判の出沒する間に米商會所の營業を

妨げらるゝ一事なり爾後營業の繼續願はいよいよ叶はずとあれば先づ今の米商會所に寄付

くものはなき筈にして今日の如く寥々たれども左ればとて彼のブールスは風の便りの噂の

みにして何年何月何處に新設して業を營むと云ふ沙汰もなしブールスは出來ず現在の米商

會所營業の期限と其資本金の高なり

 名稱    資本金    營業期限

 新 潟   三萬圓    二十年九月

 名古屋   同      二十一年一月

 桑 名   同      二十年八月

 兵 庫   同      二十年五月

 博 多   同      二十二年六月

 赤間關   同      二十年八月

 七 條   同      二十一年五月

 岡 山   同      二十年八月

 徳 島   同      二十年八月

 金 澤   同      二十年十月

 酒 田   同      二十四年三月

 松 山   同      二十年八月

 近 江  同       二十年八月

 堂 島  七萬五千圓   二十年八月

 野 蒜  三萬圓     二十二年

 東 京  十萬圓     二十年八月

 高 岡  三萬圓     二十二年

右の表に據れば十七箇所の資本合して六十二萬五千圓、會所の業を營む爲めには地所を買

ひ家屋を建築する等隨分少なからざる金を費したることならん加之その塲所柄に由り營業

の繁昌するものは利益も豊にして隨て其株式に價を生じ例へば東京の米商會所の如きは株

金百圓のものが時として四百圓にも五百圓にも上りて三百圓以下に下りたることは近年殆

んどなしと云ふほどの勢なるにいよいよブールスの爲めに亡ぼさるゝとあれば會所の地面

も建物も不用に屬し其上に株式の價に就て失ふ所も容易ならざる尚ほ其上に會所の存滅不

分明なるが爲めに米商人の不便利會所の不繁昌を致して日々に損する所も亦非常なる可し

之れを要するに今回ブールスの評判が全國の米商會所に影響する其趣きは人間の壽命の長

短を豫言するものに異ならず古來七十歳の人さへ稀なりと雖ども今日世に安んじて生存す

るは人々自から其壽命を知らず他人も亦傍らより之を豫言すること能はざるが故のみ若し

も然らずして漫に人の臨終の期を評判する者あらば仮令へ八十歳と云はれても百歳と云は

れても甚だ樂しまざるは即ち人情なり試に九十の老人に逢ふて百歳まで御存命ならんと祝

する時は翁は指を屈して殘年僅に十年なるを知り必ず不平にして心を悼ましむることなら

ん即ち普通の祝詞に無窮萬々歳など云ふ文字ある由縁なり今全國米商會所の存立は仮令へ

何箇年の期限あるも營業繼續願の慣行に由り會所の當局者は其壽命萬歳と信じたる者がブ

ールスの爲めに萬歳ならざるのみか次期の五箇年も覺束なし否な今期限り僅に一二箇月に

して臨終ならんなどゝ評判高きことなれば其安心せざるも尤も至極の譯けにして即ち是れ

商賣社會の平地に波瀾を生じたるものと云ふ可きのみ我輩の持論を云へば人間社會の事は

人に存して法にあらず日本の文明の程度、商賣の有樣に於て相塲所に出入し或は空名を賣

買し又は實物を受渡しするは正しく今の相塲師又町人共に相應する事にして其改良を謀る

には漸次に商賣の地位を上進するの外ある可らざるに是れを此れ思はずして唯その法を改

めて成跡の美を求めんとするが如きは智者の事に非ずと信ずれども一時の熱(同前)心自

から禁すること能はざる次第ならば何故に之を秘密にせざりしや之を秘し之を密にする其

間に苦情の種となる可き箇條を取除き其豫防十分に行屆きたる上にて疾雷耳を掩ふに暇あ

らず一朝に之を决行したらば尚ほ幾分か騒ぎの度を少なくしたることならんに説こゝに出

でずして秘するが如く秘せざるが如く其結果は人間の壽命の長短を風聞に傳へたるが如き

有樣と爲り以て今日の商賣社會に不安心を釀したるは我輩の感服せざる所のものなり

所得税法

兼て世上に噂して時事新報の雜報にも記したる所得税法は本月十九日公布して昨日の官報

に見へたり我國開闢以來の新税法のみならず東洋諸國中にも未曾有の税法なれば之を實際

に試みて成跡を見るまでは容易に其得失を言ふ可らず唯我輩の本意は官民共に不慣の事な

るゆゑ税を収る者も収めらるゝものも相互に威張りもせず苦情も言はずして事を滑に行ひ

収税費の成る丈け手輕ならんことを祈ると同時に尚ほ冀望する所は我大日本國の所得税が

年々歳々増加して遂に幾千萬圓の巨額に達するの一事のみ抑も所得税は國民の所得より収

る所にして平易に云へば其年中に儲け出したる利益の割合を政府に取るものなるが故に所

得税の高を見れば明に其國民の貧富商工の盛否を知るに足る可し例へば英國にて千八百八

十六年の所得税収入の高一千二百萬ポンドとあり一ポンドを今日の相塲にて凡そ六圓三十

錢とする時は我銀貨にて七千五百六十萬圓なり今我國にて迚も此巨額は思寄らずとして其

十分の一即ち七百五十六萬圓は如何と云ふに是亦覺束なきことならんまさか百分一の七十

五萬六千圓よりも多かる可しと雖ども英國に比すれば誠に寥々たる數ならんのみ仮に七百

五十六萬圓の半數三百七十八萬圓とするも日本の國力即ち日本人の金を儲る力は英國人の

五十分一たるに過ぎず日本と英國と人口も大抵同樣なりとして其金儲の力が一と五十との

如くなれば英國人一名の働は日本人五十名の働に直るものなり大なる相違にあらずや尤も

英の所得税の割合は凡ろ百分の三三にして日本の割合よりも高けれども左る代りに所得百

五十ポンド即ち九百四十五圓以下は免税にして然かも四百ポンド迄は其内の百廿ポンド丈

けを免除するの法なるが故に税法は日本よりも寛なりと云て可ならん日本にては三百圓に

して課せられ英國にては九百圓以上に上りて始めて税の沙汰ありとすれば其納税人の多寡

誠に明白にして英國にては少數の人民にて多額の税を拂ふの實を見る可し我輩の常に羨む

所のものなり又我國にてこの税源は何れの處に深かる可きやと臆測するに華族と官員とが

其人員の割合にして最も著しきものなる可し然るに此二樣の種族は國の殖産に對しては毫

も直接の關係を持たず衆小民の力に生じたる財を細々國庫に集めて其集まりたる金を何百

何千何萬圓の高に結んで請取るまでのものなれば華族官員等が何ほどの所得税を納めたり

とて之に由て國の商工殖産の盛否を卜するに足らざるなり方今我政府は文明の事に忙はし

きものにして文明の進歩は有形無形共に頗る錢を要するが故に歳入は今より増すも減ずる

ことある可らず唯我輩は其税源を深く且廣くし所得税の如きも年々歳々に増加して然かも

其由て來る所の路を農工商殖産の方よりせんことを願ふ者なり