「社會活劇の趣向は如何」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「社會活劇の趣向は如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

社會活劇の趣向は如何

東京にては昨年來朝野紳士の發起にて演劇改良の催しありしより世間好事の士は之に附和

して時の流行を成し昨今はその事もおいおい捗りて遠からず新劇塲の建築にも着手するや

の趣きなれば何れ來年の春頃などには東京府下に改良演劇の開塲ありて貴婦人士君子の覽

に供しても恥かしからざる新脚色を演じ滿都の評判とりとりなる其中にもその趣向の品評

など隨分、喧しき事ならん我輩は社會改良の一箇條としては演劇改良の事にも賛成するも

のなるが故に其事の緒に就きたるを聞て喜びの情を表することは世間その流の人々と同樣

なりと雖ども赤面の次第ながら我輩は生來武骨殺風景の男子にして梨園の事などには最も

不通なるを以てなまなか巧拙の品評などして矮者、劇を評するの嘲りを招かんよりは寧ろ

これを其流の粹士に任せ更に眼を轉じて社會活劇の見物に從事せんとするものなり

昔しの語に天地間は一大劇塲なりと云へることあり盖し冷眼以て社會の人事を看過すれば

吉凶禍福の轉變起伏する其有樣は實に一塲演劇の奇觀にして例へば我國明治年間の事にし

ても征韓の一議合はずして數名の功臣遽に朝を去り其不平憂鬱の氣、結れて解けず遂に破

裂して佐賀の變となり西南の亂となり昨日は麒麟閣上の人一朝遂遽に變じて哀れはかなき

醜名を千載の史上に留めたる事跡、若しくは民間不平の徒が匕首を挟んで大臣を途上に刺

し身は捕へられて刑塲の露と消え或は其謀ならずして縛に就き獄窓に呻吟するの類、これ

も一塲のトラジデーと見るも敢て不可なることなかる可し又昨日までは肩臂張りて議論し

たる民間の論客が俄に鞠躬如として公門に出入し始めは脱兎の如く終りは處女の如きもの

もあれば元來文明一流の學者が忽ち假面を粧ふて仁義道徳遍照金剛と唱ふるなど自から一

身を玩弄して世の笑艸に供するその運動の敏捷にして變化の迅速なる有樣はコメヂーの最

も巧みなるものにて平凡の役者輩が迚も企て及ばざる所ならん左れば社會人事の脚色は千

種萬樣にして善惡正邪の配合、喜怒哀樂の變化これを天然の一大活劇と稱するも敢て差支

なかるべし元來演劇の人の心目を喜ばしむると否らざるとは其脚色の趣向如何に存するも

のにて之を組立つるには勁剛活溌の間に閑雅優客の度を交へ悲凉慘憺の後には滑稽凋落の

態を演するなどよく調味配合の妙を盡し要するに人の心目を倦ましめざるを以て趣向の最

上なるものとなし作者の最も苦心する所なりと云ふ社會活劇の趣向も矢張り之と同じく詰

り全社會の觀客に倦厭の念を生ぜしめざること肝要にして政治の要、天下の人心をして倦

ましめざるにありとは盖しこの邊の意味ならん

扨二十年來社會活劇の臺面を回顧すれば前に述べたる如く其觀、種々樣々にして喜ぶべき

もの悲しむべきもの笑ふべきもの泣くべきもの固より少なからずと雖も事、既に過去に屬

するを以て其脚色の巧拙妙否は今更これを談ずるを止め更に後來の社會を見渡すに新趣向

の脚色を組立つべき材料甚だ豊かにして若しも其脚色の作者たるものにして頓智即妙の機

轉に乏しからざるに於ては新奇の妙趣向を案出して滿社會の喝采を博するも強ち難事にあ

らざるべしと思はるれども茲に注意すべきは日本社會の惡習として兎角一事に凝り固まる

の癖あることなり例へば五六年前に一時政黨の流行せし折など官權民權の論、非常に喧し

く社會一切些細の事までも官民の區別を付し官民双方相對して相和せず恰も左樣、然らば

の切り口上を以て相互に竊に反目し社會の空氣全く乾燥して絶えて緩和流暢の氣なし之を

演劇の脚色として評すれば趣向の最も拙なきものならんなれば今後の作者はよくこの邊に

注意して新脚色の仕組に從事すること肝要なる中にもその組立に供する材料は何々なりや

と云ふに我輩の所見にては今後兩三年の間日本の社會には其材料に供すべき事物甚だ乏し

からず趣向の大略を申せば先づ内地雜居國會開設を開塲の初幕として内外觀客の心目を舞

臺の一方に引付け置き扨それよりは目先きの變りたる樣々の趣向を現出し亞細亞博覽會を

東京に開設し極東諸國の奇品珍什を蒐集展覽して大に世界の耳目を驚かすなども面白から

ん、盛んに海陸の軍備を伸張して四隣の敵國を震撼せしむるなども愉快ならん、當局得意

の人が落魄して後進の士人その位地に代るを見ては人生の無常を觀じ百年素封の大家次第

に零落して寒貧の窮措大、社會の商權を握るの塲には盛衰、時あるの理を悟ることもあら

ん斯くて種々樣々の脚色幕ごとに其觀を改め社會の心目未だ倦むを覺えざる其中に内の鐵

道は全國全州に通じ外の航運は四海四面に達し輸出の物産、輸入の品物ともに大にその額

を増し彼に移住するの内國人、我に歸化するの外國人日々旁午雜沓して日本の貿易商賣は

未曾有の繁昌を現じ今の商賣不景氣財政困難の沙汰などは何時の間にか之を夢の幕に付す

るの結局に終るなどは其趣向の最も巧みにして目出度きものならん我輩は改良演劇の批評

をば其流の粹士に任せ更に社會活劇の趣向を觀んと欲して一日三秋目を刮て以てその開塲

の期を待つものなり(石河幹明)