「女醫學校の必用を論ず」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「女醫學校の必用を論ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

女醫學校の必用を論ず

我國女子の地位を高めて男子と其尊卑を同ふせしむるには女子の智識を増すは勿論、之に

職業を授けざる可らざることは今日の與論にして女子教育の爲め處々に學校の起るを見る

は我輩の深く喜ぶ所なり殊に職業學校裁縫學校などの設けあるは女子をして獨立の生活を

得せしむるの良方便なるべければ我輩は此等の學校の益々盛大を致すことを祈ると同時に

尚希望する所のものあり即ち女醫學校を設けて女子に醫術を習はしむること是なり抑も我

國にては在來醫術を以て男子の專業と爲し女子の之を習ふ者甚だ稀なりと雖とも其實は女

子にも亦適當の業にして歐米各國の女子にして醫師たる者少なからず常に男醫と其技倆を

爭ふ程なりと云ふ但し女醫男醫各所長あるべければ一概に其優劣を判断し難けれども醫術

の中にて婦人科小兒科産科等の如きは最も女醫に適するものとして異論なかる可し又聞く

所に據れば近來米國のボストン府にて女生に齒科を習はしめたるに其技倆は寧ろ男醫に優

れるの事實ありしと云ふ以て其一斑を見るに足る可し又治病の成敗は醫學醫術の深淺巧拙

に由るは無論のことなれども實際の病床に臨んでは學術の外に患者の情感を療するの手段

なかる可らず即ち醫師の言語容貌優しくして親切の情溢るゝが如きもの是れなり醫藥能く

病を治すも以て人情を醫するに足らず而して今日病床の實際は先づ患者の情を醫して病も

共に癒えたるの例は醫家の實驗に於て屡々見る所なり例へば我日本にて武骨殺風景なる學

醫が往々病家に失敗して無學無術なる古法家の艸根木皮に勝を制せらるゝこと多きも其一

證として見る可きものならん此點より視察するときは女醫と男醫と孰れか優劣は讀者の自

から發明する所なる可し

凡そ醫師の多寡は一國の人口に割合すべき者にして其割合は多きに過ぐるも少なきに過ぐ

るも共に弊害あるを免かれず現に英米兩國は醫師の割合に多きを患ひ又露國は其少なきを

患ふる由なれども此等の諸國を以て我國に比するに我國醫師の甚だ多きを見るべし明治十

八年一月一日の現數合計三萬九千七百八人にして之を全國人口に割合すれば毎千人に付一

人零五厘なれども米國は人口毎千人に付醫師一人六分六厘、英國は奇零七分四厘、佛國は

奇零七分一厘、獨逸は奇零六分六厘、露國は僅に奇零一分五厘にして米國を除くの外みな

我國よりも醫師の割合大に少なしとす左れば我國の各地に於て醫師が互に競争して單に病

家の費用を減少するが爲めに或は診察を粗にし或は藥品を撰ばざるの弊害あるも敢て怪し

むに足らず殊に漢方醫と洋方醫と常に軋轢するの意味ありて其成跡如何を尋ぬれば洋方醫

は其治術の正しきにも拘らず流行は却て漢家に歸するものゝ如し畢竟我民間にて漢法治療

の費用少なきを利する〓〓ならんのみ

我國にても漢方醫流は一日も速に之を廢止して純然たる醫〓(今これを洋方醫又は西洋流

と云ふ)を普くす可きは勿論にして政府も亦此方向を取ることなれども現に我國の醫師は

十中八九までは漢家にして西洋家は十の一二に過ぎず明治十六年一月一日の統計に由れば

内外科合計三萬九千七百六十八人の内内務省免許醫三千三百九十五人、府縣免許醫三萬六

千三百七十三人とあり此府縣免許醫も十七年一月に及び更めて内務省免許醫となせりと雖

ども其以前は斯く内務と府縣と両樣に〓〓せられたることにて内務省免許の分は皆洋家に

して醫〓免許は大概漢家なれば其後洋の僅に増加して漢の大に減少せし事實あるも今日に

於て尚洋方醫の不足を告るは爭ふ可らざるの數なり然るに醫師社會の談話を聞けば三都五

港の如きは相當に洋方醫の流行を見れども其餘各地に於ては人々皆醫を擇ぶに遑あらず唯

漢家流の治療に費用の少なきを悦んで洋家を顧るものなし是に於てか洋家も其本色を維持

して高價の器械を使用し高價の藥品を投じて醫門を張らんとするも迚も實際に叶はざるこ

となれば止むを得ず其診察を粗にし其藥品を賤しくして果ては漢醫洋醫その實優劣なきの

勢を成したりと云ふ實に我輩の歎惜して措く能はざる所のものなり

我國醫流の状况右の如く現に西洋醫藥の要用を感じながらも人民が多年の習慣に紛れて醫

療の費用の少なきを便利とするが爲めに西洋家も其得意の技倆を顯はす能はざるに至れり

左れば今鄙言の旨に從ひ大に女醫を養成して漸く漢家に代らしむることあらば女子の生活

は男子に比して容易なるのみならず人の妻女たるの身にして兼て醫を業とするときは特に

大に病家を煩はすに及ばず診察料も手輕にし藥價をも大に貪らずして醫術の目的は則ち達

するを得べし故に女醫の業を開くは啻に其生活の方便を得せしむるのみならず亦以て我醫

道の進歩に益すること少なからざれば此の一點より觀察を下だしても我輩は其養成を希望

するものなり