「商工社會の維新」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「商工社會の維新」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商工社會の維新

世の後進書生の言を聞くに若し我々をして王政維新の時にあらしめなば功名富貴何ぞ云ふ

に足らん不幸、十年の生を遲ふしたるを以てこの逆境に沈淪せり云々とて往々その時に後

れたるを嘆息するもの多し盖し一身の進退浮沈は時の境遇如何に關すること多くして殊に

政治社會の出處に至りては所謂風雲の際會とて時機に關すること極めて大なるを以て彼の

維新の功臣諸氏の如きも若し徳川の盛時か若しくは明治の今代に生れしめなば其出處大に

今日と異なる所のものありしならん抑も維新の革命は政治家が技倆を試むべき最も得意の

好機にして今後日本に如何なる政變あるも王政維新の如き好機會とては又とあるべき樣も

なければ今の後進の人々が先進諸老得意の境界を傍觀し艶羨望の餘り己れが生の遲くして

其時に及ばざりしを悔むも亦無理ならぬ次第にはあれども熟ら熟ら案ずるに王政維新は日

本未曾有の變革にして人の出處進退に關せし事も極めて多かりしとは云ひながら元來政治

社會の維新にして全國全般の變革にあらざれば日本社會の上より見れば唯僅に一小部分の

變化のみ未だ以て大事とするに足らず今後文明の大勢益々その働きを逞ふするに隨て社會

諸般の事物に進歩の變を見るべきは必然の勢なる中にも商工社會の變革は今日の必要に迫

り而も其機既に目前に迫れりされば日本の政治社會に於ては王政維新の時機すでに過ぎ去

りて後進の政治家が時の際會を利すること先進諸老の如くなるの好期は再びすべからざる

べしと雖ども去りて商工の社會を見れば今日の將に維新の期を開かんとするの有樣なれば

若しも後進有志の人々にして徒らに王政維新の時に後れたるを嘆ぜず更に其方向を轉じて

商工の維新に技倆を試みんとならば功名富貴論ずるに足らざるなり扨今日、日本の商工社

會の現状は如何といふに今さら事新らしく云ひ立るまでもなく實に言語道斷の有樣にして

民間の工藝製作の業は依然たる舊日本風の工藝製作にして器械製造の術などは夢にだも知

らざる尚ほ其上に國中まゝ製造の業起るものありと聞けば何れも官の仕事か又は其邊の保

護に出づるものにして結局國の爲めに謀りて得失相償ふものとては無しと云ふも可ならん

商賣の業に至ては猶ほ之よりも甚しく内地雜居も既に近々の内にあるべしと云ふ今日に於

てすら何等の覺悟あるを聞かず唯の覺悟は祖先傳來の舊窟に引籠り幸ひに世の風潮を免れ

んとするのみにて更に進んで此機を利用せんなどは迚も望むべからざる事なれば早晩日本

の商工社會に革命の變を見るべきは免るべからざるの數なるに又一方に於ては後生有志の

少年輩は國内の無事に苦しみ殊に政治社會に向ては志を得る能はざるを觀念し何がな手を

出さんとして目を配るの最中商工社會こそ其驥足を伸すべきの塲所たる事を發見し彼れ取

て代るべしとて大に計畫する所ある折柄、恰も好し内地雜居の一事將に來りて日本の商工

を顛(左は眞)覆せんとするの時に際したり盖し内にあるの窺〓(穴+兪・ゆ)者のみな

らんには舊來の商工衰へたりと雖も猶ほ或は残喘を一隅に保つことを得るやも知る可らず

されども今や内地雜居の期は既に迫りて外人の内地に入込み工業に商業に資を投じ手を下

し内外競爭の端を開くの期は既に目の前にある事なれば此時に當り我舊來の職人素町人を

して外人の鋒に當らしめ又外人と共に事を謀らしめんとするも迚も叶ふべからざるは明々

白々の數にして所謂優存劣滅世界大勢の赴く所にして即ち日本の舊商工滅亡の時運なり舊

幕政府の滅亡は今の諸老が身を立てし媒介にして今の商工の滅亡は今の志士の爲めに立身

の好機會なり實に千載一時の好機會拍手快と呼ぶ可し天下後進の士人、王政維新の時に後

れたるを嘆ずること勿れ政治維新の機會は既に他人の手に落ちたるも君等が維新の機會は

今將に來らんとして其機既に目前に在り君等は須らく再びこの好機會を逸して他人の手に

落とし他日の愚痴の種となすことなかるべし