「洋酒は純精ならざるもの多し第二昨日の續」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「洋酒は純精ならざるもの多し第二昨日の續」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

昨日の紙上すでに葡萄酒の純否を吟味することに就て記載したればこゝにブランデー酒の

試驗法を擧げんに酒中に烟草葉のニコチンを含むときは熟練のものは其臭に由りて容易に

發顯すべし又此酒にも其口當りを強くするが爲めに辛味の質を加ふることあり之を吟味す

るにはアルコール分を蒸發せしめて其辛味の獨り跡に殘るを見て知るべし又銅製酒器の不

潔なるが爲めにブランデー酒中に銅分を含むことあり之を吟味せんには二三の試驗法あり

其一は銅分の甚だ多からざるものは酒中のフーセル油と和合して粉末或は汚緑色の魚眼と

なりて自然に分離するが故に之を漉して殘物のアルコール分を蒸發せしめ吹管の試驗にて

容易に發見すべし其二は酒中に硫化水素瓦斯を通ずれば褐色の沈澱を生ずるを以て知るべ

し其三は酒中の銅分極少にして前兩法の容易に發顯し得ざるものと雖ども黄色血鹽を滴加

すれば赤帶褐色の沈澱を生ずるを以て其銅分あるを證すべしと云ふベルセリユース氏の曰

くブランデー酒を製造するとき鍋中に亞砒酸を投じて共に蒸溜するは酒造家の徃々にして

爲すことなれども斯の如くする以上は酒中に亞砒酸の痕跡を存すること勿論にして之を慘

酷不人の所爲と稱すべきのみと今この混物を吟味するには酒中に鹽酸を加へて後ちアルコ

ール分を蒸發せしめ更に硫化水素を通ずれば自から濁るを以て其砒分あるを證すべし

ブランデー酒にシヤノゲニユーム瓦斯(これに水素の化合したるもの即ち青酸なり)を通

ずることあり若しも酒中に此混物あるを疑念するものは其酒を蒸溜すべしシヤノゲニユー

ムはアルコールよりも揮發すること容易なるが故に蒸溜し得たるものにはシヤノゲニユー

ム自から濃厚なるべければ脂油を以て之を分離せしめ水と共に蒸溜し尚注意して化學的の

試驗法を爲さば其本分を知ること難からず沸國上等のブランデー酒はヲードウイーと銘し

て世界に有名なり是れ永く槲桶に貯へたるが爲めにエキストラクト、タンニン、色分など

を浸出して黄帶褐色を顯はし終に醋酸エーテル及びヴナントエーテルを含むが爲めに優等

の香味あるものなれども酒造家は之を贋製すること多し其贋製法は諸種のアルコールにし

てフーセル油なきものに醋酸エーテル一二グラムを一瓶毎に加へて之に燒砂糖を混ずるを

常とす今その贋否を吟味せんには先づアルコール分を蒸發せしめて次て鐵鹽の溶液を加ふ

るに正銘のものは黒色を發すれども贋造のものは之を發せず然るに酒造家の狡猾なる此試

驗法を免れんが爲めに贋造品に少量のタンニンなどを加へ鐵鹽の溶液に逢ふて黒色を發す

るの手段を運らすものありと云ふ

次ぎに舶來の飮食品を吟味するの方法を擧ぐれば牛酪に酸化鉛或は炭酸鉛を加へたるも

のゝ如きは熟練したる人の舌頭にて能く發顯すれども別に又試驗法あり牛酪を火に上せて

溶解し數分時の間これを搖動して止まざれば鉛分は重くして沈むが故に之を冷やして底の

部分を鐵板上にて燒き硝酸に溶解し尚硫化水素を通ずれば褐色の沈澱を生ずるを以て證す

べし又牛酪の色を付るには通例鬱根或は可溶性の色分を用るものにて水を牛酪に加へて煮

ること數分時間なれば色分は水に溶解して分離するが故に牛酪の元來白色なるものは即ち

其本色を顯はすべし食醋の純否を知らんには先づバリユーム鹽類の溶液を滴加するに若し

も白色の沈澱を生ずれば即ち硫酸を含めるなり又アルカリの溶液を食醋に混じて中和せし

むるに若しも辛味の物あれば跡に殘るを常とす又蜂蜜に澱粉を含むときは水を以て之を薄

むるに澱粉の器底に集るを見るべし

右の如く洋酒其他舶來の飮食品には大概贋製の法あらざるものなけれども亦之を吟味する

の法あるが故に我輩は已むを得ず之を飮食する人々には一度相當の吟味を遂げたる後ち最

早有害ならざるを證明して買求むることを勸めんと欲すれども此吟味の法は迚ても理化學

的の思想なきものには出來難かるべく且仮令へ之を爲し得るにもせよ同一の器に盛り同一

の札を張り且價値と云ひ色合と云ひ毫も異ならざるも其中には有害のものあり亦無害のも

のあれば毎器試驗法を施すの外なくして到底これこそ無害なりと信じて飮食するの日なき

は勿論なれば方今の世の中何も角も滋養とか衛生とか稱して種々の法律規則もあることな

れば洋酒其他舶來の飮食品に就きても之を飮食する人々が安心する程の仕組ありたきもの

なり   (畢)